63.申し出と友情と友情
突然の話に思わずぽかんとしているオーレリアをよそ目にアルフレッドは紅茶を傾ける。
確かに拠点となる物件探しは難航していた。アリアとレオナが言うには、王都の好景気はしばらく続き、それに伴う商人の移動・逗留で物件の価格は上がり続けるだろうとも言われている。
今の状態だと、ウィンハルト家の出資額を増やしてもらい価格の膨れ上がった王都の物件を購入するか、ウィンハルト家の持つ不動産の一部を賃借するか、もしくは王都にこだわらず中堅の都市に移動してそこから商売を始めるかだ。アリアはどれを選んでも一長一短だと言い、王都で商業展開を視野に入れて準備をしている状態だ。
「その、申し出はとてもありがたいのですが、それだとそちらにはかなり不利益が出てしまうのではないでしょうか」
「不動産は一番、抱えて逃げるのに向かない財産だから早めに処分したくてね。君が購入してくれるなら、僕たちも助かるんだけどね」
王都は元々、とても土地が高い。市壁に囲まれた都市の内部に王族の住まう宮殿があり、多くの貴族や商人、庶民が階層的に暮らしているけれど、どうしても壁の内側の土地は限られている。代々王都に住まう人ならともかく、新規で土地を購入する資金を用立てるのがそもそも大変なのだ。
それに、現在需要が高い不動産は、売りに出せば瞬く間に買い取られるだろう。その利益の半分は、かなり高額のはずだ。
ライアンには皮肉を言われただけで、怒鳴りつけられたわけでも司法が介入する必要のある暴力を受けたわけでもない。アリアと相談なしで決めていいものではないし、アリアがOKを出してもその条件では後ろめたさのほうが大きい。
何と言うべきか迷っていると、ライアンが居住まいを正し、神妙な表情で言った。
「オーレリア嬢。今の拠点は、パーティが軌道に乗った時に購入したもので、俺たちにとってもそれなりに思い入れがあるものだ。それは勿論、ウォーレンにとっても。仲間との時間はそこで過ごしたし、重要な決断をしたり、酒を飲んで死屍累々と転がったりしたこともある」
「僕を除いてね」
軽口を挟むアルフレッドを無視して、ライアンはあくまで真剣な様子を崩さなかった。
「俺たちにはもう必要のない場所になってしまうが、パーティの思い出の場所だから、全く知らない誰かに売り出すより、君に使ってもらいたい。そして、いつかウォーレンが戻ってこられたら、その、友人としてでもいい、招いて、お茶でも飲んでやってくれないだろうか」
「それは、勿論……」
そんなことは、家を購入しなくても、ウォーレンが戻ってきたら普通にするだろう。
また色々な場所に遊びに行きたいし、美味しいものを食べて、気楽に話をしたい。それはオーレリア自身の望みでもあるし、改めて頼まれるようなことではない。
「その日が来るかは分からないが、あいつには、そういう希望が必要だと思う。それに、ウォーレンは大事な親友だ。その友人に無礼な態度を働いてしまったのは、俺の大きな後悔だ。どうか、詫びとして受け入れてくれないだろうか」
膝に手を乗せ、深々と頭を下げられるとそれ以上この場で固辞するのも難しい。
「あの、では事業のパートナーとも相談をして、改めて返事をさせてもらってもいいでしょうか」
「うん、それで構わないよ。連絡先はここで」
アルフレッドに名刺を差し出されて受け取る。黄金の麦穂というパーティ名と、拠点の住所だけが記された、シンプルなものだった。
「今は女性のメンバーが居住しているから、電報を送ってくれたらすぐに連絡はつくよ。少し時間はかかるけどギルド経由でも――」
「オーレリア!」
ばたん、と荒々しくドアが開く音が響き、驚いて立ち上がると息を切らしたアリアが立っていた。オーレリアを見ると、くしゃり、と表情を歪める。
「アリア!? 随分早く」
「無事でよかった! 乱暴なことはされませんでしたか? 怪我は」
「いえ、そんなことはなにも。本当に、大丈夫です。アリアこそ、その……」
いつも綺麗に整えられているアリアの髪はひどく風にあおられたようにボサボサで、服も心なしかあちこちがよれている。出会ったときから身だしなみは完璧でおしゃれな女性だったアリアの、こんな姿を見たのは初めてだった。
それに、到着が早すぎる。電話を切ってから十五分ほどしか過ぎていないはずだ。
ウィンハルト家のある中央区から東区までは、トラムを使っても三十分ほどかかるはずだ。馬車でもほぼ同じくらいだろう。
「私はいいんです。とにかく、無事で安心しました」
「たまたま訪ねてきたこちらの二人が間に入ってくれて、事なきを得ました。冒険者ギルドまで付き添っていただきましたし、本当に何から何までお世話になって」
ライアンとアルフレッドに水を向けると、ようやく少し落ち着いたらしいアリアは表情を緩め、応接ソファに座ったままの二人に視線を向ける。それから軽く、表情を歪めた。
「あれは、以前オーレリアに難癖をつけていた人じゃないですか?」
ライアンとアリアが顔を合わせたのはほんの数分のことだし、あの日とは服装も全然違っているので覚えていないかもしれないと思ったけれど、アリアは一目で分かったらしい。
オーレリアが驚いたことを察したらしく、アリアは手櫛で乱れた髪を軽く撫でつけながら、囁くように言った。
「私、一度見た顔は忘れないんです」
「すごいですね」
「コツがあるんですよ。今度オーレリアにも教えますね。――友人の窮地を救って頂いたようで、ありがとうございます。ウィンハルト子爵家の次女、アリア・ウィンハルトです。このお礼は改めて、必ずさせていただきますわ」
「アルフレッド・エインズワースと申します。王都に名高きウィンハルト子爵家のご令嬢にご挨拶する機会をいただき、光栄です」
「同じく、ライアン・ウォーロックです。ウィンハルト嬢には、先日は醜態をお見せしたこと、お詫びします」
その言葉に、アリアは複雑そうな様子だった。
アリアが存外気が強い性格であることは、一緒に過ごしていれば分かることだ。不動産屋の提示する法外な金額には一切揺るがず、自分が決めたことは貫く強さがある。
外出先でいきなり友人に皮肉を飛ばした、けれどどうやら今日はその友人を助けてくれた相手にどう接するべきか迷っているのだろう。
「アリア、ライアンさんとの間には誤解があったんですが、それが解決したので、謝罪に来てくれたんです。私もそれを受け入れました。なので」
「……色々と思うところはありますけど、オーレリアがそう言うなら、私が一人で怒っていても仕方がないですね。オーレリアを助けてくれたということですし、それで手打ちにしましょう」
「はい。それと、私たちが拠点を探していると聞いて、お二人が所属するパーティの拠点を譲ってくれると言うお話を頂いたんですけど、それもアリアに相談したくて」
金額に関しては、半値と言わずとも常識の範囲内で上乗せできないかアリアと相談したいとも思っていたけれど、その言葉にアリアははっきりと首を横に振った。
「オーレリア。その話は、また後日にしましょう」
目下二人を悩ませていた問題が解決するかもしれない状況なのにとぱちぱちと瞬くと、アリアにぎゅっ、と手を握られる。
「オーレリア。オーレリアは、滞在している宿から逃げ出さなければならないくらい……そちらの二人がそうしたほうがいいと判断したほど、嫌な思いをした直後です。自分では落ち着いていると思っているかもしれませんが、そういう時の心は想像よりずっと乱れているものです。大きな決断も、複雑な思考もする必要はありません。せめて数日ゆっくりして、気持ちを整理してからにしましょう」
「アリア……」
「事業も拠点も大事です。決しておろそかにするつもりはありません。ですが、私はオーレリアの心と体が一番大切です。お願いを聞いてくれますね?」
水色の瞳にしっかりと見つめられて言われ、こくこくと頷いた。
「もう少ししたら馬車でお姉様が後を追ってくるはずですので、その馬車で私の家に行きましょう。必ず守りますし、その無礼者……元婚約者に関しても、解決するよう動きます。オーレリアは何も心配しないで、心を落ち着けることだけを考えてください」




