88.食堂と壊れた靴
エレノアが多忙で面談が早めに切り上げられたため、ウィンハルト家の馬車が迎えにくる時間まで少し余裕があったことと、ケイトの勧めもあって冒険者ギルドの食堂に立ち寄ることにした。
冒険者ギルドの職員食堂は、ギルドの関係者のみ出入り可能な三階の、奥まった場所にあった。
窓が多く採光のよいレストランで、席数も多い。ギルドの取引相手であることを示すカードを提示し、メニューの中からサラダと野菜のマリネの小鉢、トマトソースで調味したマカロニを添えた白身魚のフライを選ぶ。
昼食の時間が逸れているためだろう、利用客は他におらず、オーレリアは窓際の席についた。
王立図書館の職員食堂もかなり充実していて美味しかったけれど、エレノアがそう告げた通り、冒険者ギルドも食堂には力を入れているらしい。サラダの野菜は新鮮でしゃきしゃきとしているし、マリネは程よく甘酸っぱい。フライはちゃんと揚げたてで、フォークを入れるとさくり、と音が立った。
マカロニはソースを限界まで吸って大分くたりとしているけれど、こちらの世界のパスタやマカロニは、オーレリアの記憶にあるものと比べると少々茹ですぎに感じるくらい柔らかく茹でてあるのが普通である。
窓の外を行き交うのは、やはり冒険者風の服装の人が多い。あとは、この近くで冒険者を相手に商売をしている商会の関係者だろう。
武具や防具の専門店は西区に多いそうで、東区は飲食店の他、靴やベルトといった革小物、ゴーグルや地図のような実用品など既製品を扱う店が集まっている。
そういえば、ウォーレンも出会った日にゴーグルを首から提げていたのを思い出す。
風の魔法使いは自分の魔法で目が乾くので、装着する余裕があるときはそういったものを使うらしい。俺は土の属性もあるからなおさらですと、笑っていたのを思い出す。
婚約が調った後に会うことができていないため、未だに彼と自分が婚約者になったのだという実感は得られないままだ。
多分、その実感はないままの方がいいのだろう。
周辺が落ち着いたら、いずれまた友人として仲良く過ごしたいし、いつか婚約を解消する日が来ても笑顔で何も変わりませんでしたねと笑い合いたい。
ナプキンの増産に付与の分担、アリアとの話し合いと決めなければならないことも多い。
私生活をゆっくりと楽しめるのは、もう少し後になりそうだ。
昼食を終えると、東区の広場から二時の鐘が響く音が聞こえてくる。二時を少し回ったところで迎えの馬車が来ると告げられていたので下で待っていようと食堂を出て少し進むと、廊下に並ぶ扉のひとつが開き、おろおろとした様子の女性が出てくる。
柔らかいラインの見慣れないデザインのドレスを身に着けた、オーレリアより少し年上の女性だった。ギルドの職員の格好ではないし、周囲をきょろきょろと見ていて、ひどく戸惑ったような様子だ。オーレリアと目が合うと、少しほっとした様子でこちらに小走りに駆けてくる。
「あの、失礼ですが、ギルドの関係者でしょうか?」
「職員ではありませんが、ギルドと取引を行っている者です。なにかありましたか?」
女性はしきりに出てきた部屋の扉を気にかけている様子で、それが、と小さな声で告げる。
「私は、とある方の付き添いで来た者なのですが、お仕えしている主人の靴のかかとが折れてしまいまして。替えの靴を買いに行きたいのですが、国外から来ているのでこの辺りに詳しくなく、主人を長く一人にすることもできず、難儀しております。必ずお礼をさせていただきますので、靴を買ってきていただけないでしょうか」
女性ははっきりとは言わないけれど、その主人は国外の貴族の女性なのだろう。
この周辺には冒険者用の靴を扱っている店はあるけれど、おそらく身分に合わないし、なにより靴にはサイズがある。
「踵が折れたと仰いましたが、ヒールがぽっきりと折れてしまったのでしょうか?」
「いえ、根元からヒール自体が外れてしまった形です」
「それでしたら、もしよければ靴を見せていただけませんか? 直せるかもしれません。靴だけ見せていただければ、大丈夫ですので」
ヒールそのものが破損してしまっていてはどうしようもないけれど、靴の故障の大半は靴底がはがれるか、接着面から外れてしまったというのが殆どだ。
それならばなんとかなると告げると女性は驚いたような表情をしたけれど、少しお待ちください、と丁寧に言い、出てきた扉に戻っていった。
廊下で少し待っていると、再び扉が開いた時には、さらに困惑したような表情を浮かべている。
「その、中に入っていただくようにということです」
「靴だけ見せていただければ十分ですが」
「きちんとお礼もしたいとのことですので……」
かなり身分の高い人のようだし、靴だけ持ち出して、誰とも知れぬ相手に触れられるのも嫌なのかもしれない。
ここはギルド内であるし、中に入るには明確な身分の証明が必要になるので、そう不穏なことも起きないだろう。
「では、少しだけ。申し訳ありませんが、ドアは開けておいていただけますか?」
「はい、勿論です!」
中に入ると小規模な控室になっていて、ふわり、と甘い蜜のような香りがした。
ソファに腰を下ろしていたのは、長い髪を下ろしふわりと体のラインを出さないデザインのドレスを身に着けた女性だった。整った顔立ちもさることながら、真っ白な肌に銀の髪、金の瞳という宝石が人の形をしているような様子に僅かに息を呑む。
「わたくしはセラフィナと申します。遠く海を渡った国から参りました。この度はお手数をお掛けいたします」
「オーレリアと申します。ギルドと取引をしている付与術師です。靴が破損して替えを必要としていると伺いましたが、サイズなどもあると思いますので、修理ができないか、見せていただければと思います」
緊張しつつそう告げると、先ほどの女性が大きな布を畳んだ上に、片方の靴を載せて差し出してくる。
セラフィナと名乗った女性によく似合うデザインの、光沢のある白いハイヒールだった。小ぶりな真珠と繊細な白糸の刺繍が施され、ヒールの高さは十センチほどである。
そのヒールが、先ほど説明を受けた通り、根元から剥がれてしまっている。靴を覆っていた薄い布も破れて、痛々しい様子だ。
「足を挫いているなら、ヒールの無い靴を用意したほうがいいと思いますが、こちらを直した場合、履いて歩くことはできますか?」
「サーリヤが咄嗟に支えてくれたので、足は問題ありません」
どうやら彼女はサーリヤというらしい。名を呼ばれたことで、靴を持っている女性が軽くお辞儀をする。
「では、こちらを直しますね。背中を向けることをお許しください」
靴を受け取り、二人に背中を向けて靴の裏に【接着】を付与し、ズレないように慎重にヒールをくっつける。ぴたりとくっついたのを確認してから破れた布を指で丁寧になぞってみたけれど、やはりそちらは元通りの見た目とはいかなかった。
だがセラフィナは足先近くまで隠れる長いスカートのドレスだし、外からはほとんど目立つことはないだろう。
しっかりとくっついていることを確認し、サーリヤが持ったままの布に、そっと靴を戻す。
「これで、滞在されているところまでは持つと思います。念のため、落ち着いたら改めて新しい靴を用意してください」
「少し、失礼いたします」
サーリヤはセラフィナの傍に向かうと、自分でもヒールがきちんとくっついているのか確認し、セラフィナの傍に膝をついて、そっと片方の足に靴を履かせた。
セラフィナもリラックスしてサーリヤに足を任せているけれど、そうした光景は見慣れたものではなく、妙にドキドキする。
セラフィナはサーリヤの手を借りて立ち上がると、数歩歩き、まあ、と声を上げる。
「ちゃんと歩くことができるわ! ありがとう!」
「いえ、お役に立てたならよかったです。あの、私はそろそろ迎えの馬車が来るので、これで失礼いたします」
「お待ちください! お礼を」
サーリヤが慌てて駆け寄り、腰に提げたポーチから財布を取り出す。
摘み上げたのが大きな金貨で、思わず後ろに一歩下がってしまった。
レイヴェント王国で流通しているコインの中では金貨が最も価値のあるものだけれど、明らかにそれより大きなものだ。
流通している金貨でも、前世の感覚ならほぼ二十万円ほどの価値に相当する。それより明確に一回り以上大きな金貨となれば、想像もつかない。
「いえ! 直したといっても見た目が元通りになったわけではありませんので、そんなことをしていただくわけにはいきません」
「ですが」
「あの、本当にお気になさらないでください。お困りならできることがあるかもしれないと思っただけですので」
セラフィナはきょとんとしているし、サーリヤも困ったような表情をしていて、この場では快く受け取ろうとしない自分のほうがおかしいような空気だけれど、ギルド内でのあきらかに高貴な相手との金銭のやり取りも、後に何か問題になる可能性もある。
「あの、馬車が迎えにくる時間ですので、私はこれで失礼します!」
「あ、もし!」
じりじりと後ろに下がり、笑顔を作りながらドアを開いて、さっと外にでるとサーリヤの声が追ってきたけれど、セラフィナを一人にするわけにはいかなかったのだろう、外まで追いかけてくるようなことはなかった。
国外から来たと言っていたし、無事滞在先に戻れば替えの靴はたくさん持っている身分のように見えたので、そう心配はないだろう。
旅先でのトラブルはとても疲れるものだ。セラフィナが無事滞在先に戻り、サーリヤも困り顔でなくなってくれれば、それでいい。
階下に降りると、ギルド裏の馬車止めにウィンハルト家の紋章の入った馬車が停まっており、顔見知りになった御者のトーマスがオーレリアを見つけて軽く頭を下げる。
「お待たせしてすみません」
「いえ、大丈夫ですよ」
ドアを開けてもらい、中に乗り込むとすぐに扉が閉まる。
それにほっとしつつ、馬車は中央区のウィンハルト家に向かって走り出した。




