56.思わぬ幸運と貴族の糸
こんなことを聞いてしまって、はしたないと思わないでね、とスージーはうっすらと頬を赤らめて言った。
「私の護衛は、結婚後に夫が普段の話し相手や、出かける時に連れて行くようにって雇ってくれたのだけれどね、元々は冒険者をしていた子なの」
「まあ、専任の護衛を雇われるだなんて、ニーヴェン男爵はスージー様を深く愛しておられるのですね」
「あら、ほほ。まあ、まだ新婚で、心配ということもあるかもしれないけれどね」
スージーはまんざらでもなさそうに笑うが、貴族が妻や娘の外出に際し従僕や御者に護衛を兼任させるのではなく、専任で護衛を雇うというのはそれなりに意味のある行いだ。
大抵、外から見える使用人というのは背が高く、見目も麗しい男性が選ばれる。政略結婚が当たり前の夫人や異性と気軽に出会う機会の少ない令嬢などが、そうした使用人に憧れを抱くのはままあることだ。
そうした高貴な女性たちの「軽率な行い」を抑制するために侍女やシャペロンが常に傍に侍ることになるけれど、外出先はどこにでもついていける女性の護衛をつけることにも一定の意味がある。
「やはり、とても美しい方なのでしょうか」
声を潜めて尋ねると、スージーは少女のように頬を赤らめた。
「ええ、そうなの。背が高くて、りりしくて、美形できりっとしていてね。冒険者としての実績もある、とても頼れる人よ」
「まあ、素敵ですねえ。麗しい護衛というのは、なんというか、一種の憧れのようなものがあります」
「そうよねえ。私もまさか、夫があんな素敵な護衛をつけてくれるなんて、思わなくてね」
「物語から出てきたような方も、時々いらっしゃいますものね」
「まあ、歌劇のようですわね」
「今日の帰りにでも、ちらりと垣間見ることができれば嬉しいですわね」
その場にいた他の女性たちも、ややうっとりとした口調で言う。
女主人と女性騎士の題材は物語や歌劇でも人気がある。端正な麗人が美貌の女主人に自らの忠誠を捧げる場面などは、いつの時代もため息交じりに語られるものだ。
社交のない時期は時間を持て余しがちになる貴婦人にとって冒険者時代の話はよい退屈しのぎになるし、子供たちに簡単な護身術を教えたりすることもある。
女性の護衛は侍女や家庭教師とはまた違う、家族と深く関わる高級使用人の一種になる。
「その子がね、冒険者時代の友人に、最近花の時期にも自由に動き回れるものが作られていると聞いてきましたの。ただ、今は現役の女性冒険者にしか販売されていないらしくてね」
スージーは扇で口元を隠し、ほう……と思わし気にため息を漏らす。
「それがあれば、今よりもっと奥様の傍に侍ることができるのに、なんて言われてしまってね。なんとかしてあげたくて、私からもギルドに問い合わせをしてみたのだけれど、どうもギルドを通しての販売ではないようなのよ。ウィンハルト家は王都で「手広い」でしょう? 何かご存じないかしらと思ったの」
「なるほど……」
冒険者にとって、引退後に護衛や警護役として雇われるのは、よくあることだ。
腕っぷしだけでなく実績や素行、ギルド内での評判や信頼、最終ランクなど、様々な面で信頼できると認められれば貴族に雇われるのも夢ではない。
冒険者よりよほど安定していて安全なので、無茶な探索ができなくなってからの一種の保障にもなる。スージーの護衛もその一人らしい。
オーレリアは今も、手の回る範囲で女性冒険者の助けになればとナプキンを販売している。その使用者の一人とスージーの護衛が知り合いなのだろう。
「スージー様、少し、お耳をお借りしてよろしいでしょうか」
アリアは声を潜め、ちらり、と人の少ない木立ちに視線を向ける。あらあらと不思議そうな表情を作りながら、スージーは少し失礼いたしますわね、とその場にいる他の女性に告げて、アリアと共に少し離れた場所に移動した。
さりげなく視線がこちらを追っているのを意識しながら、そっとスージーに体を寄せて、いかにも秘密を打ち明けるように、耳打ちする。
「その品ですが、伝手がありますので、ご用意することは可能です」
「まあ、本当?」
「はい。これは本当にたまたまなのですが、製作者が私の「友人」なのですわ」
「あらあら、まあまあ。もし噂だけでも知っていればと思って尋ねたのに、さすがウィンハルト家ねえ」
「現状は冒険者の女性だけに使用してもらっているのですけれど、年明け頃には貴族の皆様にも手に取っていただけるようになると思います」
「あら、結構かかるのね」
「そこは、肌に直接触れるものですし、今日のような内輪の集まりならともかく、私たちのような立場で中々公の場で話題にするのは難しいので……スージー様なら、お判りになっていただけると思いますが」
「ええ、それはまあ、そうよねえ」
貴族の女性はたおやかで、慎み深く、慎重である必要がある。
含みを持たせた言葉に、スージーは高貴な立場の者に売り込む前に、女性冒険者で安全性の確認をしている最中だと納得したのだろう。
すでに世に広まり切ったものでは、意味がない。
安全が確認され、そして最先端である。それが貴族に好まれる「商品」だ。
「幸い、すでに安全性と実用性はほとんど確認が取れています。まだ準備段階ですが、スージー様の護衛の分くらいならば、融通させていただきますわ」
「まあ、いいのかしら」
「私が不在の間も、色々とお気遣い下さったでしょう? 今日も温かく話しかけてくださって、とても感謝していますの。それくらいさせてくださいな」
「あら、それくらい、当たり前のことよ」
柔らかく微笑み合い、スージーと共に輪に入ると、再び他愛ない話題に戻る。
こうした場での内緒話は特に珍しいものでもないし、詮索するのは野暮というものだ。
けれど、そこに秘密があるなら知りたいと願うのは人の性であり、ウィンハルト家からニーヴェン男爵家に何か届け物があったということも、なぜかあっという間に広がるだろう。
後は、放っておいても何やら有用なものがウィンハルト家の後援で販売されるらしい。同じ派閥の者は、比較的容易く手に入るようだと勝手に広まっていくはずだ。
――サンプルはしばらく大丈夫だと言ったけれど、オーレリアには急いで作ってもらった方がいいわね。
ただし、彼女が無理をしない範囲で。
あの気が優しくて押しに弱い友人は、期待されれば頑張ってしまうだろう。少し無理をすればなんとかなるという状態なら、無理を選ぶはずだ。
そんなやり方では長続きはしない。後援の家のものとして、他でもない彼女のビジネスパートナーとして、友人としても、長く安定した活動のために一時の無理を強いるようなことは避けていきたいものだ。
それでも、最初のお茶会でこんなに上手い展開になるとは、想像しなかった収穫だ。適当に話題に付き合ったあと、さり気なく女性たちの輪から離れ、並べられたデザートを取り分けてお酒の風味の効いたケーキを口にし、控えていたメイドの淹れた紅茶でゆっくりと流し込む。
他の参加者はお喋りに夢中なようで、テーブルの上には多彩な料理やデザートが並んでいるのに、お茶を楽しんでいるのは自分だけのようだ。なんとなく姉の姿を探すと、少し離れたところで主催者であるメイソン伯爵夫人を含む数人の貴婦人と穏やかに会話をしていた。
今回の参加者の中でも、身分も年齢層も高い貴婦人たちだ。あちらは姉に任せておいたほうが無難だろう。
秋も間近になった良く晴れた空は抜けるように青く、風がとても心地いい。作ったものではない笑みを口元に浮かべると、不意に声を掛けられた。
「あら、とても機嫌がよさそうですわね、アリアさん」
「――スチュワート伯爵夫人。お久しぶりです」
「こんにちは。まあ、本当にお久しぶりだこと。姿を見かけなくなってしまったから、もうお会いする機会がないのではないかと心配していたのよ」
言葉は丁寧だが、そこに生えた細かい棘は、気づかないふりをするのが難しいほど鋭いものだ。
貴族にもうお会いすることがない、というのは、その土地の社交界から追放されたというのを意味する。
決して穏当な言葉でも、礼儀正しい言葉でもない。
スチュワート伯爵家の三女のニコラは、同じ派閥で年も同じ、家同士の繋がりも深く、かつてはアリアとは友人の関係だった。
婚約者と親友の関係を知っていながら、口を噤んでいた者の一人だ。
――ニコラは、確か北部の辺境の男爵家の後妻に入ったのだったかしら。
レオナからあの件に関わった者の顛末の報告書は受け取ったし、目を通しもしたけれど、二度と自分と会うことはない。それだけ分かれば十分だったので一読してすぐに暖炉に放り込んでしまった。
文字通り、ニコラは王都の社交界から追放されたことになる。
彼女は自分の行いの責任を取った。それで家と家との話は終わった。遺恨を残すことはないし、表面上はこれまでと何も変わらずに振る舞っていく。
貴族としてはそれが当たり前だ。けれど人としては、末娘を二度と王都に戻らないだろう辺境の地へ、おそらくは幸福とは言えない結婚に至った元凶に、思うところがあっても仕方がない。
「何かと心が騒がしいことが多かったので、両親と姉に勧められてこの一年は静かに過ごしていたのですわ。けれど、いつまでも気落ちしてばかりではいられませんもの」
アリアは穏やかに微笑み、ゆっくりと、丁寧に告げる。
「栄えあるウィンハルト家の一員として、これからは社交にも力を入れていくつもりですわ。貴族として正しく振る舞っていく所存です」
貴族であっても――貴族であればこそ、守らなければならない規範も暗黙の了解もある。
特に派閥内の家同士では、その決まりごとは半ば掟に近い。裏切ってはいけない、情報共有を怠ってはいけない、情に流され過ぎてはいけない――明文化されていない、だが踏み込んではならない決まりは山のようにあり、それを息をするようにこなしていくことが、貴族の生き方だ。
かつての友人には、それができなかった。貴族の間でそうした噂は瞬く間に広がっていく。
ウィンハルト家への筋を通したというだけではなく、だから家から追いやられたのだ。
――たかだか一年、表舞台に姿を現さなかったからといって、故のない棘を向けられて、怯えて再び部屋に籠るようなか弱い娘だと思っているのかしら。
「若輩者ですが、精いっぱい務めていくつもりですわ。どうぞ、見守ってくださいましね、スチュワート伯爵夫人」
「まあ……それは、楽しみですわね」
完璧な笑みを浮かべて、スチュワート伯爵夫人は去っていった。アリアはその背中を、冷めた目で見送る。
表立って嫌がらせをするようなことはないだろうけれど、弱り目を見せれば容赦なく付け込んでくるだろう。
けれど、そんなのは別段スチュワート家だけではない。どの家も一枚岩とは言えないし、派閥内にも親しい家もあればそうとも言えない関係の家もある。
丁寧に、蜘蛛が糸を張るように、どの家がどう動き、どんな思惑を抱いているのか情報の糸を張り、優雅に微笑みながらその糸の声を聞く。
できれば、この笑みは、あの優しい友人には見られたくない。
それはアリアの中にある弱さであり、温かみを帯びた部分でもあった。




