60.闖入者と混迷
すみません、まだ続きます。
できるだけ一気に投稿したいのですが、中々時間が取れない状況なので、こうした展開が苦手な方は、数話まとめて読んでいただいたほうがいいかもしれません。
王都に来てからのオーレリアの毎日は、それまでと比べると変化の連続で、まさに怒涛というべきものだった。
見知らぬ街で放り出され、心もとない手持ちに焦りながらも色々な人に助けられて、少しずつ暮らしが安定した。たくさんの人と出会ったし、喜びも焦りも寂しさも、それまで息を殺し感情を押し込めていた日々とは何もかもが違っていた。
華やかな王都での暮らしに馴染んでいるとは言い切れないが、大事な友人の隣にいても引け目を感じないよう、努力したつもりだ。
ただ生きるための技術だった付与術を誰かの役に立つために使いたいと思えるようになったのも、苦しんでうずくまっている人を助けるために勇気が出せたことも、ひとつひとつは些細でもオーレリアにとってはそれまでの自分が持てなかった輝かしいものだった。
とっくに忘れたつもりだった、アルバートが目の前にいるだけであの頃に引き戻されたようで、息が上手くできずに、喉が苦しい。
変わったはずなのに、まだ変わっていない自分も、ちゃんとここにいるのだと思い知らされた気がする。
「フスクス嬢、君に王都の暮らしが合わないなら、きちんと東部に送り届ける。このまま王都にいるにしても、宿暮らしで不安定な毎日を送ることはない。私に思うところがあるのは分かるが、住居はきちんと用意し、できるだけ顔を合わせないようにしよう。とにかく話を――」
アルバートの手が伸びてくるのに椅子から立ち上がり、後ろにたたらを踏むように下がる。
「フスクス嬢」
頭の中で感情が渦巻いて、何を言えばいいのかまとまらない。ただ何かを言わなければという気持ちばかりが先だって、唇を開き、声が出ずに閉じる。
まるで全身が太い縄でぐるぐると巻かれて締め付けられているような息苦しさだった。半ばパニックになっている自覚はあるのに、どうしたらいいのか分からない。
そんな中で、ぱしっ、と背中を叩かれた感覚で詰めていた息を吐き出す。ゆるゆると顔を上げると、怒ったような顔をしたロゼッタがオーレリアを見ていた。
「しっかりしな、オーレリア。あんたは立派な、一人前の女だ。あんたの周りはみんなあんたを信頼しているし、あんたは仕事だって選べる立場なんだよ」
「……ロゼッタさん」
「そうですよ、オーレリアさん。会いたくない人には会うことはないし、話したくない人と話す必要もありません。うちにだって滅茶苦茶なこと言ってくる依頼人はいますけど、そういう人は相手にしちゃ駄目だって父さんも言ってました」
ミーヤにもはっきりと言われて、ようやく、すう、と空気が肺に入った気がしてきた。
緊張でわいた額の汗を無意識に拭い、それからゆっくりと、顔を上げる。
「……ヘンダーソンさん。お引き取りください。私、あなたと話すことはありません」
「フスクス嬢」
「正直、もう、あなたとは会いたくありませんでした。あの日、行き場がないと言った私を放り出したのは、本当にひどいことだったと思います」
「いや、それは」
「結納金の返還が必要ならお返しします。その代わり、一方的に婚約破棄をなさった責任の追及もさせてもらいます」
王都に来たばかりの頃、オーレリアは明日の暮らしも危うい身だった。責任追及や訴訟などを抱えられる精神的な余裕などなかったし、どこに訴えていいのかも、法的な代理人を雇う経済的な余裕もなかった。
けれど、今は違う。仕事に恵まれて貯えには余裕があるし、アリアやレオナに迷惑はかけたくないけれど、バックアップを約束してくれた後見人もいる。
もうどうでもいいと思っていたアルバートが、破綻した婚約を楯になにか要求してくるというなら、どれだけ気が進まなくても、恐ろしくても、戦う覚悟はある。
「どうやら、私たちの間には誤解があるようだ。あの日もそう言ったように、結納金を返せなどと言うつもりはない。それに、確かに私がしたことは不義理だっただろうが、まさか君がそのまま王都に残り、その、こんなことになっているとは思わなかったんだ」
アルバートは取り繕うように言う。
「とにかく、こうもこじれてしまった以上きちんと話がしたい。君を王都に呼んだ身として、このまま君を放っておくわけには」
「いや、もう放っておいた方がいいんじゃないかな?」
急に、それまでその場になかったはずの声が割り込んで、全員がぎょっと扉に視線を向ける。
鷹のくちばし亭の出入り口にはカウベルが掛けられていて、人が出入りするたびにカランコロンと聞き慣れた音を立てる。その音が響いていないのに、いつの間にかドアが開き、二人の男性が立っていた。
片方は男性の正装であるフロックコートを身に着けた長身で眩しいほどの金の髪と端正な顔立ちの男性で、もう一人はオーレリアほどの背丈の、やはり正装をまとった茶髪に濃い茶色の瞳の、小柄な男性だった。
声を掛けたのは茶髪の男性のほうらしく、少し呆れたような口調だった。
「なんだね、君たちは」
「オーレリア嬢の客だよ。どうやら先客らしいと遠慮していたけど、大した用でもなさそうだから割り込ませてもらおうかなって思ってね」
「客……?」
茶髪の男性が軽妙な、苛立たし気なアルバートをからかうような口調で言う。突然の闖入者にロゼッタとミーヤも驚いた様子だったけれど、オーレリアも驚きに、声が出ない。
茶髪の男性の方に見覚えはないが、その同行者である金髪の男性は、印象は違うがウォーレンの友人と名乗っていたライアンだ。前回会った時は身に覚えのない皮肉を言われて驚いたけれど、目が合うと、すっと目礼された。
「あれ、黄金の麦穂のライアン・ウォーロックじゃないか。オーレリア、あんたの知り合いかい?」
「ええと……」
どうやらロゼッタはライアンを知っていたらしく、そっと耳打ちされたものの、返事に困る。
友人の友人ではあるけれど、顔を合わせたのは二度だけで交わした言葉は短く、そのうち半分はあまりいい雰囲気のものではなかった。何かしら誤解があるのだろうと思っていたけれど……。
「あ……」
一度目に会った時、オーレリアはおさげ姿に使い古した斜め掛けの鞄を提げていた。アリアが選んでくれた古着のワンピースを身に着けて王都に来たばかりの頃より多少は身なりに気を使うようにはなっていたものの、化粧はしていなかったし、野暮ったい格好だったのは間違いない。
次に会った時はアリアと拠点になる物件を探していた時で、髪を切り、軽く巻いてお化粧もしていたし、物件探しということで子爵家の令嬢のアリアの横にいても不自然ではないよう、ツーピースの服に華やかな装飾をした帽子もかぶっていて、単体で見れば上流階級の女性のような服装だった。
印象はまるで違うだろうし、何かしら誤解されたのだろうとは思っていたけれど、その「誤解」がアルバートがオーレリアに対して抱いたものと同じだったことに、ようやく合点がいく。
同時に、今の自分がそんなに花売りの女性のように見えるのだろうかと、軽くショックを受けた。
「客というが、先約があったわけではないんだろう? ならば遠慮してくれ。私は彼女に話がある」
「だからさあ、その彼女が、あんたと話はしたくないって言ってるんでしょ? しつこい男は嫌われるし、あんまりしつこくすると衛兵を呼ばれても文句言えないんじゃない? ヘンダーソン商会のアルバート副会頭」
「……私を知っている、あなたの名前を伺っても?」
「冒険者パーティ「黄金の麦穂」の会計士、アルフレッド・エインズワースだよ。こっちはうちのリーダーのライアン・ウォーロック。商人のあんたには南部の大豪商・ウォーロック商会の三男坊って言った方が通りがいいかな?」
あくまで軽い口調の茶髪の男性……アルフレッドは笑いながら、ずい、と一歩踏み出した。
男性にしてはかなり小柄な方だけれど、今この場を支配しているのは間違いなく、アルフレッドだった。
「あんたのことは他にも知ってるよ。そっちのお嬢さんを一方的に婚約破棄した上に、行く当てもなかった彼女を商会から放り出したんだろ? それで、彼女はいまだに宿暮しってわけだ。いやあ、ひどいことするよねえ。新聞に面白可笑しく書かれても文句は言えない話だし、十分な慰謝料が発生する案件だけど、もし個人間できっちり話がついていない状態でそちらのお嬢さんから道義的責任を追及されたら、商業ギルドからもそれなりの懲罰を迫られることもあるんじゃない? 彼女は優しくてちょっと気が弱そうだからそんなことはしないと踏んでるみたいだけど、世の中さぁ、問題にいっちょ噛みする物好きはいくらでもいるけど、そのあたり、ちゃんと考えてるのかな、ヘンダーソン商会の若旦那さんは」
ブライアンとライアン、紛らわしくて申し訳ありません……。




