55.お茶会と姉の心配
「晴れてよかったわね」
姉のレオナの言葉に視線を馬車の窓の外に向ける。今日の王都は青空が広がっていて、抜けたように高い。
社交シーズンは夏であり、すでに秋が間近に迫っている今はそこから外れているけれど、王都の秋は極端に雨が少ない。秋の薔薇も咲き始める頃合いのため、美しい庭を見せびらかしたい貴婦人たちの思惑もあり、日中に催されるパーティやお茶会はむしろこの時期からぐっと数が増える。
肩に僅かに掛かる長さの髪を後ろにまとめ、低い位置に付け毛でシニヨンを作る。夜会ならば羽飾りを着けるところだけれど、今日はお茶会なので、レースとリボンをあしらった小さな帽子を髪にピンで留める。
ドレスは詰襟に肩から胸元までレースを重ねた若い娘らしいデザインで、ウエストはコルセットでいつもより二インチ絞っている。
スカートはふくらみのないものを選んだ。首元に付けているブローチはアクアマリンを嵌めこんだもの。白い手袋に扇。これに白い日傘を差せば、立派な貴族の娘である。
「あなたは髪を下ろしていてもよかったんじゃない? 今日のお茶会は強引な方は招かれていないし、いいお話があるかもしれないのに」
「今はそれどころではありませんわ、お姉様。わかっていらっしゃるくせに、意地悪ですね」
ショートヘアの女性は珍しくないけれど、いまだに貴婦人の集まりと言えば長い髪をまとめた形が主流である。その慣例に従って髪を作ったが、未婚のアリアは髪を下ろしていても問題はない。
若い女性のまとめ髪は「異性の紹介は間に合っています」という意味である。
「姉として、あなたのことを心配しているのよ。今すぐ縁談をなんて言うつもりはないけれど、恋愛のひとつやふたつ、仕事の合間にだってできるでしょう」
姉や両親は、他の貴族の家にくらべれば格段に話の分かる人たちだ。それでも十八になるアリアが婚約者ひとりも持たず、文通している男性のひとりもいないことはやはり気になるらしい。
「あなたはこれから、色々な人が近づいてくる立場になるわ。その時になって信頼できる相手を見つけるのは砂漠で砂金を拾うほど難しいものよ。今のうちに今のあなたを選ぶ相手を見つけるのも、悪くはないと思うのだけれど」
「今の私を選んだ人が、成功した私を愛し続けてくれる保証などどこにもないと思います。劣等感をこじらせるくらいならともかく、足を引っ張られるのはごめんですよ」
「アリア、世の中はそんな方ばかりではないわよ」
姉にほう、とため息を吐かれると、まるで聞き分けのない子供になったような気分にさせられる。
「お義兄様のような方が現れたら、その時は迷いませんわ。だって、お義兄様のような方なら今の私でも、未来の私でも、きっと私を愛してくださると思います」
ウィンハルト家の後継者であるレオナと結ばれた義兄を持ち出せば、姉は黙るしかないだろう。久しぶりの貴族の集いに、我ながら少しピリピリしているようだ。
すう、と息を吸って、吐く。コルセットで締め付けているせいで意識しないと空気が深く入ってこない。これから、この手の催しはうんざりするほど数をこなしていくのだ。最初からこの調子では、我ながら先が思いやられる。
「今日は、メイソン伯爵夫人の主催でしたね。夫人は昔から紅茶がお好きな方でしたが、今もお変わりありませんか?」
「ええ、先日も夏摘みの紅茶が終わるのは惜しいけれど、オータムフレーバーが楽しみだと言っていたわ」
「今年は当たり年ですし、機嫌が良さそうでなによりです。夫人のお茶会はティーフードも美味しいですし」
「それくらい軽口が叩けるようなら、大丈夫そうね」
微笑む姉に笑い返したところで、馬車が減速を始める。しばらく待って完全に止まると、ドアが軽やかにノックされた。
パーティには必ず同伴する異性が必要だけれど、お茶会は女性だけの集まりなのでエスコートする男性はいない。従僕の手を借りて馬車から降りると、まずは控えの間に通されて、参加者があらかた集まったところで使用人に会場である庭に案内される。
その間、参加者同士で軽く挨拶を交わすけれど、実際に社交が始まるのは会場で席に着いてからだ。
庭には白いクロスを敷いたテーブルに、お茶のセットが並べられている。今日の参加者は十五人。全員がアリアも顔を知っている者ばかりだ。
「いらっしゃいレオナさん。アリアさん、お久しぶりね」
席に着く前に、声を掛けてくれたのは今日の主催であるイザベラ・カトリーヌ・メイソン伯爵夫人である。楚々とした美貌を持つ女性で、いつもにこにこと人の好い笑みを浮かべている人だ。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「ご無沙汰しております、イザベラ様。今日はお招きをありがとうございます」
姉に続いて一礼し、柔らかく微笑む。
「あらあら、すっかり立派なレディになられたのね。うふふ、今日は色々とお話を聞かせてくださいな」
メイソン伯爵家はウィンハルトと派閥を同にする家で、母親と年の近いイザベラとは子供の頃から親交がある。
どのお茶会に参加するか選んだのはレオナだが、久しぶりに社交界に顔を出すアリアの最初の集まりにメイソン家を選んだのは、そうした理由もあったのだろう。
席に着き、イザベラが簡単に挨拶を済ませ、それぞれがお茶に口をつける。夏摘みの紅茶らしいあっさりとした後味の中に、微かな清涼感を感じさせた。
「今日はブレンドティーなのですね。ミントと……レモン、ではないですよね」
問いかけると、イザベラは嬉し気に目を細める。
「レモングラスよ。ほんの少しだけれど」
「今日はよく晴れているので、すっきりとした後味が嬉しいですわね」
「本当に」
ほほほ、と軽やかな笑い声がそこかしこから響く。
最初の二十分ほどは、お茶の話題と近況の雑談。その後主催者によろしければ庭を見て下さいと水を向けられて、立食に変わるのが通常の流れだ。個別に話をしたい相手がいる場合はこの時に済ませ、興味深い内容ならば話に交じってくる者もいる。事業の話をするならその時になるが、広めたい話題があるのはアリアだけではない。若いアリアは大目に見られることも多いけれど、あまり話をしたいという雰囲気を出し過ぎるのは長い目で見ると悪手になる。良き聞き役に徹することも、大切な社交術だ。
そよそよと、夏の盛りとは違う柔らかい風が帽子のレースを揺らす。
和やかに笑い合うお茶会の中で笑みを作りながら、アリア・ウィンハルトの戦いは静かに始まっていた。
* * *
「アリアさんとお会いするのは一年ぶりかしら。お元気そうで、本当によかったわ」
「スージー様……いえ、ニーヴェン男爵夫人。お久しぶりです」
「いやだわ、女性だけの席だもの、これまで通り名前で呼んでくださいな」
ほほ、と扇で口元を隠して笑うのは、アリアより少し年上の女性だった。以前会った時は独身だったけれど、アリアが社交界から距離を置いている間にすっかり貴族の夫人らしくなっていた。
その他にも数人、顔見知りの女性が集まってくる。皆子供の頃からアリアを可愛がってくれた、年長の人たちだ。
「皆様も、お元気そうでよかったです。今日は久しぶりに会えて嬉しいです。これからは少しずつお茶会にも顔を出して行こうと思っているので、よろしくお願いします」
「それは素敵な報せだわ。何か良いことがあったのかしら?」
さりげなく、スージーの視線がアリアの髪に向けられる。既婚者や婚約者のいる女性のするまとめ髪をしているということは、いい相手ができたのではないかと思われても仕方がない。
「はい、良い出会いに恵まれました。しばらくは忙しくなりそうです」
「それはよかったわ! 本当にねえ、みんな、心配していたのよ」
「ええ、ウィンハルト家の姉妹の優秀さは、昔からよく貴婦人の話題に上ったものですものね。アリアさんがお元気になられたなら、本当によかったわ」
「姉には遠く及びませんが、私もウィンハルト家を盛り立てていくため、これからも精進いたしますわ」
軽やかな笑い声が上がる。はっきりとした発表がないうちは、相手が誰かなどと詮索する無粋な人間はこの場にいないので、適当に話を合わせておくことにする。
まずは、年長の参加者に気持ちよく話してもらって、自分の話題はその後だ。にこにことしながら彼女たちに相槌を打っていると、ふと、スージーが声を潜めて言った。
「そういえば、ねえアリアさん。私の護衛が話していたのだけれど、冒険者の間に花の時期のケア商品が出回っているらしいのだけれど、アリアさんは聞いたことがあるかしら?」
その思わぬ言葉にぱちぱちと瞬きをして、すぐに返事ができなかったのは、さすがに仕方のないことだっただろう。
19世紀末から20世紀初頭の関連書籍を色々と読んでいるのですが、変化がものすごく激しい時代ですね……。




