90.商業ギルドと商会名
「いずれは、と思っていましたが、早いうちに商業ギルドに登録したほうがいいですね」
しばらくして少し落ち着くと、アリアはぬるくなった紅茶をゆっくりと傾けてから、そう告げた。
「本来ならもう少し地盤を調えてからと思っていたのですが、他の商会と正式に取引するなら、こちらも商会としての体裁があったほうが良い縁を結びやすいです。手堅くやっている商会ほど、海の物とも山の物ともつかない相手との取引は警戒するものですから」
現在の自分たちは多少規模は大きくなっているものの、作った成果物を販売する手工業者であり、商売としては非常にシンプルな形態である。
いずれは商会を立てることを目標にしていたけれど、あっという間にその日が来てしまったらしい。
「ギルドは入会するときに入会金が掛かることと、登録して最初の五年は各支払いに軽減措置があるので、登録はギリギリまで控えておきたかったんですが、売り上げが小規模なうちに登録すれば低いランクから始められるというメリットもあります。今の状態なら多分、銅ランクあたりから始められると思うので」
登録した年の売り上げで、一年間のランクが決まり、それによって年会費や運営協賛金の支払い額が決まるのだと、アリアは説明してくれた。
特に最初の五年の軽減措置については立ち上げた年が基準になるので、今の流れだと早いに越したことはないという判断らしい。
「商業ギルドにも、ランクってあるんですね」
「それは勿論。大店になるほど協賛金の支払い率も上がるので、商人としてはいつギルドに登録するかが商売を始める最初の悩みの種です。特に私たちの場合、二人ともまだ若い女性ですので、払い損にならないよう、しっかりやらなければ」
言うまでもなく、協賛金の支払いが高いほどギルド内での発言力や、様々な取引で優先されたり、事業が低迷した時の貸し付けや、保険などの保障も厚くなる。
だが、そうした大店の主というのは大抵の場合年嵩の男性で、何代も続いた大商会であるのがほとんどだ。
ぽっと出の、しかも若い未婚の女性二人である自分たちは、悪い言い方をすれば「舐められる」だろうというのがアリアの言い分だった。
「払うものは払っているのに軽んじられるなんて、意味がありませんからね。もちろん、オーレリアはグレミリオン卿の婚約者ですし、私もウィンハルト家の名前を持っていますので、その点は他の女性よりずっと「まし」ではありますけど」
扱っているメインが女性用品であるナプキンであるのも、それに拍車をかけるだろうとアリアは続けた。
「腹の立つ話ですが、男性、特に年配で高い地位にいる方ほど、女性のやることなすこと、女子供の遊びの延長であると頭から決めてかかる人が多くなります。富豪の愛人が店を持たせてもらって商売をするというのも珍しくありませんし、そうした意識は理屈ではないので」
「そうですね……」
オーレリアがウォーレンの婚約者になったことも、そうした社会の偏見のようなものが理由のひとつだ。
ただ自由に、足枷なくやっていきたいと思うことが、こんなにも難しい。
つい物憂げな気持ちになっていると、アリアはふふっ、と笑った。
「悪いことばかりではありませんよ、オーレリア。そうやって最初に舐められるだけ舐めさせておけば、誰が信用できて誰が信用できないか、ふるいにかけられるというものです」
「ふるい?」
「ええ。来年の夏にはエアコンを、その信頼できる筋を中心に、一気に広げていきます」
アリアはにっこりと笑う。
その笑みは勝負に挑む戦士のように好戦的なものだ。
「上流階級から庶民にまで必要とされるナプキンと違い、こちらは当面、高い身分の方や羽振りのいい商会、半公共事業としても運用できる大口の取引になります。私たちを若い女だ新規の商会だという色眼鏡で見ずに信頼を積み重ねてくれた方を優先するのは、商売上の義理でもあり、人情でもありますよね」
王都は流行に敏感で、流行に乗り遅れるのはメンツに関わることすらあるのだという。
同じ規模の商会で、エアコンが付いた本店とそうでない本店が並んでいた場合、人々は流行を取り入れている方をより先進的で見る目があると判断し、そうした人の目は、大きな経済効果につながるのだとアリアは言った。
「実際、その人の能力ではなく属性で判断するような方は見る目があるとは言えません。今王都は、いえ、大陸中が大きな変化の中にいます。昨日は非常識だったことが、明日には当然のものになっている、そんな時代のうねりの中で、古い価値観を捨てきれない者はどんどん進む道が狭くなっていくでしょう。多くの人がそれを感じ取っている中で、常に新しいものを取り入れる姿勢はその商会に未来があるのだと、感じさせるものです」
女性だけが必要とし、かつ身に着けているか分からないナプキンと違い、立ち入ればすぐに設置していると分かるエアコンの印象の強さは段違いだ。
「春の終わりが来るまでにこちらはある程度の量産体勢を整えておきます。また、それまでに吸収帯の生産と付与術師の雇用を済ませ、夏以降、オーレリアはエアコンの付与に専念してもらうことになると思います」
「分かりました」
「ふふ。各ギルドに銀行、庁舎や貴族の屋敷に王都の大店、あらゆるところにエアコンを設置し、商会の名前を刻むのが楽しみです。――ああ、商会の名前を決めなければいけませんね。フスクス商会でも構いませんが、音が綺麗なので、オーレリア商会にしますか?」
「いえ! それはさすがに!」
いくらなんでも、自分の名前を全面に出して商会名にするのは恥ずかしい。しどろもどろにそう告げると、アリアはおかしそうに笑った。
「大抵の商会主は、自分の名前を商会名にして名を広げたがるものですけど、オーレリアらしいですね。うーん、最近は人の名前ではなく、言葉遊びのような名前をつけるのも流行していますよ。例えばこの間行ったカフェのボヌール・ドゥスールは、甘い幸福という意味ですし、中央区のチョコレート店のミル・フルールは、口の中で開く千の花をイメージして付けているそうですよ」
「あ、そういうのがいいです。ぱっとは思いつきませんが」
「長く使う、下手したら一生の付き合いになる名前ですから、人に覚えてもらいやすいようあまり長すぎず、印象的で、かつ私たちも愛着が持てる名前がいいですね。ふわっとオーレリアを連想できれば、なおいいです」
「難しいですね……」
そうしたセンスが自分に備わっているとも思えないけれど、かといって自分たちの商会の名前である、適当に決めるわけにもいかないだろう。
前世には非常に印象的で世界的に名の知れた大企業もたくさんあったけれど、そこから引用するのもやはり違う気がする。
アリアと向かい合ってしばらくうんうんと頭を悩ませたけれど、ふと、昔のことを思い出した。
子供の頃、つま先立ちをして窓の外を眺めていたら、後ろから抱き上げてもらって、高くなった視線から庭に咲く花がよく見えた。
「アウレル、はどうでしょうか」
こちらでは古い言葉で「黄金」を意味する言葉だ。
唐突に感じられたのか、きょとんとした様子のアリアに言葉を続ける。
「私は、五月の末頃に生まれたんですけど、昔、両親と住んでいた家の庭に綺麗なラバーナムの木があったんです」
ラバーナムはオーレリアの誕生日近くに藤に似た形の黄色い花を付ける木で、その花の特徴から金鎖とも呼ばれている。
おぼろげな記憶であるけれど、庭にあった木は立派なもので、毎年初夏になると花が咲き乱れ、それが風に揺れる様はなんとも美しい光景だった。
まだ小さな子供だったオーレリアを抱いて、綺麗だろう、お前の名前はあの花からつけたんだよ、と優しく言ってくれたあの声は、多分、父のものだった。
「金色の花がたくさん咲いている日に生まれたから、光り輝くものという意味のアウレルを今風の音にして、黄金の輝きにしたんだって」
「とても素敵な由来ですね」
「はい、私も今の今まで忘れていましたが。それで、「アウレル」って名前はどうかなと」
「いいと思います。単純に金色は縁起がいいですし、商人はみんな黄金が大好きですから。それに、グレミリオン卿が後ろにいることも意識できると思いますし」
「………あっ」
ウォーレンたちのパーティ名は、言うまでもなく「黄金の麦穂」である。
「あの、今のはあくまで偶然で!」
商会の名前を考えるのに必死で、それを連想したつもりはなかったけれど、言われてみればあまりにも印象が被っている。
「はい、あの、分かってはいたんですけど、唐突に強烈にノロケられたのかと思って、ちょっとびっくりしました」
「違うんです!」
悲鳴のような声を上げたのに、アリアは判っていますよ、と笑っただけだった。
「いいじゃないですか。ラバーナムの花言葉は「黄金の履歴」ですし、私たちにはぴったりですよ。あ、「相思相愛」もありましたっけ」
「アリア!」
発言は慎重に。
そう心に刻みながらも他に候補も出ず、アリアの承認を得て、新しい商会の名前は「アウレル」に決まることになった。




