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転生付与術師オーレリアの難儀な婚約  作者: カレヤタミエ


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59.元婚約者

今回と次回はストレスの多い内容になります。苦手な方はお気をつけください。

 ミーヤがさっと吸収帯を仕舞っていた籠に布を被せたのが視界の端に入る。鷹のくちばし亭に入ってきた男性――アルバート・ヘンダーソンはきょろりと食堂を見渡すと、カウンターの向こうに視線を向けた。


 この時間は、食堂は営業時間外で流しの宿泊客が訪ねてくる以外滅多に人の出入りもない。スーザンも下ごしらえを終えて奥の居住スペースに戻ったらしく、アルバートは少し困ったような様子で唯一テーブルに着いているオーレリアたちに歩み寄ってきた。


「失礼、こちらに宿泊されている方ですか? 店主に用があるんだが、どうすればいいだろうか」

「もう少ししたら食堂が開くから、戻ってくると思うよ。急ぎなら裏に回って声を掛けるといい」

「あ、私、呼んできましょうか?」


 元々個人的にスーザンと仲がいいらしいミーヤが言うと、アルバートは少し困ったように微笑む。


「申し訳ないが、お願いしてもいいだろうか? こちらにフスクスという名の女性が滞在していると聞いたんだが、その人を呼び出してもらいたくてね」

「え」

「あー、この手の宿は誰が泊ってるとかは取り次がないよ。冒険者の利用が多いからね、個人的なトラブルが起きたら宿も困るから、そういうのはギルド経由でってことになってるんだ」

「いや、彼女は冒険者ではないんだが……」


 ロゼッタがだめだめ、と手を振ると、ミーヤもうーんと腕を組んで考えるようなそぶりを見せる。


「ええと、その人にどんな用なんでしょう? ご家族とかならおかみさんも取り次いでくれるとは思うんですが」

「まあ……家族ではないが、無関係というわけでもない。一言で言うのは難しいな」

「うーん、一応おかみさんを呼んできますね。あ、二人は部屋に戻っててください。ちょうど話も終わったところですし」

「だな、行こう」


 ロゼッタに促されて俯きがちになったまま立ち上がろうとすると、あのう、と控えめに声を掛けられる。


 それまで影のように黙っていたけれど、アルバートの後ろには初老の背の低い男性が控えていた。


「そちらの濃いオレンジの髪の女性は、オーレリアさんではないですか?」

「……オーレリア嬢?」


 思えば、アルバートに名前を呼ばれたのはこれが初めてだなと別段今考える必要のないことを思ったのは、ちょっとした現実逃避だったのかもしれない。


 いったいなぜ今更と頭の中をぐるぐると疑問が渦巻いていたけれど、滞在している宿まで来て名指しで呼ばれたのだ、ここで人違いですと言っても無駄だろう。


「……お久しぶりです、ヘンダーソンさん。私に何のご用でしょうか」

「いや……驚いたな。以前会った時とは別人のようになっていて……その」


 言葉を濁すアルバートと視線を合わせたくなくて、顔を逸らそうとしたものの、自信がなくて、理不尽と戦うより自分が我慢すればその場をやり過ごせるのだと逃げることばかり癖になっていた頃に戻ろうとしてしまっていることに気が付いて、テーブルの下でぐっと拳を握る。


「君がこの宿に滞在していると聞いて、あれからまだ定住先が決まっていないのかと驚いたんだ。うちで働きたいと言っていたから、仕事が決まっていないなら頼みたいと思ったんだが……君は、その」


 言葉を濁したアルバートの表情には、困惑と、僅かな嫌悪のようなものが浮いている。


「いや、王都で後ろ盾のない女性がその道を選ぶのは、不自然ではなかったな。付与術師だから仕事には困らないと思っていたが……」

「ちょっと! さっきからなんなんですか、あなた!」


 それまで黙っていたミーヤが勢いよく立ち上がり、ガタン、と椅子が荒々しく音を立てる。


 ロゼッタも立ち上がり、言葉の意味が分からず困惑していたオーレリアの腕を掴んで、立ち上がらせた。


「オーレリア、部屋に戻ってな」

「あの、でも」

「あんたとアレがどんな関係か知らないけどさ、耳汚しな言葉しか出てきそうもないだろ。あんたが相手にするような奴じゃないってことだけは、あたしにも分かるよ」

「待ってくれ。――君たちがどういう関係かは知らないが、仕事の話をしたい」

「奇遇だね! あたしらも仕事の話をしていたら割り込んでこられて、迷惑しているところだよ」

「仕事?」

「どんな下衆な想像をしたか知らないけど、花を売るって意味じゃないよ。花は三日見なけりゃ蕾も咲くし、女はいい出会いがあれば綺麗になるもんさ」


 その言葉に、先ほどのアルバートの視線が何を意味していたのかに気づき、ぞわりと首裏に不快感が走る。


 思えば、鷹のくちばし亭に来た最初の夜に、スーザンに花街に行くつもりなら止めておけと止められたことを思い出す。


 この大きな街で、紹介状も持っていない女性が持っている選択肢は、それほど多くないのだろう。


 しみじみ、あの日紹介された宿が鷹のくちばし亭で、出会ったのがスーザンであったことは、オーレリアにとって大きな幸運だったのだと思い知る。


「ヘンダーソンさん。どんなお話かは知りませんが、私はお仕事には困っていませんし、新しい仕事を受ける気もありません。申し訳ありませんが、お引き取りください」

「待ってくれ。一週間でいい、せめて話を聞いてから決めてくれないか」

「新規の依頼を受ける時間的な余裕がないんです」


 きっぱりというと、アルバートのこちらを見る目に焦りと不快感が混じる。

 どういう事情かは知らないが、よほど急ぎで付与術師が必要らしい。


 元宮廷付与術師の婚約者はどうしたのかと思ったけれど、それを口に出して尋ねるほど攻撃的にはなれなかった。


「……君と私の婚約は、まだ失効していない」


 何を思ったのか重たい口調でアルバートがそう告げる。さすがにこれには、オーレリアも耳を疑った。


「私よりよほど優秀な付与術師との縁談がまとまったから、出ていけと言ったのはヘンダーソンさんだったはずです」

「あの時は、申し訳なかったと思っている。だが仲介者への話はまだ通していないし、先日結婚式の日取りは決まったのかと連絡が来たところをみると、君からも連絡はしていないだろう。結納金は支払ってあるし、公的には私たちはまだ婚約者のままだ」


 すっ、とアルバートの表情が冷たくなって、ロゼッタとミーヤに静かに告げる。


「聞いた通り、ここから先は身内の話だ。退出を願いたい」

「あたしには、あんたがとんでもないクソ野郎だってことしか分からなかったけどな。さっきも言ったけど、あたしたちはこの子と仕事をしてる関係者だよ。オーレリアは大事な友達でもある。とてもこの子を一人にはできないね」

「……シルバーランクの冒険者殿。民間人への脅迫や威圧行為は治安維持の観点から、ギルドから厳しく制限されているはずだ。ギルドに問い合わせればあなたの所属するクランやパーティ単位で、苦情を申し立てることもできる」


「は、か弱い女にそれこそ脅迫じゃないかい? 随分な紳士もいたもんだ」

「シルバーランクになれば女性と言えども生きた凶器同然だ。素人の私などその気になれば一瞬で屈するだろう。だからこそ、冒険者には理性的な言動が求められ、ギルドの管理下に置かれる。私も東区で小さくはない商会を率いる者だ。その程度のことは知っている」


 ロゼッタは、仲間を募って深層への挑戦を控えている身だ。彼女がどれだけそれに焦がれていたか、オーレリアは知っている。


「ロゼッタさん、私は大丈夫ですから」

「オーレリア」

「ヘンダーソンさん。私はあなたと個人で話をする気はありません。婚約が法的に失効していないとしても、あなたと仕事をする気もありません。必要なら弁護士を通してください。私もそうします」


 アルバートの言葉に無理があることは、今のオーレリアにも分かっている。


 一方的に婚約を破棄したのは、アルバートの方だ。最初で最後に会った時には、新たな婚約者はすぐにも商会に入るようなことを言っていた。

 きちんと調べれば、アルバートがすでに新しい婚約をしていることは明らかになるだろう。この国が重婚を認めていない以上、過去の婚約は全て無効になっている。

 彼の言っていることは滅茶苦茶だ。冷静に振る舞おうとしているようだけれど、それくらい、アルバートが追い詰められていることも、伝わってくる。


「――君のご実家の人たちは、今の君が何をしているのか知っているのか」


 だから、そう言われて冷たくなった指先を、ぎゅっと握り込んだ。

 王都に来たのは春の始まりだった。夏が終わりかけた今でも、時々夢に見る。


 王都で信頼できる人たちに囲まれて忙しくも充実し、驚きながら学んでいる日々は全て夢で、職場とあの息苦しい家をただ往復し、何も考えないように心を押し殺していた日々のほうが現実だという、そんな悪夢だ。


 長く暮らした東部の故郷での記憶は、そう簡単に消すことはできない。


「確かに、君に不義理をしたのは私の方だ。君の後見人に詫びの連絡を入れなければならないし、そうすれば、君を迎えに来てくれるかもしれない」


 切ってしまえと髪を引っ張られた痛み。無駄飯喰らいを見る冷たい視線と、不機嫌に当たり散らされる怒鳴り声を思い出して、ぎゅっと胃の辺りが引き絞られる。


「そんなことをする前に、きちんと君と話し合いたい。話し合いのテーブルに着いてくれるだろう? オーレリア嬢」



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― 新着の感想 ―
そっちかい!
これはパートナーに相談して、徹底的な対処をするのが1番ですね。
いい感じのヘイト要員に育ちましたね笑
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