65.黄金の麦穂の女性冒険者たち
その日、アリアと二人で出かけたのは、東区と中央区の境にある、とある一軒家だった。
すぐそばを大きな水路が走っていて、大通りから一筋離れた通りである。三階建ての建物で裏には建物と同じ程度の面積の庭があり、今は使われていない古い井戸があった。
建物全体がしっかりした造りで、ドアも重厚な樫の一枚板で作られている。元々が鍛冶の工房だったらしく、窓が多いのも嬉しい。
「あたしたちが買った時は奥にでかい窯があったけど、それは潰して簡単な台所にしたんだ。といってもあたしもジェシカも料理はしないから、たまにアルフレッドが作り置きしてくれるのに使ってるだけなんだけどね」
そう説明してくれたのは、色の薄い金髪に褐色の肌をした、ジーナと名乗る女性だった。ジェシカと共に黄金の麦穂の女性メンバーで、現在はこの建物の二階で寝起きしているのだと言う。小柄だがよく鍛えられた体躯ときっぷの良さがいかにも女性冒険者らしい。
集会場に使っているという一階は、もともとは工房だったそうで壁で仕切られておらず、中央に大きなテーブルと椅子が並べられて、台所もパーテーションで簡単に仕切られているだけだった。奥には小さな物置があり、使っていないものを放り込んでいるのだという。
「二階は廊下を挟んで左右に三室ずつ、六つ部屋がある。工房の頃に徒弟が寝起きしてた部屋だね。三階は木箱がいくらかあるだけで、全然使ってないんだ」
現在居住している二人の部屋は遠慮して、アリアとともに二階、三階も見せてもらう。王都は土地が狭いため階段などの設備はとても狭いか、外付けになっていることもあるけれど、この家は十分人がすれ違えるくらいの幅がある。
「アルフレッドがそこまでしなくてもってくらい探し回ってくれた拠点でね。見つけた時は廃屋同然だったからあれだけ探し回ってここ? って驚いたよね」
「ですねえ。でもここが絶対いいって言ってきかなくて、みんなもアルがそう言うならって購入して、毎日掃除して、壁を塗り直しましたね」
ジーナの言葉に、ジェシカは頬に手を当てておっとりと答える。
「あの時は今より時間あったから、途中から楽しくなっちゃってさ。おかげで隙間風も入らないし、建付けの悪いドアもひとつもないよ」
どの部屋にも必ず窓が設置されていて、三階も使っていない割には綺麗だし、かび臭い感じもしない。二人が言うにはアルフレッドが定期的に換気をしているのだという。
「なるほど……かなりいい物件ですね。文句なしに、これまで見た中では一番です」
アリアが唸るように言うと、この拠点が好きなのだろう、ジーナもジェシカも誇らしげに微笑んでいる。
「それだけに、頂いた条件で本当によろしいんですか? 運河も近いし目の前の道も大通りではないとはいえ、荷馬車が十分に出入りできるきちんと舗装された道ですし、裏庭に井戸もあるとなったら、欲しがる人はたくさんいそうですが」
「いいよ。アルフレッドがその条件で言うなら問題ないし、あたしたちもこの拠点で儲けようとは思ってないから」
物件を隅々まで見て、一階に戻りテーブルにつくと、ジーナが瓶ビールと人数分のグラスを用意してくれる。
「お茶、おいてないからさ。ビールでいいかい?」
「私は大丈夫です。アリアは、お酒は好きですか?」
「あ、結構好きですよ、ビールもワインもウイスキーも」
もてなしてくれるつもりなのだろう、ホールのポークパイにチーズと燻製肉の塊、丸いパンと干した果物などが出てくるのにアリアと顔を見合わせて、笑う。
「パイはアルが焼いて持ってきてくれました。私たちだとビールだけ出すつもりだろうって言って」
こちらの世界でも、お酒を飲む最初は乾杯をするのが一般的だ。ビールを満たしたジョッキを軽く重ね合わせると、澄んだ音が響く。
「あたしら、料理しないからねー。まあアルフレッドがマメすぎるんだけどさ」
「アルフレッドさんって、何でもできるんですね。私もとてもお世話になりました」
「器用だし、計算も早いし、用意周到だしね。悪いのは口だけだって本人が言ってたよ」
「ふふふっ」
ジーナの言葉にジェシカが口元に手を当てて楽しそうに笑う。樽で仕入れている鷹のくちばし亭のビールと違い、瓶ビールは味がまろやかで尖りの少ない、まったりとした味わいだった。
「南部小麦を使った、いいビールですね」
「アリアさんはほんとにいける口なんだな。最近は王都にいろんな商会が入ってきてるだろ? 色んな商品も一緒に流れ込んできてるんだ」
「その分、当たり外れを見極めるのが難しくなってきましたね。王都の老舗のものだけを買うという風潮も強くなってる気がします」
「物流が盛んになると、どうしても良いものと悪いものが交じり合ってしまうんですよね。しかも質が良くないからといって安価かというと、そうでもなくて」
「目利きして選んで買ってそれなら仕方ないけど、粗を隠して売り逃げしようって流れの商人もいるからなあ。買った林檎の芯が腐ってたなんてことも最近は増えたよ」
オーレリアが燻製肉とチーズを薄切りにして簡単なサンドイッチを作り齧っていると、それいいですね、とジェシカが笑って同じようにしたけれど、チーズはやたら厚く、燻製肉は逆に薄く切りすぎて途中で斜めに切れてしまった。
「私、不器用なんです。何をさせても上手くなくて」
不格好なサンドイッチを隣のジーナがひょいと取り、自分の取り皿に置くとすいすいとチーズと燻製肉をスライスしてジェシカに渡す。ジェシカは嬉しそうにそれに口をつけていた。
「二人は、商売の拠点を探しているんだよね。何を売るつもりか聞いてもいいかい?」
ライアンとアルフレッドはオーレリアのことを随分細かく調べた様子だったけれど、詳細についてはジーナとジェシカは把握していないらしい。
「ええと、花の時期のケア商品なんです」
「ああ、もしかして女の冒険者の中で広がってるやつ? 探索の時に血の匂いがしなくなるし、動くのも気楽になったって噂になってた」
「多分それです」
「噂には聞いてたけど、それが出回ってるって話を聞いた時にはもう探索をストップしてたから、実物を見たことはないんだよね」
ちらりとアリアを見ると、口元に笑みを浮かべたまま頷かれたので、新調した手提げの鞄を開き、中から用意しておいた小袋を取り出す。
紐を絞って口を閉じる巾着タイプの布製の袋で、中にはナプキンが三枚、それぞれ柄違いで入っている。最近いくつか持ち歩くようになったサンプル品だ。
「もし抵抗がなければ、使ってみてくれませんか? 半年から一年くらいを目安に買い替えが必要になるんですが」
「いいの? 紹介制だって聞いたんだけど」
「別の仕事もしていた私が対応できる数しか引き受けられなかったのでその形にしてもらいましたが、事業を立ち上げるためにこちらに専念することになったので」
「わあ、ありがとうございます。嬉しいです」
こちらの世界では、花の時期の話は女同士でもまだまだデリケートな部類に入るのでおずおずとではあったけれど、ジーナもジェシカも笑顔で受け取ってくれた。簡単に使い方を説明し、ビールを改めてジョッキに注ぐ。
「服が汚れず匂いも出ないなら、大分助かるな。階層によっては血の匂いに寄ってきて襲い掛かってくる魔物もいるから」
「スライムなどもそうだと本で読みましたが、実際襲ってくるんですか?」
アリアの言葉にジーナとジェシカはうんうん、とそっくりな様子で頷いた。
「スライムは雑魚って言われてるけど、足音はしないし魔力も弱いから、寝てる間に近づいてこられると気づかずに革製の装備を食われたりしてることもあるから、嫌なんだよね」
「実際、スライムに鞄や靴に穴を空けられると、探索の続行に支障が出ることも少なくありません。不意に上から落ちてくることもありますし、壁に手をついたらスライムが張り付いていたことは、私も経験があります」
「スライムは肉とか体とか溶かすから、上から落ちて来てもろに浴びると髪がぶつぶつに切れたりひどく荒れたりするから最悪なんだよな……」
エディアカランは最下層がスキュラであることも含め、下に行くほど水気の多いフィールドになっていくのだという。
「血の匂いに惹かれて襲ってくる魚もいます。大きさは女性の手のひらくらいで、花の時期でなくても冒険者には怪我は付き物ですから、そこは特に危険な階層です」
出くわすと鋭い歯で噛みついてきて、肉を食いちぎられるのだと聞いてぶるりと身震いする。どうやら攻撃的なピラニアのような魚らしい。
「そういうのって、どう対処するんですか?」
「私は水の魔法使いですので、こう、水を激しく振動させると魚を失神させることができるので、そうします」
「水の魔法使いがいない場合はぶ厚い盾と盾を水の中でぶつけ合うと、一定の範囲の魚がぷかぷか浮いてくるから、そういう方法をとる冒険者もいるよ」
いわゆる石打漁と同じ方法を取るらしい。
ちなみに、毒のある魚も多いので基本的には浮いてきた魚を捕まえて食べることはしないものの、しばらくすると綺麗に消えているのだという。
「それって、共食いしてるってことですよね」
「たぶんね。水の多い階層は危険が多いから、冒険者も長居はしないんだ」
「私は半日くらい残って観察したいのですが、皆様の足を引っ張る訳にもいきませんし」
「ジェシカは水の魔法使いだけど、元々ダンジョンを調査したくてパーティに入ったからさ、今でも何かあると観察してメモして地上にいるときはそれをまとめて、をずっとやってるんだ」
ほぉ、とアリアが興味深そうにジェシカに視線を向ける。
「ジェシカさんは、ダンジョンの研究家なのですか?」
「いえ、そんな立派なものではありません。ただ、知りたいだけですわ。ダンジョンの内部では何が起きているのか、それが外部にどう影響しているのか、そもそもダンジョンとは何なのか――興味があるのです」




