92.温かい食事と同情しにくい悩み
「ビール買ってきたぞー。どこに置けばいい?」
「そっちの隅にでもおいといて。そろそろジェシカたちが戻ってくるから、足をひっかけないとこで」
エリオットのよく張られた声に、新しく増設した仕切り壁からアルフレッドがひょいと顔を出して指示をすると、会場の準備をしていたウォーレンとライアンの声も聞こえてくる。
「すぐ飲むし、中庭に出しておいてもいいんじゃないか?」
「取りに行くのが面倒だろ。奥に運んでおくよ」
「手が空いたなら、ジーナたちを迎えにいってやってくれ。どうせ欲張ってあれこれ買って、両手が塞がっているだろうから」
「んじゃ、ちょっと行ってくるわ」
戻ったばかりだというのに、フットワークの軽いエリオットの声が聞こえてきて、すぐに扉が開いて閉まる音が響く。それを聞きながら、アルフレッドは相変わらず少し眠そうな目をしつつ、おたまでスープの鍋をゆっくりとかき混ぜていた。
「うるさい連中で悪いね、オーレリア嬢。気に入らないことがあったらスネを蹴れば、言うこと聞くと思うから」
「いえ、それはさすがに」
蹴って指示を出すなんて、馬みたいだなと思っていると、アルフレッドはまるで心でも読んだように「あいつらは馬より単純なんだよ」と続けた。
「その代わり、明確にやることが整理されていれば馬車馬より働くから、オーレリア嬢も覚えておくといいよ」
アルフレッドは親切でマメだが、皮肉屋である。なんと返そうかと思っていると、再びドアが開く音に続いて賑やかな女性陣の声が聞こえてきた。
「あーっ寒い! 今夜は雪が降りそうだよ!」
「ほんと、冷えますねえ。エリオットが来てくれて助かりました。ジーナったら、もう両手一杯なのに上に載るって言い張るんですもの」
「だって焼きたてのチキンって言われちゃったらさ! ジェシカだって美味しそうだって言ってたじゃん!」
「賑やかなのが帰ってきたね」
呆れたようにため息をつきつつ、鍋にミルクを入れ、ゆっくりと温めた中にスプーンで掬った茶葉をどさりと入れる。色が出てきたら砂糖をさらにどさりと入れてぐるぐるとかき回すと、バターをひとかけ入れて手際よく漉して、カップに注いでいった。
「買い出しお疲れ! ウォーレン、これ運んでくれ!」
「わかった。オーレリアさ……オーレリア、ずっとキッチンにいて、疲れてない?」
「大丈夫です。私は下ごしらえだけで、ほとんどアルフレッドさんがしてくれているので」
「これ終わったらすぐ始められるから、買い出し組に飲ませといて」
「わかった。じゃあ、後で」
そう言うと、ウォーレンは湯気の出ているカップが六つ載ったトレイを持ってキッチンブースから出て行った。
「オーレリア嬢もどうぞ」
「ありがとうございます。――美味しいです」
ミルクでゆっくりと煮出した砂糖多めのミルクティは普通に美味しいし、温まる。バターの風味がほんのりと香るのも嬉しい。
「ミルクティにうるさい奴にこれを飲ませると、冒涜だ何を考えている茶葉に謝れって話にならないんだよね。まあ、兄貴のことなんだけど」
どうやらアルフレッドには兄がいるらしい。身内に対してはことさら口が悪くなる彼のことなので、言葉ほどには仲は悪くないのだろう。
今日は、以前からいずれやりたいと話していた黄金の麦穂のダンジョン踏破のお祝いである。
ちょうどオーレリアとアリアが商会を立ち上げた直後なので、そのお祝いも一緒にやってしまおうということで、予定を組んで集まることになった。
黄金の麦穂は時の人なので、色々な場に呼ばれる機会が多く、断れない筋からの話も少なくないのだという。全員の予定を合わせるのが難しかったものの、すっかり冬が深まってくると少しは王都の熱気も落ち着き始めてきたようだ。
それでも市場に行けば人で込み合っていて、例年よりもずっと活気があるらしい。
このメンバーの中で料理ができるのはオーレリアとアルフレッドだけなので、二人が温かい料理を、ジーナとジェシカ、アリアが屋台で買い物を、エリオットは近くの酒屋で木箱ごとビールを買ってきて、ウォーレンとライアンが掃除とセッティングをしている。
「食事なんて冷えていてもいいっていう奴も多いけどさ、僕としては食事って最低一品は温かいものがないと休まらないって思うんだよね」
「分かります……。せめて食後のお茶は温かいものが飲みたいです」
東部でも、朝はパンとチーズ、昼は手持ちの簡単な弁当で、夜は昼間に作り置きした肉料理とパンという組み合わせで十分という者は多かった。
こればかりは前世の記憶を引きずっていると言われても仕方がないけれど、オーレリアとしては食事は温かいものが食べたいし、できればお風呂だって毎日入りたい。
「だよねえ。探索中はあまり贅沢も言えないんだけど、最低スープくらいは作りたいんだよなあ。そういう小さなところをおろそかにしていると、肝心なところで転ぶもんだよ」
その考えが高じて、パーティの食事を用意するのはアルフレッドになったらしい。
この点においてアルフレッドとはかなり価値観が合うと思う。
煮込んでいる間にオーレリアは簡単なサラダを、アルフレッドはもう一品炒め物を作り、ウォーレンにスープを鍋ごと運んでもらってリビングに向かうと、もうセッティングは完璧に終わっていた。オーレリアはアリアの隣に座り、ウォーレンが反対側に腰を下ろす。対面側にはジーナとジェシカとアルフレッドが、はす向かいにはライアンとエリオットがそれぞれ席に着いた。
「あ、オーレリア。注ぐよ」
「ありがとうございます」
隣り合った者同士でビールを注ぎ合い、泡が溢れそうになるのに笑い合っていると、オホン、とアルフレッドが咳払いをする。
「皆知った顔だし、堅苦しい挨拶は要らないよね。オーレリア嬢とアリア嬢の新商会設立を祝って、ついでにエディアカラン踏破も、おめでとう」
「おめでとう!」
「おめでとうオーレリアさん、アリアさん!」
「こんなに早いなんて、すごいですねえ」
「ありがとうございます。色々と予定外のことが重なったんですが、頑張ります」
「ありがとうございます!」
こちらの世界でも、乾杯の時に容れ物をぶつけ合う習慣は変わらない。さすがにワイングラスは軽く掲げるだけだけれど、豪快な国になると激しくぶつけ合い、木製のジョッキが割れたら縁起がいいという考え方まであるそうだ。
「ライアン、最初はスープから飲んだほうがいいよ。そんなにやつれて、ちゃんと食べてるの?」
「ああ、もらうよ。食事は、最近は予定が入っている日は抜いているかな。出先で嫌になるくらい勧められるから」
黄金の麦穂のリーダーであるライアンは、元々舞台俳優もかくやというほどに整った顔立ちをした美丈夫だけれど、以前会った時より随分痩せて――いや、やつれていた。
「付き合いもあるんだろうけどさぁ、半分以上はお見合いパーティみたいなもんだろ? 体壊す前に断った方がいいよ」
「ライアンが断ってばかりだと、担当のケイトが名指しで責められるんだよ。それでも利かないと次はエレノア女史、最後はギルド長が出てくるみたいだよ」
ライアン個人には圧力が利きにくくても、黄金の麦穂は冒険者ギルドに所属しているため、そちらから攻められるとある程度は引き受けなければ角が立つのだという。
「今の状態が続くようなら、冒険者ギルドは離脱したほうがよくないか? 次に活動を再開するときに、再加入すればいいだろう」
「そうなると銅ランクからやりなおしになるんだよね。まあ、別に困るのはギルドの方だけどさ」
きょとんとしていると、アリアが協賛金ですよ、とこそっと教えてくれる。
「仕組みとしては、商業ギルドと同じです。ゴールドランクの冒険者になると、年会費と協賛金の率が高くなるので」
「冒険者側も、初心者の頃に色々とギルドのサポートを受ける機会が多いから、大成したら冒険者を引退しても、籍はギルドに置いたまま運営費に協力をしたり、後進の育成に力を貸したりするんだ」
反対側からウォーレンが補足してくれて、なるほどと頷く。
「恩返しみたいなものですね」
「まあ、僕たちはゴールドランクになってから散々焦げ付いた依頼の消化に手を貸してるから、そこらへんで相殺されていると思うけどね」
「あー、十五階層の魔物五種は結構きつかったなあ」
「あれは、アルが一気に終わらせようと言って複数の依頼を合算で受けたせいですけどねー」
「ギルドに、焦げ付いた依頼をまとめて受けるんだから報酬を上乗せしろって交渉してな」
「そのおかげで、この拠点の購入費は丸々賄えたってわけ」
メンバーには不評だったようだが、本人はその結果にいたく満足しているらしい。くすくすと笑いながら、ふと、もそもそとサラダをつついているライアンに視線を向ける。
「ライアンさん、本当に体調が悪そうですね。今日、無理にお呼びしてしまいませんでしたか?」
「ああ、いや、こういう集まりは楽しいので、気にしないでくれ。駄目だな。来週別の夜会が入っているのを思い出して、憂鬱になっていたよ」
そう言って、力なく微笑む様すら儚げな絵画のような風情になってしまうけれど、美形は美形で大変なのだろう。
「そんなに大変なんですね……」
「言っても、ライアンのこれはモテすぎてモテすぎて困るってやつだから、いまいち同情しにくいんだよね」
手酌でビールのお代わりをしながら、アルフレッドが少し呆れたように言う。
「ライアンはずっとモテてたじゃん」
「冒険者と貴族は違うんだ。冒険者はどれだけ有力なパーティでも、怪我ひとつで明日から無職になる可能性が高いから、あっちも一時の遊びって感じの女性が多くなるからね。貴族の令嬢なんて、うっかり二人きりになったら指一本触れなくても次は親が出てきて責任を取らされる勢いだから」
子爵の爵位と邸宅、それに相応しい領地を与えられたライアンは、その整った顔立ちも相まって、現在王都のまだ婚約者の決まっていない令嬢の婿候補として非常に人気があるらしい。
「ワインに薬を入れられた時は驚いたけど、今となってはあれはまだまだ可愛いやり口だったな」
「薬が可愛いって、他に何があったんだ?」
エリオットの問いかけに、ライアンはどんよりと笑う。
「ダンスの最中にわざと転んで足をひねったから部屋に連れて行ってほしいと頼まれる。一度エスコートしたら最後まで貫くのが紳士の美徳だからとそうしたら、いつの間にか後ろにいたはずの侍女やシャペロンが消えている。部屋は基本的に応接室とベッドルームが別れているはずなのに、ベッドがどんと置かれていたりする」
「シャペロンが消えている時点で、親が後ろで糸を引いているじゃないか」
「だから怖いんだろう。流石に二度目からは引っかからなかったが、初回も女中が通りかからなければ危なかった」
一流の冒険者としてそんな隙は作らないようにしている様子ではあるものの、あの手この手で令嬢とライアンを二人きりにして責任を取る流れに持っていこうとされるらしい。
それは気持ちもすり減るだろうと、大いに同情してしまう。
「ひぇー怖い。ウォーレンはともかく、アルフレッドは大丈夫なのかい?」
「僕は意中の相手がいるって隠してないから」
「俺も妻一筋だからな!」
幼馴染の妻がいるのだというエリオットは、聞かれていないのに踏ん反りかえって宣言している。
「いっそウォーレンみたいに婚約者を探したら? 決まった相手がいれば無茶もしなくなるんじゃない?」
「いや、俺は一生花から花へふらふらしていたいから」
「まあ、誰かに夢中になるライアンはちょっと想像つかないよなあ」
「探索中は頼れるリーダーなのですけれどねえ」
パーティのメンバーは慣れているらしく、笑っている。ライアンのそうした主義もあって、「同情しにくい」らしい。
「まあ、今だけだよ。俺みたいな軽薄な遊び人を家に入れるなんてとんでもないって、そのうち分かってくれるさ」
そう力なく言うライアンは、夏の頃の自信満々で頼もしい男性像とはがらりと変わり、弱々しくどこか儚げな様子である。
これはこれで、私が守ってあげなければと思う女性もいそうだと思ったけれど、口にしても誰も幸せにしない言葉であるので、そっとビールと共に飲みこむオーレリアだった。




