72.トラブルと決意
今日は二話更新しています。未読の方は一話前から読んでいただければ幸いです。
「アリア、黙っていないで、ほら、乗ってもらいなさい」
馬車の後ろから促されたことで、彼女の姉のレオナも同上していたことに気が付く。同道するとは聞いていなかったので、少し驚いた。
「レオナさん」
「オーレリアさん。少しぶりね。急遽で申し訳ないけれど、私も同行させてもらうことになりました」
レオナはアリアやオーレリアが上着付きのワンピースにまとめ髪という略装であるのに対し、ウエストを絞ったアフタヌーンドレスに羽飾りのついた帽子をかぶった、貴族の女性の日中の正装をしている。
御者の男性にエスコートしてもらって馬車に乗ると、アリアは何かを言いかけて口をつぐみ、また何かを言いかけて、ぎゅっと膝の上で手を握る。
アリアは可愛らしい見た目に反して、物事に対してしっかりとした意見と物言いをする人だ。
「あの……何かあったんでしょうか?」
いつにないアリアの様子に、緊張で手のひらにじわりと汗が湧く。
レオナが――オーレリアの正式な後見人であるウィンハルト家の時期当主が同行したということは、それが必要な事態が起きたのだろう。けれどそれがなんなのか、見当もつかない。
「私もエレノア様からできれば私も同席したほうがいいだろうと連絡を頂いただけで、詳しいことは分かっていないの。ただ、エレノア様はいたずらにそういうことをする方ではないから、あなたたち二人で判断するには少し重い話があると見た方がいいと思うわ」
どうやら、レオナも詳細は聞いていないようだった。けれどいつにない厳しい表情が、彼女にとってもこの呼び出しがあまり愉快なことにならないと予感させていると感じさせる。
「あなたたちには、何か心当たりはないの? 納品したものに不備があったとか、あちらの条件をかなり強引に無視したとか」
「するわけありません。検品は洋裁店と付与を行うオーレリアが二重にチェックしていますし、貴族向けはさらに私も検品に立ち会っています。条件に関してもきちんと話し合いをして納得した内容で行いました。そもそも、よほど大規模な不備でなければお姉様が呼び出されるようなことがあるはずもないです」
「そうよね。オーレリアさんはしっかりした人だし、あなたがついていてその可能性はないと思うわ。だとしたら、製品に対してどこかから横やりが入ったか、もしくは……」
ちらり、とレオナの水色の瞳がオーレリアに向けられる。
「どちらにしても、エレノア様から話を聞くしかないわね。ナプキンに関しては、ようやく女性冒険者に十分な数が回り始めたばかりだし、案外正式なスポンサーの申し出とか、急ぎ近隣の大都市の支部にも回したいとか、そういう話かもしれないし」
「だといいのですけれど……いえ、無茶な発注の申し出は困りますが、悪いニュースでないならそれでいいです」
話しているうちに、すこし落ち着いてきたらしい。アリアの顔色は最初より少し良くなっていた。
「アリア、大丈夫ですよ。私も頑張りますし、どんなお話でも、きっといい方に進みます」
「オーレリア。――そうですね。私もしっかりしなければ」
ふぅー、と尾を引く息を吐いて、顔を上げたアリアは、いつもと同じ笑みを浮かべていた。
「私とオーレリアがいれば、どうとでもなります」
「はい」
少し空元気ではあるけれど、話を聞く前からあれこれ想像して頭を痛めても仕方がない。
どんなときだって、何かが起きてしまえばなるようにしかならないことはオーレリアにも分かっている。
それができる限りいい方向へ進むように、努力するだけだ。
***
明らかに貴族らしい格好をしたレオナが一緒だったこともあるのだろう、冒険者ギルドに入るとすぐに職員が駆けつけてきて、レオナが名刺を渡すと先日も通された応接室に案内された。
お茶が出ると、ほとんど待たされることなくエレノアが入室してくる。落ち着いた声で職員に人払いをするように告げるとオーレリアたちの向かいの席に座り、ほう、とため息をついた。
「お久しぶりね、レオナさん。急な呼び出しをして、ごめんなさいね。驚かせてしまったのではないかしら」
「お久しぶりです、エレノア様。いえ、必要があってのことだと思いますので、どうかお気になさらないでください」
「ふふ、本当にご立派になられたわね。ゆっくりとお話をしたいところだけれど、そういう気分でもないでしょうから、単刀直入にお伝えするわ。オーレリアさん」
「はい」
「ヘンダーソン商会の副会頭であるアルバート氏から、彼があなたの婚約者であり、あなたの展開している事業の権利はヘンダーソン商会にあるため、現在ギルド内で流通しているナプキンの取り扱いを一時制限するように連絡がありました。こちらに心当たりはあるかしら?」
ひゅっ、と喉に入り込んだ空気が、奇妙な音をたてた。
まさかここでアルバートの名前が出てくるとは、完全に予想外だった。
落ち着けと、自分に言い聞かせる。
アルバートが絡んだ話ならば、オーレリアの問題だ。後見人であるレオナまで同席してくれている。ここで動揺して、醜態を見せるわけにはいかない。
「――ヘンダーソン商会とは、確かに縁談の話がありましたが、あちらが新しい婚約者を迎えることになったので、私との婚約は破棄になりました。ご本人から直接そう言われました」
「婚約破棄について、弁護士を通して正式な破棄と慰謝料の受け渡しは行ったかしら?」
「いえ……。私は一人で王都に来たので、紹介人を同行していませんでしたし、その時は王都に頼るひともいなかったので。ただ慰謝料は、頂いた支度金を返還しなくていいという条件でした」
「それについては、当家でも調査を行いました。新しい婚約者はメリッサ・ガーバウンドという元宮廷付与術師で、すでにヘンダーソン商会の事業にも関わっていますし、間違いなく新しい婚約は調っているはずです」
レオナがオーレリアに続いてそう言ってくれたことで、エレノアはほう、と息を吐く。
「それならよかったわ。……ウィンハルト家が後見についているなら間違いないだろうと、ギルドの方でオーレリアさん個人の調査は行っていなかったので、あちらの言い分とどちらが正しいのか判断ができなかったの。ということは、ヘンダーソン商会に関しては婚約破棄をした女性の成功を横からかすめ取ろうとしている、ということでいいのね?」
「それが、現在、少々ヘンダーソン商会とは揉めていまして。おそらくそれもあって、強硬手段に出たのだと思います」
レオナの言葉にオーレリアとアリアの視線が彼女に向く。
二週間ほど前に鷹のくちばし亭に押しかけられて以降、ヘンダーソン商会とのやりとりはウィンハルト家の弁護士に任せてある。結果が出たら連絡すると告げられて、それから音沙汰はないままだ。
「あちらは、あくまでやりとりに行き違いがあってオーレリアとの婚約は無効にはなっていないと主張しています。どうやら新しい婚約者のメリッサ・ガーバウンドが王都を出てしまったようです」
「それは、あちらとも破局したということなのかしら?」
「それが、メリッサにはそのつもりはないようなのです。女優である母親が別の街にいるので、そちらを訪ねていっただけのようで」
エレノアが訝し気に少し首を傾げる。
オーレリアも、それでなぜ婚約破棄をした自分に絡んでくるのかと不思議に思った。
「元々ヘンダーソン商会は現在商会の舵を切っているアルバート氏が実質商会を回すようになってからは手堅く事業を安定させていたようですが、王都は今、大変な好景気であらゆる商人が稼ぎ時に浮足立っている状態です。これを機に会頭の作った負債を返済しようと計画していたところに、当てにしていた付与術師が王都を出てしまって、事業計画が混乱しているのでしょう」
レオナは冷笑を浮かべ、だが感情を抑えた、静かな声で続けた。
「おそらく現婚約者の付与術を軸に商売を拡大しようと、あちこちの商会にも話を持っていったのでしょうね。当の婚約者がふらふらと旅行に出かけるとは、ヘンダーソン商会の副会頭も予想外だったのだと思います」
「まさか、それで自分が不義理した元婚約者であるオーレリアさんを連れ戻そうとしているのかしら。けれど、その新しい婚約者と婚約を破棄したわけではないのよね? いずれ彼女が戻ってきたら、どうするつもりなのかしら」
「あまり心地よい想像とは言えませんが、正式に婚約破棄をするまでは婚約者であるという形でオーレリアさんを付与術師として働かせ、その成果もかすめ取って、今の婚約者が戻ってきたら「正式な婚約破棄」を行って出て行ってもらう。そう考えているのではないでしょうか。当家の弁護士とのやりとりでも、婚約破棄を行っていない以上オーレリアさんはヘンダーソン商会の人間であり、他人が口を出すことではないとかなり強気な論調でしたので」
「――ッ」
アリアが小さく声を殺した音が、響く。
ぎゅっと握られた小さな手は、膝の上で小刻みに震えていた。
その唇はぎゅっと引き結ばれ、頬が赤く染まっている。
これまでも憤慨してみせる姿は何度か見たことがあるけれど、アリアがこんなに怒りをあらわにしているのを見るのは、初めてだった。
――アリア、私のために、そんなに怒らなくても大丈夫よ。
そう言おうとして、きっと、そんな言葉はアリアは喜ばないと飲み込む。
オーレリアは、自分のために怒ることが苦手だ。怒りも悲しみも、それを受け止めてくれる人がいなければただ空しいばかりだと、とっくに理解している。
けれど、オーレリアのそんな部分を、きっとアリアは喜ばないし、むしろ悲しませてしまうだろう。
ゆっくりと目を閉じて、息を整えて、顔を上げる。
今の自分は、独りぼっちで誰も頼れる相手がいなく、誰からも大事にされていない、何も持たなかったオーレリアではない。
自分を大事にしてくれる人たちのために、オーレリア自身も、自分を大事にしなければならない。
「レオナさん。私は、どうすればいいですか」
だから、静かに聞いた。
ずっと自分のために怒ることをせず、揉めるのを避けてなあなあにしてきたツケが、今のしかかってきているならば。
自分は、ちゃんと怒らなければならないのだろう。
「教えてください。どうすれば、そんな馬鹿げた話を、なかったことにできますか」




