61.災難と冒険者ギルド
短い沈黙が落ちた。アルバートは厳しい目でアルフレッドを見つめ、対するアルフレッドは余裕ありげな様子で、口元に笑みすら浮かべている。そこに言葉を挟んだのは、アルバートの後ろに控えていた初老の男性だった。
「若旦那、ここは出直しましょう」
「しかし……」
「この雰囲気では、話し合いどころではありません。我々も少々強引すぎました。どちらも一度冷静になって、必要なら代理人を立てたほうがいいです」
「……そうだな」
アルバートは苦い口調ではあったものの、その言葉に浅く頷く。
「フスクス嬢、あなたが落ち着いた頃、改めてまた訪ねさせてもらう。どうか一度でいい、冷静に私の話を聞いてほしい」
とても、分かりましたと言える気分ではなく、そっと視線を逸らす。アルバートは小さく息を吐くと、「邪魔したね」と平坦な声で言って、鷹のくちばし亭を出ていった。
ドアのカウベルが奏でるころんころん、と日常の音が響き、それにどっと安堵と疲労感が押し寄せてくる。
「ありゃあ、なんだい。そっちの兄さんが言うには、大分ひどい男みたいだけど」
「実際紳士の風上にも置けない男さ。ああ、急に割り込んで悪かったね。余計なお世話だったかもしれないけど、女性しかいない場だったから、お節介とは思いつつしゃしゃり出てしまったよ」
アルフレッドの言葉にはっとして、まずは深く、頭を下げる。
ロゼッタとミーヤが庇ってくれたのに、満足に反論もできなかった自分が情けない。アルフレッドが割り込んでくれなければ、アルバートが引いてくれたとも思えなかった。
「いえ、あの、さっきはありがとうございます。とても助かりました」
アルフレッドはぱちぱちと瞬きをすると、ふはっ、と気の抜けたような声で笑い、それから隣に立つライアンを肘で突いた。
「お礼はいいよ。僕はパーティを代表して君に謝罪に来た身だからさ」
「謝罪、ですか?」
「うちのリーダーが、君に失礼な態度を取ったんだって? こちらこそ悪かったね」
「オーレリア嬢、あの時は、すまなかった」
ぱりっとしたフロックコートに身を包んだライアンは、腰を深く曲げて頭を下げる。最敬礼と言われる最上級の礼であり、よほど正式な式典や大きな過失が行われた時でもない限り、見ることのないものだ。
「私の勘違いで、何の咎もないあなたに不躾な態度を取ってしまった。本当に申し訳なかった。謝罪はいかようにもさせてもらう」
ロゼッタとミーヤに、一体何があったんだというような目で見られて焦る。
「いえ、驚きはしましたが、そんな風に言われるほどのことではありませんので!」
「しかし」
「その……何か誤解があるのだろうとは思いましたし、友人の前だったのでそれは、とても困りましたが、幸い友人は誤解せずにいてくれましたし」
それに、正直なところを言えば、ライアンの言動に関してオーレリアはそれほど気にしてはいなかった。
東部の田舎で両親が亡くみすぼらしい姿をしていたオーレリアは、あまりいい目を向けられることはなかったし、中等学校ではあからさまに避ける同級生も少なからずいた。
面と向かって、お金がないなら学校に来る暇があれば働いたらどうだと言われたことすらある。
偏見など今に始まったことではないし、叔母に髪を掴んで振り回されたり、虫の居所が悪い叔父に怒鳴りつけられたりすることに比べれば、ライアンの言葉程度は、さほど傷つくほどのものでもない。
通りすがりに少し乱暴な言葉を投げかけられた。起きたのは、その程度のことだ。
「その謝罪に来て下さったなら、受け入れますので、もう大丈夫です」
「しかし、それでは――」
「はいはい、オーレリア嬢がそう言ってくれているんだから、後ろめたさは他のところで解消しな。それよりオーレリア嬢、あの手合いは必ずまた接触してくるよ。君一人で対面するのはお勧めできない。できれば今夜にでも宿を移した方がいいし、信頼できる代理人を雇ったほうがいい。その両方にあてはあるかい?」
「いえ……」
「今、王都の宿はどこも一杯だし空いていてもとんだぼったくりの値段だ。友達とか、後見人とか、できるだけ東区以外で身を寄せる場所があればいいんだけど」
「確かに、しばらく移動したほうがいいだろうね。うちの拠点に来てもいいが、むさくるしい冒険者の所帯だからなあ。おまけに来週から探索で留守になる。あんたの警護は難しい」
「うちに来てもらってもいいですけど、立地がすぐそこなんですよね。でも父さんも弟たちもいるから、変なのが訪ねてきても追い払ってもらえますよ」
「いえ……後見人をして下さる方が中央区にいますので、滞在させていただけないか、聞いてみます」
ミーヤをこんなゴタゴタに巻き込みたくはないし、ロゼッタは深層への探索が始まる大切な時期だ。彼女がどれだけこの機会を待ち望んでいたのか知っているオーレリアとしては、煩わせたくはない。
「ただ、貴族のお宅なので、今すぐ訪ねるのは難しいです。電報を打って、滞在させていただけないか聞いてみます」
「ああ、それなら電話のほうが早い。僕たちが立ち去った後に戻ってくる可能性もゼロではないし、冒険者ギルドまでエスコートさせてもらうよ。なに、黄金の麦穂が電話を貸してくれっていうならギルドも断らないさ。何しろギルド長は、僕たちにたっぷり借りがあるからね」
アルフレッドはけたけたと笑いながらそう言った。
王都に到着したその夜から、ずっと世話になり続けていた鷹のくちばし亭を、こんな形で去ることになるかもしれない。そんな気欝な気持ちが僅かに和らいで、オーレリアも小さく、微笑んだ。
* * *
ミーヤが呼んできてくれたスーザンにかいつまんで事情を話し、ひとまず数日留守にすると告げると、ひどく怒ったような顔をしたものの、いつでも戻っておいでと告げられ、ぎゅっと抱きしめられた。
「オーレリア、あんたは一人前の付与術師だ。どこの誰だってあんたを軽く扱わせちゃいけないよ。しっかり頑張っておいで」
「はい……」
今月の宿代は前払いで支払ってあるので、しばらくそのままにしておいてほしいと頼み、【軽量】が掛けてある革のトランクに数日分の着替えを詰め込んで、階下に降りる。
今はアリアと共に購入した服や化粧のための道具、少しだがアクセサリーなどもあり、とても今すぐ全部は持っていけない量の持ち物があるけれど、思えば、鷹のくちばし亭に初めて来た日にオーレリアが持っていたのはこのトランクだけだった。
「ギルドまで付いて行ってやりたいが、これからパーティの連中と打ち合わせがあるんだ。すまないね」
「いえ、ロゼッタさんがいてくれて、本当に心強かったです。出発前に、また改めて連絡しますね」
「ああ、くれぐれも気を付けるんだよ」
軽く背中を叩かれ、ライアンとアルフレッドに付き添われて、東区にある冒険者ギルドの本部の門をくぐる。
かなり大きな建物で、ギルドの建物ということは知っていたけれど中に入るのは初めてだった。中に入るとすぐにホールになっていて、天井は見上げるほどに高く、ドーム型になっていて、塔結石の巨大なシャンデリアがいくつもぶら下がっている。ホールの中心は巨大な円形のカウンターが設えられていて、その内側に個別で取引をするためだろう、L字型のテーブルがいくつも置かれていて、さらにその奥はギルドの職員と思しき人たちがせわしなく書類をめくったり書付けを行っていた。
入り口には簡易的な案内所が置かれているけれど、対面の奥にもっとしっかりとした受付があり、若い女性が二人座っている。
時々訪ねる銀行と、内装や形式はよく似ている。初めて訪ねる冒険者ギルドは、想像よりもかなり秩序整然と動いている印象だった。
アルフレッドはまっすぐに奥の受付に向かうと、やあ、と明るい口調で職員の一人に声を掛けた。
「ケイト、電話を貸してくれないかな」
「アルフレッドさん。電話ですか……私用での利用は困るのですが」
「使うのは僕じゃなくて、彼女。今は身分を伏せているけど、冒険者ギルドにとっても恩を売っておいた方がいい相手だよ。人品は黄金の麦穂が保証させてもらうからさ」
「はあ……」
ケイトと呼ばれた女性は、アルフレッドのこうした態度に慣れているようで、小さく息を吐くと、紅茶色の瞳をこちらに向けた。
淡く紫が混じる銀髪の、とても美しい女性だった。こちらの世界でも、受付や案内には綺麗な女性を置くのだろうかと明後日のことを考える。
「ゴールドランクのパーティが保証するなら、問題はありませんね。念のためギルド長にも許可を取りますので、少々お待ちを」
「オーレリア嬢、あて先は中央区ウィンハルト家でいいんだよね?」
アリアとの関係も知られているらしい。二人が鷹のくちばし亭に現れたことを考えれば、自分の居場所を調べたのだろうし、そのついでにオーレリアの出自や仕事についても、ある程度調べはついているのだろう。
むしろ、身辺を調べて誤解していたことに気づいて、こうして謝罪に来てくれたのだろう。ライアンにとってあの時の自分は、よほど怪しく見えたのだろうと改めて胸の内でため息が漏れる気分だ。
「はい、お願いします」
【軽量】を掛けた鞄ひとつで鷹のくちばし亭を出てきてしまって、何だかとても心細く、無性にアリアに会いたかった。
実在の事件を引き合いに出した、あまりに目に余るコメントがありましたので、しばらくコメント欄を閉じさせていただきます。




