70.司書と貴族女性の社会進出
冒険者ギルドを辞したあと、拠点近くまでトラムで戻り、屋台で軽食を購入して四人で拠点に戻ることになった。
オーレリアは夕刻から少し付与の作業をするつもりなので、ビールではなくお茶を淹れることにする。
「オーレリアさんの淹れるお茶は本当に美味しいですね。温かいお茶が飲めるのは本当に嬉しいです」
「あたしが淹れたお茶には文句ばっかりのくせに」
「ジーナ、ポットに茶葉と水を入れて火魔法で沸騰させたものをお茶と呼ぶのは、お茶に失礼ですよ」
「味は出るだろ!」
「渋みも出て、香りは消し飛んでいますけどね」
ジェシカがおっとりと言い、ジーナが肘でジェシカの腕を軽く突く。二人は性格も口調もまるで違うけれど、遠慮のないやりとりをして笑い合っていて、とても仲が良く、よくこうしてじゃれあっていた。
「私もお茶を淹れたことはなくて、オーレリアに任せきりですみません」
「いえ、慣れている人がやればいいと思います。それに、私もお茶を淹れるのは別に上手くはないですよ」
いいところ普通という程度だろう。ジーナやジェシカは普段全く料理をしないというけれど、使用人にお茶を淹れてもらっているアリアには物足りないはずだ。
「オーレリアが淹れてくれたというだけで、特別に美味しいですよ」
そんなことを考えていたのが透けて見えたらしく、アリアはにっこり笑って優雅な手つきでカップを傾けていた。
「王都では料理をしないのは普通だしねえ。この拠点はアルフレッドが絶対キッチンが欲しいって言うから増設してるけど、元々の建物にもなかったし」
王都は屋台文化が充実していて、家庭で料理をしないことも多い。最初からキッチンがついていない物件もそれなりにあるのだという。
この拠点には裏庭に井戸もあるけれど、簡易キッチンには水道もついている。ビールやワインも嫌いではないけれど、水やお茶を飲みたい時も多く、都度井戸から水を汲むのは意外と大変な作業なので、とても助かっている。
黄金の麦穂の会計士と名乗っていたアルフレッドだが、実際には武器や防具の管理から各種書類仕事に加え、探索中の食事の用意も彼が受け持っているのだという。
「冒険者って、特に探索中はしっかり煮込んで塩振って食べればそれでいいって考え方する連中ばっかりなんだけどさ、アルフレッドは毒のあるなしにも詳しいし、甘いとか苦いとか味にもこだわりが強くてね」
「私たちはみんな料理できないのですけれど、ウォーレンは時々手伝っていましたよ。解体の手際がいいってアルも褒めていました」
「そうなんですね」
ウォーレンの名前を聞いて、ほんの少し、胸がちくりと痛む。
オーレリアが知っているのは街にいる時の彼だけだ。ウォーレンがどんな冒険者だったのか色々と聞きたいと思う気持ちもあれば、彼のいないところで人づてに話を聞くのは悪いような気持ちもある。
ただ、漏れ聞く話から推察するに、パーティでもとても頼りにされていて、そしてみんなと良好な関係だったことは伝わってくる。
同じパーティのメンバーすら連絡がつかなくなってしまったという彼は、今、どこにいて、どうしているのだろう。
オーレリアには彼が健康で、元気でいてくれればと祈ることしかできない。
「それにしても、エレノアさんとお話するの、緊張しました。なんというか、圧倒されてしまって」
さり気なく話を変えると、三人がそれぞれ「ああ」と言いたげな表情になる。
「エレノアはなー、なんていうか、迫力というか、凄みがあるよな」
「冒険者ギルド本部の副長は、王宮の会議にも出席できる立場ですものね」
うんうんと頷いて、アリアは屋台で買ったビスケットにチョコレートを塗ったものを半分に割り、口に入れる。
「エレノア様は、お姉様より上の世代の貴族女性のカリスマのような方ですから。まあ、なんというか、とてもすごい方なんですよ」
エレノアは、王都の貴族女性の社会進出の先駆けにもなった人なのだとアリアは続ける。
「エレノア様が司書として王立図書館で働き始めた時は、それこそ連日新聞の一面を飾るほど、大騒ぎだったそうですよ。前代未聞ということもありましたが、深窓の令嬢に仕事をさせるなんてとご実家もそれなりにバッシングされたそうですし、ご本人も何かと噂の的になったでしょうし」
元王立図書館の司書といえば、レオナと同じ立場だ。
オーレリアもしばらく王立図書館で働いていたけれど、司書の割合は女性の方が多いくらいだった。それがエレノアが働き始めた頃はそんな状態だったらしい。
「司書は、今でこそ貴族の女性の働き口として最も一般的で社会に出る入り口のような仕事になっていますが、当時は貴族の女性が外で働くこと自体滅多にあることではなかったので。女性は家を継ぐことはできても、その家の運営は入り婿が主導するのが当たり前だったんですけど、女王も認められている国なのに、女性は男性の後ろに控えているのが当たり前なんておかしな話だと声をあげたのがエレノア様で、とても革新的なことだったんです」
アリアの言葉にジェシカが頷き、おっとりと続ける。
「ちょうど二十年前の、エディアカランの初攻略が重なったのが追い風になったそうですよ。その時のパーティの半数が女性だったので、女性にももっと活躍の場をという気風があったんですね」
そうしてエレノアは、司書として実務と現場の経験を積み、エディアカラン攻略の熱気が落ち着いた頃に冒険者ギルドに転職して、そこから副長まで上り詰めたらしい。
彼女の後に続こうと、多くの貴族女性が司書を目指し、そして様々な職種へと散っていったのだという。
「エレノアがナプキンの普及を急ぐのも、二十年前の再来を願ってるからだろうなぁ。ずっと女の社会進出の後押しをして来た人だからさ」
「エレノアさんは本当にすごい方ですよねえ。冒険者をするのとはまた違った先駆者ですわ」
ジーナとジェシカもエレノアを信頼していることが、言葉の端々から伝わってくる。
「ベッドフォード侯爵家のエレノア・ベッドフォードといえば、ご令嬢時代は次代の社交界を牽引する立場になるだろうと言われていたそうですよ」
「えっ」
「ご結婚されて今は伯爵夫人ですけど、ベッドフォード家は現当主にお子様がいないので、エレノア様のご息女が跡を継ぐことが内定しているんです。言うまでもなくやり手ですし、あらゆる意味で、敵に回してはいけない人ですね」
その優雅な立ち振る舞いから間違いなく貴族であるとは思っていたけど、想像より随分高位の貴族だったらしい。
おまけに、国をまたいで広がる冒険者ギルドの本部の副長という地位。
気さくに話をしてくれていたけれど、今更ながら、どっと緊張が襲ってきた。
「先に言っておくと、オーレリアは緊張しすぎると思って黙っていたんですけど、ちょっとあだになってしまった気がします。念のために言っておきますけど、個人的にお茶を、というのは社交辞令ではないと思いますよ」
「アリアー!」
「まあ、その時は私も行きますから、大丈夫ですよ。エレノア様は商売人というより啓蒙家に近い方ですし、ああいう方なので、礼儀やマナーに作法を求める人ではありませんし、いつものオーレリアでいればそれで充分です」
王立図書館で仕事をしていた時は貴族出身の人と会話する機会は多かったし、みんないい人たちだった。だから立場や身分で人を区別するつもりはないものの、やはり緊張するのは否めない。
「私、もっと真剣にマナーの勉強をしますね」
「なんでも身についていて損になることはないので、いいと思います」
アリアは気楽に言うけれど、今後それくらいの立場の方と接することも増えてくるでしょうし、と続けられて、更に強く決意することになった。
なお、アリアの小さな唇からぽつりとこぼれた、「横からかっさらわれたら、それこそたまらないわ」という言葉は、少し混乱しているオーレリアには届かなかった。




