86. 針と糸の娘
「勿論、これからもミーヤさんにお願いできればと思ってますし、とてもありがたいですけど、今よりというのは、ミーヤさんに負担が大きすぎないですか?」
そもそも、ミーヤだけでは追い付かなくなってきたから彼女の伝手を頼って王都のお針子に製作を分散したという経緯がある。
それでも、ミーヤが作ってくれる量は中々のもののはずだ。
王都は今人が集まっていて、とても景気がいい。以前洋裁店にはあまり関係がないと言っていたけれど、人が増えれば繕い物から新しい服の仕立てなど、必要な仕事だって増えるだろう。
そんな中で以前と変わらぬ量を縫い、こうして納品もしてくれている状態だ。今だってそれなりに大変ではないのかと思う量である。
アリアやレオナから散々、無理に働き過ぎないようにと言われているオーレリアである。自分が仕事で人に無理をさせることだってしたくはない。
「手分けして作るようになってから少し手が空くようになって思ったんですけど、私、ずっと縫い物をしているのが好きなんです。いえ、それも本当なんですが、一番はもっと稼ぎたいなって思ってて……あっ、お金に困っているとかではないですよ!?」
心配な気持ちがうっかり顔に出てしまったのだろう、先んじてそう言うと、ミーヤはえへへ、と照れくさそうに顎の辺りを軽く掻いた。
「実は、貯金したいんです」
「貯金ですか?」
「はい。私は家業手伝いなので、家の仕事をしていてもお給料は出ないんですけど、他所の洋裁店の手伝いにアルバイトに出たり個人で受ける繕い物の仕事の報酬は自分のものになるんです。オーレリアさんの仕事もその枠で引き受けたので、吸収帯の製作の報酬は私個人のお金になる扱いで」
家庭内でもそれは認められているらしく、ミーヤ個人の仕事が十分にある場合は家の手伝いにあまり追われることもないのだという。
「私は娘なので、うちの洋裁店は上の弟が継ぐことになっているんです。弟は三つ下なのでまだ成人していないんですけど、やっぱり家は長男が後を継ぐっていう空気がありますし、家族も私もそれが当たり前だと思ってて」
ミーヤなりに、重い話にならないようにと思っているのだろう、うーんと少し考えるように、一度言葉を切る。
「弟が結婚したら、私が実家に居座るのはやっぱりよくないと思うんですよね。だから弟が成人したあたりで他の洋裁店の跡取り息子を紹介してもらって結婚して、そこで変わらずお裁縫をしていくんだと思っていたんです」
「はい」
ミーヤの進路の選び方は、東部でもよく見る流れだったので、オーレリアとしても違和感はない。
同級生にも初等学校を出たら成人まで家業を手伝って、兄や弟がいる場合早々に似たような家にお嫁に行くというのはよく見かけるものだった。
「王都は女性が働くのも珍しくありませんけど、やっぱり女性がお店を持つっていうのは中々難しいんですよね。大体夫婦でやるか、女の子しかいなくて家を継ぐにしても、スーザンさんみたいに旦那さんにお婿に来てもらってからというのが一般的なんです」
レオナも長女でウィンハルト家の後継ぎだが、やはり結婚が必要だったというようなことを言っていたし、オーレリア自身、独身の若い女性ではなにかと障りがあるから確固とした後ろ盾のある男性と婚約したほうがいいという流れだった。
前世では手に職を持つ女性が一人で生きていくのに問題はなかったけれど、こちらではまだまだ女性一人で身を立てるのは、一般的とは言い難い。
「でも、オーレリアさんやアリアさん、ロゼッタさんと話をしているうちに、もしかして結婚しなくても、私だけでもお針子を続けて、自分の店を持つこともできるんじゃないかなって思うようになってきたんです!」
ミーヤは握りこぶしでまっすぐにオーレリアを見つめて、勢いよく言った。
「私、お裁縫が好きです。ずっと何かを縫っていたいし、作っていたい。同じ物をずっと作っていても全然苦にならないし、新しい物に挑戦だってしていきたいんです。誰かに合わせて生きるんじゃなくて、自分で好きなだけ仕事をしていたいんですよね。でも、お店に所属しないお針子ってすごく仕事が不安定で、店の手が足りないときの助っ人要員にしかなれないんです。かといって、弟の代になった実家にずっと居座るなんていうのも肩身が狭いですし、小さくてもいいので、自分の店が欲しいんです。だから弟が成人するまで――いえ、だれかいいお嬢さんと婚約するまで、コツコツお金を貯めて、その頃には王都の地価の高騰も落ち着いているでしょうし、小さな貸店舗を借りて自分のお店を開きたいなって」
「ミーヤさん……すごいです」
勢いよく言い切ったミーヤに、素直にそんな言葉が出た。
夢を語るミーヤはまっすぐだし、亜麻色の瞳はキラキラと輝いて、希望に満ちていた。
「まだ全然、夢の夢ですけどね。私自身将来は結婚して旦那の店を手伝ってなんて漠然と思ってただけですし、こんなことを考えるようになったのも、本当に最近のことで」
照れくさそうに笑って、だからお仕事があったらたくさんください、とミーヤは言った。
改めて、吸収帯に目を向ける。
ミーヤの腕は確かだし、細やかな気遣いも感じられる。これまでたくさんお世話になったし、これからもそうありたい。
何より、信頼できる人だということは、確信できる。
「ミーヤさんが体を壊すほどのお仕事はさすがに無理ですけど、私もこれからも、ミーヤさんとお仕事をしていきたいと思っています。今後も相談に乗ってもらいたいですし、よろしくお願いします」
「はい、是非お願いします!」
快活に言って、ミーヤはふう、と緊張の糸が切れたようにため息をついた。
「洋裁店にならともかく、自分あてにお仕事をくださいっていうの、緊張しますね。これからたくさん練習していかないと」
「ミーヤさん、緊張していたんですか?」
「それはしますよ! マルセナ洋裁店の仕事は結局、父の名前でやっているものですから責任を取るのだって父ですけど、私が私の仕事を取るのは、私の腕を信じて下さいって意味ですから。信頼は裏切れないし、失望されたら先はないかもしれないですし、作り手としては、緊張のしっぱなしです」
前世の記憶があり、付与の術式をその中から豊富に引き出せるため、反面、自分には付与術師としての誇りや気概のようなものを育てる経験がなかった気がする。
ずっと糸を通した針を手に、技術を積み上げてきたのだろうミーヤが、なんだか眩しく感じられた。
そんな彼女が走り出す背中を、ほんの軽くでも自分が押してしまったということに、かすかな緊張と共に、背筋が伸びる思いもある。
「ミーヤ洋裁店のオーナーになっても、ずっとよろしくお願いします」
「勿論! こちらこそ、よろしくお願いします!」
ミーヤの笑顔は眩しくて、未来には明るいものしか待っていないように見えた。
それは、アリアやロゼッタと話していても、時々感じるものだ。
――私も。
なりたい自分に向かって思い切り走り出せるような、そんな自分になりたい。
気まずい、面倒だ、どうせなにも変わらないと逃げて、投げ出して、自分のことすら大事にできなかった過去と決別して、明るい方にひたむきに走り続けるように。
「緊張したら喉が渇きました」
「あ、新しいお茶を淹れますよ。貰い物のお菓子もあるので、時間があったら食べていきませんか?」
「嬉しいです!」
ほのぼのと笑い合いながら、オーレリアは自分の中に灯る温かくもはじけそうな気持ちに、少し戸惑いも感じていた。




