80.明るい未来の話
「いやぁ、まさかオーレリアさんとウォーレンが婚約なんて、意外だったなぁ。何回聞いてもまだびっくりするよ」
新聞を広げてニュース欄を読み上げたジェシカのとなりで、ジーナは頭の後ろで腕を組み椅子をぎしぎしと鳴らしながら弾んだ声で言った。
「本当に、お見合いの席に行ったらたまたま再会なんて、ロマンチックですねえ。小説に仕立てたら、きっと出版社がいいお値段で買ってくれると思います」
「いえ、さすがにそれは。思ったより注目されてしまって、戸惑っているくらいで」
「そりゃあ、陞爵したばかりのグレミリオン侯爵が電撃婚約だもんな。相手は新進気鋭の付与術師。ギルドにも問い合わせが続いてるって話だし。オーレリアさんは、もうしばらくは表には出ないようにするんだろう?」
「はい。そもそもオーレリアは技術者ですし、婚約者に婚約した相手の家の社交をする義務はありませんから、顔出しをするメリットもありませんし」
ちびちびと林檎のシードルを飲みながら、やや憮然としながらアリアが答える。
あの後、改めてウォーレンと会えなかった間の話で盛り上がっていたところにエレノアたちも合流し、以前からの知り合いだったと明かせば後はとんとん拍子に話が進むことになった。
いいことに急ぎすぎはないのだと言われ、オーレリアはレオナが、ウォーレンはエレノアがそれぞれ後見人として立ち合い、婚約の約束をして数日後には新聞の告知欄に婚約の報せが載ることになってさらに数日。メディア欄は新たな侯爵とその謎の婚約者について、あらゆる憶測を交えた記事を掲載し続けている。
ウォーレンが貴族であることも驚いたけれど、秋には侯爵家の当主になるのだと聞かされて盛大に冷や汗をかいたものだった。
彼を悩ませている「父親」が、この国の国王だと説明を受けた時は、魂が口から抜けて、次の転生に向かうかと思うくらい驚いた。
ウォーレンが言うには、彼はとっくに王族籍は抜けていて第一王子の座も弟に繰り上がっているのだという。何が起きてもウォーレンが王位を継ぐことはないし、王族と結婚する以外でウォーレンの子が王族籍を得ることもないと説明された。
ただ、血の絆というのは公的な籍がどうこうで割り切れるものでもないのだろう。
彼がどれだけ悩んでいたのか僅かでも垣間見てしまったから、早くに両親を亡くしたオーレリアがほんの少しだけそれを羨ましいと思ったことは、決してウォーレンには言えないことだ。
「オーレリアさんの元婚約者のクソ野郎……っと、口が悪くてごめん! その新しい婚約の証拠も出てきたんだろ?」
「はい。逆に私との婚約は告知していなかったので、社会通念上の相場の慰謝料が取れるかは分からないらしいですが、アリアのお姉さんがきっちり釘を刺しておいたと言ってくれました」
レイヴェント王国では婚約に特別な届け出は必要ないけれど、お互い婚約の合意の後でこうして新聞で公に告知することで、実質的に婚約が成立したと認知される。
婚約には一定の社会的責任が伴うので、互いの合意以外の破棄は慰謝料が発生したり訴訟の対象になったりもする。
アルバートとオーレリアの場合、婚約の仲介に立った者を召喚して法廷で争うことになるので、もう少し時間がかかるとのことだった。
「王都の人間はお祭り騒ぎが好きで情に厚いから、そういう経緯も新聞に載せちまえば、その元婚約者の商会も終わりだと思うけどね」
「いえ、そこまでは望んでいません。商会にも従業員がたくさんいますし、新しい婚約者の方にも、肩身の狭い思いをさせてしまうと思うので……」
「オーレリアは優しすぎますよ。婚約や婚姻は相手と責任を共有することでもあるんですから、メリッサ・ガーバウンドだってそれくらいの覚悟はあるでしょう」
私設図書館の司書だったアリアは、付与術師としての派遣を拒んで宮廷付与術師を辞したメリッサにも元々いい感情を抱いていなかったこともあり、辛口の意見だ。
けれど結局、彼女が怒っているのはオーレリアのためだと伝わってくる。
「私、もう、本当にどうでもいいんです。アルバートさんのことも、ヘンダーソン商会のことも、この先私に関わってこなければ」
アリアのグラスに林檎のシードルを足して、自分のグラスにも注ぐ。今年の秋は林檎が豊作だったそうで、人の出入りも増えてあちこちで王都名物の林檎製品が出回っているけれど、爽やかな甘みと酸味のバランスがよく、とても美味しい。
「オーレリアさんにはそんな暇もありませんものね。告知されたことで、オーレリアさんたちの仕事もすごく増えたんじゃないですか?」
「手が回らない勢いですよ。もしかしてエレノア様は、最初からこれが目的だったのではないかと思うほど、露骨に増えましたね」
「最近は特に貴族向けの受注が多くて、吸収帯を作ってくれている洋裁店もかなり他の仕事が圧迫されているようで、お針子さんの伝手を辿って対応してくれているんですが、いっそ吸収帯専用に別部門を立てようかという話になっています。急に話が大きくなってしまって」
最も吸収帯を作り慣れているミーヤには現在、貴族向けのテキスタイルを利用した吸収帯の製作に集中してもらい、マルセナ洋裁店の横のつながりで各工房に発注を掛けてもらっているところだ。
最終的な品質のチェックはオーレリアが行っているが、みなプロのお針子であり、元々オーレリアの手縫いだったところからスタートしたことを考えると問題ないラインを保っているけれど、どの工房も他の仕事の合間に引き受けてくれている状態なので、ずっとこのままというわけにはいかないだろう。
付与術師の育成とともに、そうした部分を請け負ってくれる他の商会との取引も視野に入れていく必要が出てきている状況で、毎日考えることは山積みになっており、アルバートのことはどんどん端に寄せられていった。
「最初にナプキンに興味を示していたご婦人方は、お茶会では先見の明があったって鼻高々ですよ。おかげでウィンハルト家を通しての依頼が増えてしまって、オーレリアにも負担が掛かってしまっているのですが」
「いえ、お仕事が多いのは嬉しいですから」
「あたしらも来週のパレードが終わってしばらくは忙しくなるだろうけど、それが終わったら色々お祝いをしたいね。二人の事業が上手くいきそうなお祝いと、黄金の麦穂のエディアカラン制覇の正式なお祝いと」
「ウォーレンとオーレリアさんの婚約のお祝いも、全部兼ねてうんと盛大にしましょう。アルにミートパイを焼いてもらわないといけませんね」
「うんといいビールを樽で買ってこないとなぁ」
ジーナとジェシカは楽し気に笑い合っていて、アリアも商売が上手く回り始めたこと自体に不満はないのだろう、ようやく唇を綻ばせてくれた。
「冬になる頃には、色々と落ち着いているといいですね」
「そう願います」
明るい未来の話ができるのは、それだけで気持ちが軽くなる。
自分を大切にしてくれる人たちと、もっといい未来に進んでいけたらいい。
そう思いながら笑えるだけで、今は十分、幸せだった。
これにてオーレリアの第一章完結です。
次回から第二章に入ります。
メッセージも色々と頂いているのにお返事ができていなくて申し訳ありません……。全てありがたく読ませていただき、感謝しています。




