91.商業ギルド来訪と開業手続き
オーレリアはその日、アリアと共にウィンハルト家の馬車で西区にある商業ギルドへと赴いていた。
「すごいですね……」
「王都でも指折りの大きな建物です。その分広くて、関係者でも迷子になることがあるという噂ですよ」
アリアは笑って言うけれど、この内部を自由に歩き回れたら、自分もすぐに迷子になってしまいそうだ。
冒険者ギルドもかなり大きな規模の建物だし、中央図書館や銀行といった壮麗な施設もそれなりに見慣れていたつもりだったけれど、商業ギルドの本部は見上げると首が痛くなるような大きな建物だった。
一階部分は台座に立てられた白い円柱の柱が等間隔に並んでいて、前世の異国の神殿のような雰囲気がある。八階建ての一階一階の天井が高いので、かなりの高さがあった。
国の中心である王都の、商業を司る組織の本部というだけあって、多くの機能を抱えている建物なのだろう。
王都は五つの区に別れており、それぞれの区によって見せる表情も様々だ。
中央区は流行の最先端であり、貴族の邸宅や各種省庁が集中している、経済・文化共に押しも押されもせぬ王都の花である。
オーレリアになじみがあるのは、鷹のくちばし亭やマルセナ洋裁店、冒険者ギルドが集中している東区であり、拠点も中央区と東区の境にあるので、王都に来てから今に至るまでの活動範囲のメインと言える。
南区は、大門を越えた向こうに豊かな農業地帯が広がり、そこからの収穫物を集積、出荷する機能を備えた生産区として機能している。独自の屋台文化があり、常ににぎわっている。
北区は、オーレリアの周りの人々はあまり好んで言葉にしないけれど、とても荒れている地域らしい。王都で食い詰めた者が最後に行き着く場所らしい。
鷹のくちばし亭にいた頃は東区でも近道目当てで路地裏に入ったりしないようにとスーザンに言われていたけれど、北区に関してはトラムで通り過ぎるのも避けた方がいいと言わしめる、荒れた地区だと聞いていた。
そして西区は、以前アリアが働いていた私設図書館のある区でもある。オーレリアもいくつか西区の私設図書館を回って付与のアルバイトをしていたので、馬車の車窓を眺めているとなんだか懐かしい気持ちになったものの、いざ商業ギルドを前にすると、少ししり込みするような気持ちもあった。
先に話は通っていたらしく、受付でアリアが名前を告げるとすぐに二人分のカードが渡され、案内人が一人ついて奥に促される。
昇降機に乗って五階に上り、そのうちの一室に案内されてこちらでお待ちください、と告げられた。
アリアは堂々としたものだし、そのパートナーとして隣にいるのだから、きょろきょろとしていてはみっともないだけだろう。緊張を呑み込んで背筋を伸ばしていると、長く待つことはなく、すぐに男性二人が入室してきた。
どちらもフロックコートを身に着けており、片方は髭を蓄えた四十代後半ほどの男性で、もう片方は二十代半ばほどの、若い男性だった。
「商業ギルド副長のカミロ・レズニックだ。こちらは商会窓口担当のヴァレンティン」
「ヴァレンティン・グロッサーと申します。商業ギルドの商会担当部の部長を拝命しています。よろしくお願いいたします。――アリア嬢、お久しぶりです」
ヴァレンティンは人当たりよく微笑むと、悪戯っぽくこそりと付け加える。
「お二人と、このような場で会うのは少し気恥ずかしいですね。改めまして、アリア・ウィンハルトです。こちらは私のビジネスのパートナーで、オーレリア・フスクス。非常に有能な付与術師です」
「ご紹介に与りました、オーレリア・フスクスです。今日はよろしくお願いします」
どうやら二人とアリアは面識があるらしい。ウィンハルト家は商業に強く王都でも様々な事業を展開しているというので、そうしたつながりがあるのだろう。
「新しい商会の設立に、お二人が出てくるとは驚きました」
「幼い頃から知っているアリア嬢が商会を立てるとなれば、それはもう。一部の者たちは、出資者の募集はまだかとそわそわしていますよ」
「ふふ、気持ちはありがたいのですが、もうしばらくは小規模にやっていくつもりですわ」
「私も出資に一声上げたいところですが、ギルド職員は商会の出資に関わってはいけないという決まりがあるので、残念です」
「公正な取引のためですもの、仕方ありませんわ」
貴族モードのアリアは相変わらずそつがなく、優雅に会話を交わしている。ヴァレンティンもかなり社交的な性格らしく、明るく抑揚のある声で会話を途切れさせることがない。
「すでに冒険者ギルドで扱っている製品に関しても、かなり評判が高くなっていますよね。うちの部署でも、いっそこちらから商会設立の声を掛けるべきかという声も上がるようになっていたんです」
「ヴァレンティン」
「おっと、お忙しいのに話を長引かせてしまってはいけませんね。失礼しました。アリア嬢はすでにご存じでしょうが、形式もありますので一から説明させていただきますね」
カミロが重く名前を呼ぶと、ヴァレンティンは微笑んでオーレリアに視線を向け、テーブルの上に丁寧に書類を並べていく。
「商業ギルドは大陸の各国、多くの都市に支部があり、広く商業の発展と流通・取引・契約の公正を保ち、商人の保護を目的とした組織です。契約や取引でのトラブルの仲裁、法的なサポートの他、為替・手形の発行・現金化も行っており、また、有望な商会が支店を増やしたり設備投資をしたりする際の低金利の貸付や、災害時に備えた保険業務なども扱っています」
てきぱきと説明し、ここまでは大丈夫かというように視線を向けられたので、頷く。
「こちらが商会設立の記入が必要な書類の一式です。提出していただくのは商会設立の申請書、代表者の身分保証書、資産証明書と事業計画書になります。これらを提出していただき、面談後ギルドへの入会金と年会費、協賛金を支払っていただき、審査が通れば正式登録となって、ギルド広報に掲載された時点で商会の発足となります」
「全て本日、持参してきました」
アリアに目配せをされ、革の鞄から紙のフォルダに挟んだ書類一式を並べていく。すでにウィンハルト家の会計士と相談をしながら記入した書類に不備はないはずだ。
「拝見いたします。――さすがはアリア嬢ですね、全て整っていますが……」
ヴァレンティンは一度言葉を切ると、寡黙に鎮座しているカミロに書類を差し出す。それを受け取りさっと一瞥したカミロは、ふむ、と重たい声で頷いた。
「会頭の名義はフスクス嬢になっているようだが」
「はい、実質は共同名義ですが、代表者はオーレリアにしました」
「あくまでウィンハルト家の事業ではないと?」
「そう受け取っていただいて構いません。実家の後援は受けていますが、完全に独立した商会ですので」
ふふ、とアリアは意味ありげに微笑む。
「オーレリアは本当に優秀な人なので、姉も強く欲しがったのですが、姉は姉で抱えているものが多い方ですので、タッチ差で私が獲得しましたの」
「事業計画書に登録している製品は、付与を行った高機能のおむつと、ナプキンと呼ばれるケア製品のみですか?」
「当面は。新しい製品に関しては追々登録していきます。それから、商会発足と同時にナプキンの意匠権登録と五年間の販売独占の申し立てをお願いします」
「ふむ……。ご存じだとは思いますが、意匠権を申請すると、いずれ製法の公開が義務付けられることになりますが」
「はい、構いません」
こちらの世界にも特許に似た制度がある。意匠権とよばれるそれは技術の発明を保護するという名目で、申し立てから五年間の専売が認められ、類似品に対する販売停止や損害賠償などの権利を認められる。
その代わり、技術の発展と公益のため五年後からは類似品の開発は公に認められるのと同時に、十年を過ぎた段階で製法の公開が義務付けられ、それと同じ製法で作られた後発品の製造・販売が広く認められるようになる。
特に模倣が難しい製品に関しては、この製法の公開を嫌って意匠権の登録を行わない商会も少なくないらしい。
「この製品は、いずれ大陸中、いえ、新大陸も含めて世界中の多くの人々に必要とされるものになるでしょう。開発者もそれを望んでいます」
「は、はい」
王都の中でだけでも供給に四苦八苦しているというのに、国中、大陸中となれば、オーレリアの手の届く範囲ではない。
オーレリアの手縫いから始まったおむつとナプキンだが、公開まで十年あれば、ブラッシュアップを重ねてより洗練された製品が完成しているだろう。
その頃には生産の土台も完成し、商会の名も上がっていて、公開しても問題はないというのがアリアの判断である。
「なるほど。委託生産をする予定はおありですか?」
「はい。私たちだけでは王都中に十分に広げるのは難しいので、縫製工場を持っている商会に製造委託を行う予定です。ギルドには、その契約の仲介もしていただければと」
「あっという間に規模が大きくなりそうですね。銅ランクからではなく、銀ランクから始めても良い気がしますが」
「急いては事を仕損じるといいます。私もオーレリアもまだまだ若輩者ですので、ランクが上がるのはもっと学んでからで十分だということで」
アリアもヴァレンティンも実に人当たりのいい笑顔だが、その下で交わし合っている剣戟の音が響いてくるような緊張感だ。
「新規商会に無理も言えまい。将来的に大商会になって、ギルドの一角を担ってもらうのを期待しよう」
「――そうですね。では、不備も無いようですので、書類はこちらで受理させていただきます。各種支払いは」
「こちらの小切手でお願いします。あ、金額はすでに記入してありますのでそちらの確認も」
きっちりと銅ランクの規定通りの入会金に年会費、各種費用を合算した金額を記入された小切手に、ヴァレンティンは苦笑を漏らす。
「アリア嬢には敵いませんね」
「おそれいります」
そうして冬の深まりつつあるこの日、「アウレル商会」は小さな産声を上げたのだった。




