45.準備期間とパートナーの申し出
「やっぱりもう少し締めましょうか?」
「いえ、もうこれくらいで……」
すでに十分締めあげられて苦しいくらいだ。腰だけでなく背中もいつになく伸びて、普段使っていない筋肉が早速苦情を言い始めている。
ウィンハルト家の応接室には招かれたオーレリア他、アリアとレオナ、メイドが二人と中央区のブティックから呼ばれた女性店主とその補佐の女性が入り、いつもより少し手狭気味である。ドアの傍の壁にはトルソーが置かれ、服が何着も着せられて並んでいた。
「今日は服を見直しましょう!」
招かれたそうそうアリアに元気よく言われてから、あれよあれよという間にその日着ていた服を剥かれ、シュミーズと下着姿から、メイドの手を借りてコルセットを締められて今である。
「オーレリアさん、苦しくないですか?」
「はい、なんとか……」
「コルセットを締めていると、背筋が伸びるので時々締めるのはお勧めですよ。使ってないと背中の筋肉が衰えて、うつむきがちが癖になりますから」
あとで一人でも締められるやり方、教えますねというアリアはとても楽しそうだ。子供の頃から自分のことは自分でやるのが当たり前だったので、着替えを人に任せる自分というのが想像できないし、ありがたく頷く。
「服はブラウスとスカートにしますか? ジャケットと合わせると、ぐっと落ち着いたご婦人らしくなりますよ」
「いえ、ワンピースにしましょう。動きやすいですし、オーレリアさんに似合いますし。袖は膨らんでいないもので、飾り襟はレースではなく刺繍のものを。裾は歩きやすいようにくるぶしより上で、パニエのいらないものがいいわ」
アリアが言うと、ブティックの店員がてきぱきと箱を開けて新しい服を並べ始める。普段オーレリアと出かけて、古着屋であれもいい、これも捨てがたいと迷っている時とはまるで表情が違っていた。
「では、お嬢様。こちらを」
「あ、ええと、はい」
子供の頃から自分のことは自分でやるのが当たり前だったので、人に服を着せてもらうというのはどうにも落ち着かない。アリアはわくわくとした表情でソファに戻りこちらを見ているし、レオナもそれよりは落ち着いた様子だけれど、楽し気に視線を向けてくる。
「私が娘時代は、袖は膨らんでいればいるほどいいという感じだったのに、あっという間に流行が変わったのねえ」
「いやだ、お姉様。私と六歳しか変わらないじゃないですか」
「結婚するとどうも、服装が保守的になってしまうのよね」
「お義兄様は、お姉様の服にあれこれ文句を言うような方ではないではないですか。三人でお揃いのワンピースを仕立ててお出かけしましょうよ」
「もうジャケット無しで歩き回る勇気は出ないわよ」
「そういう制限をしていると、あっという間に老けて見えるようになりますよ」
「いやだわ、生意気な子ね」
じゃれ合う姉妹をよそにワンピースを着せられ、腰のベルトの位置を細かく調整される。普段着ているものより軽く、明らかにランクが高いのが肌触りからも伝わってきた。
「やっぱり、オーレリアさんにはこのスタイルが似合いますね。身軽で活動的、それでいて少しクラシカル」
「最近は二の腕まで出すのも見かけるようになったわよね。図書館も、一般への貸し出しを始めると検討が始まっているし。本当に目まぐるしく変わるわね」
「我々も時代の波に取り残されないよう、努力するべきですわ」
笑いながらアリアが席を立ち、オーレリアの手を引いて椅子に座らせる。次に入ってきたのは髪を高い位置に結い、エプロンをかけた女性で、押してきたワゴンの上にずらりと並んでいるのはブラシやコーム、鋏や剃刀である。アリアが丁寧な手つきでオーレリアのおさげを結んでいるゴムを外すと、にんじん色の髪がふわりと広がった。
「オーレリアさん、本当に髪を切ってしまってもいいんですか?」
「はい、惰性で伸ばしっぱなしにしていますし、この間、その……」
「髪を整えるのは私も賛成ですけど、あんな客の言うことは気にしなくてもいいのよ」
「え、なんですお姉様」
見るからに司書ではないオーレリアを来館者の私服メイドか召使だと思ったらしく、王立図書館の来館者に十代の前半でもしないような髪型はみっともない、栄えある王立図書館に出入りする資格があるのかと居丈高に怒鳴られたのを、通りかかったレオナに取りなしてもらったのをかいつまんで説明すると、アリアはみるみる表情をこわばらせ、険しい表情になった。
「なんですそれ。出入り禁止くらいにはしたんですよねお姉様!」
「年配の殿方がああいう振る舞いをするのは、まあ、珍しいことではないから……」
「その手合いは、そういう態度を許しているからつけあがるんですよ。オーレリアさん目当てに書架をウロウロするような真似、してませんよね!?」
「いえ、私は基本的に裏方ですし、食事の時くらいしか部屋から出ないので、大丈夫ですよ」
その食事も半分ほどはスーザンが持たせてくれる昼食で済ませているので、オーレリアが図書館の利用客と顔を合わせる機会はほとんどない。
「大丈夫ですし、週末には退職ですから、もう会うこともないと思います」
アリアは納得した様子ではなかったけれど、美容師が髪にブラシを入れ始めたので、怒るのはやめにしたらしい。
「十分に気を付けてくださいね。あと、その手の輩に舐められないよう、おしゃれしましょう。おしゃれは武装ですからね」
「髪を切っても、そう変わらないと思いますけど」
丁寧に櫛を入れられると、にんじん色の髪は胸の下まで届くほどの長さだった。いつも三つ編みにしてそのままだったから、随分長くなったものだ。
「王都では短くするのが今風ですけど、オーレリアさんは少し長さを残してもいいと思います。髪質も軽くて扱いやすそうですし、ミディアムにしてコテをあててもいいですね」
「一部を編みこんで、飾り石のついたバレッタで留めるほうが手軽じゃないかしら」
「明るい色の髪はそれだけで装身具のようなものですから、編みこむなんてもったいないですよ」
肩の下ほどで切りそろえてもらい、前髪も少し切ってもらう。長さは半分ほどになったが、その分随分軽くなった。
髪の破片を丁寧にブラシで払ってもらい、そのまま美容師にお化粧もしてもらう。顔を剃られるのは少し緊張したけれど、眉を整え、化粧水を塗り込み、下地を塗り、白粉をはたいているうちにアリアもレオナも黙ってしまった。
前世では当たり前に化粧をしていたけれど、こちらでも前世とそう遜色のない化粧品が揃っている。オーレリアは見に行ったことはないけれど、舞台女優などは付けまつげもするという。
最後に口紅を塗って、ケープを外してもらえば完成だ。美容師が手を貸してくれて、椅子から立ち上がる。
「あの……どうでしょう」
「驚きました!! オーレリアさん、すごくきれいですよ!」
ソファから弾けるように立ち上がり、アリアが両手を握ってくるくると回る。いつもより軽い髪とスカートも、その動きに合わせて揺れた。
「元々可愛らしい方だと思っていましたけど、随分雰囲気が変わりますね。これは、街を歩くだけで婚約者に名乗り出んとする人が行列を作ってしまうかも!」
「アリアさん、もう、からかわないでください」
「からかってません。お姉様! 何か言ってください」
「ええ、勿論これまでも、魅力的なお嬢さんだと思っていたけれど、少し驚いたわ。オーレリアさん、前髪は絶対に今より長くしないほうがいいと思います」
「私たち、顔立ちは全然違うけれど、瞳の色がよく似ていますよね。オーレリアさんがウィンハルト家の後援を受ければ、きっといろんな方が都合よく誤解してくれます」
レオナが軽く手を上げると、メイドと美容師は静かに退室していく。ソファに座ったところで、新しくお茶が運ばれてきた。
「図書館の来館率が上がってから、エアコンの探りを入れてくる人が増えましたね。もうしばらく焦らして、基盤を作って来年の夏くらいから本格的に売り出しにかかる準備をしていこうと思います」
「ナプキンも、ひとまず【防水】の術式の提供を条件に付与術師を集めています。大量生産にはまだ及びませんが、ある程度の数の生産体制は整えられるかと」
ナプキンに関しては、布自体が水分を吸うのでまずは廉価版で背面に【防水】を付与したものに、オーレリアが仕上げで【吸着】を施す形になった。
「わっと話題になった時は似たようなものが一気に出てきますが、オーレリアさんが手掛けたものは下着に張り付けてズレないという最大の強みがありますから。まずはそれを売り出して、【防臭】や【吸水】の付与を足したものは特別なものとして貴族を中心に売り出していきましょう。ブランドの名前が認知されれば、後はもう放っておいても「同じものが手に入るならフスクス製のものを」となりますよ!」
「それも準備が必要ね。実際に稼働するのは冬くらいになると思うわ。できるだけオーレリアさんは表に出ないように取り計らいますから、それは安心してください」
「何から何まで、すみません。ありがとうございます」
「それも含めて後援ですから、堂々としていてください。――ふふ、私、子供のようにワクワクしているんですよ」
「ですよ! ……ねえお姉様。私、オーレリアさんの補佐になってはいけませんか?」
「あなたが?」
「はい。図書館の仕事は楽しいですけど、私もやっぱりウィンハルトですね」
ぱっ、と水色の瞳を輝かせて、アリアはオーレリアに笑いかける。
「鮮烈なものを売り出して、市場を回し、話題を独占したいです。忙しい忙しいって文句を言いながら笑って、贅沢な悩みで頭を痛める相手は多いに越したことはないじゃないですか。――オーレリアさん、私、仕入れ交渉も取引も帳簿の管理もできます。商売のやりかたは一通り学びましたし、人を見る目も少しはあると思います。私を、オーレリアさんのパートナーにしてもらえませんか?」




