49.友人の友人
「少し見ない間に、随分お美しくなられたんですね。それとも、こちらが元々の姿なのでしょうか?」
ライアンと言葉を交わしたのは一度きり、それも通りがかりのごく短い時間だったけれど、こんな丁寧な口調でなかったことは覚えている。戸惑いつつもいえ、とオーレリアは首を横に振った。
「今日は仕事のための外出なので、こんな格好をしているだけで、普段はあちらが素です」
「それはそれは」
にっこりと笑うライアンの表情は、流行りの劇場の公演のポスターに大きく載っている舞台俳優さながらの整いぶりであるけれど、それと同じくらい熱の通わないものを感じさせた。
「ええと、何か御用でしたか……?」
正直、何が目的で声を掛けてきたのか、よく分からない。ライアンとは共通の友人がいるというだけの他人だし、おそらく道ですれ違っても気が付かなかっただろう。
ウォーレンの友人相手に失礼な態度は取りたくはないけれど、今日はアリアも一緒だ。彼女に変なところを見せたくないなとちらりとアリアに視線を向けると、それに誘導されるように、ライアンもテーブルの向かいに座るアリアに目を向けた。
「失敬。あなたもこちらのお嬢さんとご同類で?」
「質問の意味が分かりませんわね。先ほどから、一体なんなんですか? 名前も名乗らず、遠回しに嫌な態度をとるのが紳士の行いなのかしら?」
「おっと、これは失礼。俺はライアンといいます。しがない冒険者ですよ」
「そうですか。オーレリア、こちらはオーレリアの友人ですか?」
「ええと……、友人の、友人、のようです。その、私はよく知らなくて」
「つれないな、フスクス嬢。――あいつはもう、王都には戻ってきませんよ。どうぞ、正直に振る舞ってくれて結構です」
「あの、すみません、ライアンさん。先ほどから、私も困惑しています。何かお話があるならお聞きしますが、今はパートナーと大切な仕事の最中です。ご用がないようでしたら……ご遠慮していただけないでしょうか」
オーレリアとしては数年分の勇気を振り絞っての言葉だし、こんなことが言えたのも、自分のためというより傍にいるアリアに不格好な姿を見せたくない気持ちが強かったからだった。
ライアンは整った眉の間にうっすらと皺を寄せたものの、ひょいと肩を竦めてみせる。
「あいつが戻らないといっても、動揺しないんだな。もう切り替えて、次はそちらの貴族のお嬢さんが標的というわけか?」
ライアンが何を言っているのか、正直よく分からない。どうやら何か誤解があるらしいという程度はわかるけれど、何を言っても、信じてくれる空気でもなかった。
「ウォーレンさんは、できるだけ早く帰ってくると言ってくれました。本人から直接戻れないと報せが来たなら仕方ありませんが、そうでないなら、私がすることはひとつしかありませんから」
「は……。なるほど、やり手というわけだ」
あざけるような言葉にぐっ、と唇を引き締めると、向かいに座ったアリアが軽く手を上げる。すると、まるで飛んでくるようにスタッフが駆け寄ってきた。給仕のための店員というより、店内の防犯のための屈強な体躯を制服に包んだ男性スタッフだ。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
「失礼。友人と歓談中なのですが、先ほどからこちらの男性がひどく絡んできて困っているんです」
こちら、とアリアがライアンに視線を向けると、スタッフはぎろり、と三白眼気味の目をライアンに向ける。
「――お客様、他のお客様のご迷惑になるようなことは」
「ああ、分かったよ。すまなかったね。しつこくする気はなかったんだ。俺も連れがいるし、この辺りで退散させてもらうよ」
ぱっ、と両手を開いて眩く明るい笑顔を浮かべると、ライアンは軽い口調で言った。
「ごめんねフスクス嬢。機会があればまた」
「……はい」
そう言って、未練も見せずに離れていくライアンをなんとなく視線で追うと、少し離れたテーブル席に着いた。そこにはふわふわのピンクの髪の女性が座っていて、拗ねたようにライアンになにごとか言っているけれど、声はこちらまで聞こえなかった。
以前一緒にいた女性とは、雰囲気が違う。多分別の女性だろう。
「ありがとう、助かりました」
「いえ、また何かありましたら、すぐにお声がけ下さいお嬢様」
さり気なく、それでいてスマートに心づけを渡すと、アリアはそっとテーブルの下でオーレリアの手を握ってくる。
「オーレリア、顔色が悪いですよ。大丈夫ですか?」
「はい……その、緊張してしまって」
オーレリアは、高圧的に振る舞われるのが非常に苦手だ。おまけに言い返すのはもっと得意ではない。ライアンがあっさり去ってくれて助かったけれど、緊張が解けると疲れがどっときた。
「アリア、コーヒーを飲んだら、出ませんか? 何か、居心地が悪くて」
「私もそう言おうと思っていました。美味しいデザートが台無しですよ」
アリアはいつも朗らかで笑顔を絶やさない人なのに、今は不愉快な様子を隠していない。それが申し訳なくて、自然と肩が落ちる。
「すみません、何か、私にもよくわからなくて」
「オーレリアは悪くないですよ。……あの人、ゴールドランクの徽章をつけていました。街中で突然絡まれたと冒険者ギルドを通して苦情を言うこともできますけど、どうします?」
「いえ、構いません。もう、会うこともそうそうないと思いますし」
元々、ライアンはウォーレンを通しての顔見知りというだけだ。知人というにも届かない、かろうじて互いの名前を知っているという程度である。
広い王都で二度も偶然出会ったのが大変な確率であるというだけで、さすがにウォーレンが仲介しない限りは、三度目はないだろう。
「オーレリアならそう言うと思っていました。でも、何かあったら絶対に私に知らせてくださいね。そういうケアも含めて、パートナーなんですから」
「はい、その、ありがとうございます」
アリアはころりと機嫌を直したように笑い、運ばれて来たコーヒーに砂糖とミルクを入れて、ゆっくりと傾ける。
「あの失礼な人は不愉快でしたけど、でも、オーレリアが私のために言い返して、パートナーと言ってくれたのは嬉しかったです。全然許す気はありませんけど、でも、いいです」
「私も……アリアが一緒でなければ、言われるままだったと思います」
オーレリアはミルクだけを淹れてゆっくりとコーヒーを傾ける。料理は美味しかったし、きっとこのコーヒーだってとても美味しいのだろうけれど、味はよく分からなかった。
「行きましょうか。午後の物件を回ったら、口直しにどこかでケーキでも食べましょう。今日は少し蒸すので、アイスかジェラートもいいですね」
小さな鞄を持って立ち上がるアリアに頷いて、オーレリアも席を立つ。
なんとなく、ライアンの座っていた方に視線を向けたけれど、彼は一足先に立ち去ってしまったようだ。
『あいつはもう、王都には戻ってきませんよ』
ライアンには動揺していないように見えたらしいけれど、その言葉はしっかり、重たい石のようにオーレリアの心にのしかかっている。
戻れないような、何かがあったのだろうか。無事だろうか。怪我をしたり、もっとひどいことになっていなければいいけれど。
彼はお腹が痛む持病を持っていた。もしかしたら病気が重くなって、治療に出かけたのかもしれない。悪い方に考えればいくらでも、想像は重く重なっていく。
「オーレリア?」
「――今行きます」
分からないことを考えても仕方がない。
戻ったら連絡をくれると言った。またエールを飲みに行こうと約束した。
ウォーレンは、友達だ。その約束がいつになったって、オーレリアができるのは、ただいまと笑って言う友達に、おかえりなさいと告げる、それだけだ。




