78.再会と思わぬ誤解
風が走り去ると、残ったのはお互いどこか呆けたような沈黙だった。
どうしてウォーレンがここに? と思った時、真っ先に思ったのは今日会う相手の護衛として来ているのだろうかという可能性だ。ここはエレノアの屋敷で、随伴しているウォーレンも正装していてもおかしくはないだろう。
ウォーレンがそうした依頼を受けられるならば、真っ先に黄金の麦穂のメンバーに連絡が行くはずだ。ここしばらくオーレリアはウィンハルト家に寝泊まりしていて拠点に戻れない日々が続いていた。もし拠点に戻れていたら、ジーナやジェシカを通して彼の帰還を知ることができたかもしれない。
「あの、オーレリアさん、だよね」
「……はい」
ガゼボの低い階段を降りて、こちらに歩み寄ってきたウォーレンに尋ねられ、頷く。
「その……どうして、オーレリアさんがここに。いや、すまない。かなり混乱していて」
丁寧に髪をくしけずって軽く後ろに流し、貴族の男性らしいモーニングに身を包んでいても、困ったような戸惑ったような表情は紛れもなくオーレリアの友人であるウォーレンのもので……それにほっと息が漏れた。
「私も、かなり混乱しています。あの、私はここに」
お見合いに来たのだと言いかけて、言葉が詰まる。
オーレリアの予想通りウォーレンが「お見合い相手」の護衛ならば、ウォーレンの前でそれを行うことになる。
今回のお見合いと、それに続く婚約はあくまで形式的なものであり、五年ほどで破棄を前提にしているけれど、それでもひどく抵抗を感じてしまう。
「その、他に人は?」
「え? ええと、後から来ることになっています」
「そうか……俺が、オーレリアさんに席を勧めても、大丈夫かな?」
その質問の意味は分からなかったけれど、座って話をすることに問題はないだろう。頷くと、右手を差し出される。
「その、今日はドレスで、スカートの裾が長いから」
「――ありがとうございます」
ウォーレンの手を取り、もう片方の手でスカートを軽くつまんでガゼボの階段を上る。中はお茶のセットと軽い軽食が用意されていて、テーブルの中心にはエレノアの庭で咲いていたのと同じ薔薇が飾られていた。
周囲には人気はなく、さり気なく辺りを見回しても他に人影らしいものはない。ただ美しい薔薇が咲き乱れている庭園があるばかりだ。
「なんだか、すごく久しぶりに会う気がします。最後に会ってから、二か月くらいしか過ぎていないのに」
「私もです。その、ご無事そうで、よかったです」
以前のように冒険者らしい服を着古しておさげを下げた姿とはあまりにも違うせいだろう、お互いうまく言葉が出てこないことに気づいて、全く同じタイミングでふっ、と笑ってしまう。
そうして笑えたことで、肩の荷が下りた。
「すみません! 少し会わない間に本当に綺麗になっていて、緊張してしまった!」
「私も、ウォーレンさんが全然違っていて、びっくりしました!」
「でも本当に……あ、女性の容姿について言うのは、失礼ですね」
「いえ、変わったってよく言われますし、自覚もあります。その、今日も一緒に来ている友人がとてもおしゃれな人で、色々と教えてくれて」
「ああ……」
何かに納得したように頷くと、ウォーレンは少し冷めているけど、とポットからお茶を注ぎ、差し出してくれる。
「その、友人とは、仲がいいんですか?」
「はい。優しくて、誠実で、とても信頼している人です。王都に来たばかりの頃、どれだけ彼女に助けられたか分からないくらいで、今もたくさん支えてもらっています」
「そうなんですね……」
なぜか気欝そうに応じて、ウォーレンは何かを考え込むように少し黙り込む。
「オーレリアさんは、図書館で働いているって言っていましたけど、その人とも、そこで知り合ったんですか?」
「え? はい、そうですね。私がアルバイトしていた図書館で、その方が司書をしていたのが縁になりました」
「その人は、今は、事業をやっています?」
「はい。ええと、何か気になることがあるんですか?」
どんどん言葉が重たくなっているような気がして首を傾げると、ウォーレンはなんとも気欝げな様子だった。
さりげなく、左手が胃の辺りを押さえているのがさらに気になる。
ウォーレンは何かを言いかけて、口を噤み、さらに唇を震わせて、ぎゅっと引き締める。その間にもどんどん顔色が悪くなっているように見えて、向かいに座っているオーレリアの方も焦ってきた。
「あの、何か気になることがあるなら、遠慮なく言って下さい。私、ちゃんと聞きますから」
ウォーレンは思慮深く、不躾に踏み込んでくるのを嫌う人だ。何度も一緒に出掛けて食事やお酒を共にしたけれど、それが崩れたことは一度もなかった。
その彼がこんな風になっているということは、よほど何か懸念があるのだろう。
「……その、しばらく留守にしていたのは、家のことが色々とありまして」
「はい」
「情けない話ですが、父親に断りにくい結婚を勧められていて、相手も他に想う人がいるとはっきりと言っているのですが、条件が釣り合うという理由で、俺との結婚には前向きで」
「……はい」
「家とその相手の目的は、結婚して……子供を作って、その子供を、さらに別の子供と結婚させるというもので。俺は、それだけは、どうしても避けたいんです」
「………」
再会そうそう、かなり重たくも彼の個人的な事情に踏み込んだ話になってしまい、戸惑ったものの、ウォーレンがあまりに辛そうな様子なので言葉を挟むこともできなかった。
聞いていると伝えるために頷くと、だから、と目を伏せて、唇を震わせる。
「俺は父の愛人の子で、家からはとっくに独立していたんですが、父の正妻が亡くなったことと、俺が冒険者として成功したことで、父は俺を家に連れ戻そうとしていて……相手の女性は結婚適齢期なので、数年、五年ほども逃げ回れば、俺を待つということはしない――彼女の身分が、それを許さないと思います。だから、その間俺と婚約してもいいという人を、探していました」
「……ウォーレンさん」
「エレノアさんは俺の父方の親戚なのですが、母と仲がよくて、俺も子供の頃に、よく遊んでもらったんです。今の俺の状態を見かねていつまでも家に閉じ込めていたら病気になると父を説得してくれて、こうして連れ出してくれました」
つまり、冒険者をしているけれどそもそもウォーレンは貴族の出身だったということだろう。父親に家に連れ戻されて意に沿わぬ結婚を勧められ、なんとかそこから逃げ出したいと思っている、という状況らしい。
黄金の麦穂のメンバーがウォーレンについて言葉を濁し続けていたのも、パーティを解散していつでも身軽に動ける立場になっていたことも加味すれば、ウォーレンの父は相当強引に、彼を家に連れ戻そうとしているのが窺えた。
これまで接してきた彼からすれば、他に思う相手がいる女性と、さらに子供まで政略結婚を前提にしている結婚を忌避するだろうことは、理解できる。
そして、紛れもなく今日の「お見合い相手」は彼だったわけだ。
「あの、大丈夫ですか?」
「えっ」
「顔色、すごく悪いです。それに、ずっとそんな状況だったなら、すごく辛かったんじゃないかと思って」
暮らしている場所が居心地が悪い辛さは、オーレリアにも覚えがある。
ウォーレンはとても頼りになる人だけれど、優しくて、精神的に追い詰められやすい部分もある。
会えなかった間、文字通り胃をすり減らすような思いをしていたのではないだろうか。
「……オーレリアさんは、変わらないですね。すごく綺麗になったけど、知り合ったばかりの頃からずっと」
どこかほっとした表情で、ウォーレンは少し沈黙し、それから深々と、頭を下げた。
「俺は、自分のことでいっぱいいっぱいで、相手にも利がある婚約ならと、他の女性を婚約者にして現状から逃げ切れるならなんて思ってしまいました。それが誰かの……オーレリアさんの大事な友達だったらなんて、考える余裕もなくて」
「えっ」
「仲間のところに戻りたくて、あの家から逃げ出したくて――ひどい選択をするところでした。ご友人にもきちんと、こんな話を持ち掛けて申し訳なかったと謝罪します」




