39.黄金の麦穂
樫の一枚板で作られた重たい扉をくぐり、ウォーレンが中に入るとすでに仲間は全員揃っていた。
「すまない、遅くなった」
「いや、時間ぴったりだよ。お疲れさん」
ライアンが言うと、テーブルを囲んでいた黄金の麦穂の仲間たちもよう、と軽く手を上げて挨拶してくれる。
元々は老舗の鍛冶工房だった建物は、廃業してから十年以上が過ぎるはずだが、いまだに中に入った瞬間は煤のような匂いがする。パーティメンバーの一人であり火の魔法使いであるジーナがこの匂いをいたく気に入ったため、五年前、まだ新進気鋭と呼ばれていた頃のパーティで金を出し合い、半ば廃墟になっていたこの建物を購入し、以来黄金の麦穂の本拠地となっている。
他のメンバーは別に住居を持っているが、集会に使っている一階部分とは別に二階と三階にも部屋があるため、二階はジーナと水の魔法使いであるジェシカが住み着いていて、三階はほぼ物置と化していた。
全員が暮らしても十分余るほどの部屋はあるけれど、ダンジョンに潜る時は嫌でもパーティのメンバーと四六時中顔を突き合わせることになるので、地上にいるときくらいは単独で過ごしたいという冒険者は多い。実際、ウォーレンもライアンを除くメンバーと顔を合わせるのはエディアカランの攻略を終えて以後、ほぼ一か月ぶりだった。
「休暇は大分満喫したけどさ、そろそろ少しは動かないと、体が鈍っちまうよなあ」
のんびりとした口調で言ったのは、タンクであり戦士でもあるエリオットだ。
「自慢の筋肉が泣いてるね。休みの間は筋トレしてたのかい?」
「そういうジーナこそ、ダンジョンから出た後は王都の美食を食いつくしてやるー! なんて言ってたけど、少し太っ」
「あ?」
「なんでもない、なんでもない」
ジーナとエリオットのじゃれあうような会話に、思わず口元に笑みが浮かぶ。
ジェシカはおっとりとした表情で二人を眺めていて、手先が器用で細やかな仕事は何でもできるアルフレッドはいつも通り、やや眠そうな様子だ。
「次の探索の話もそうなんだが、それ以前にパーティの今後について決めないとな。スキュラの魔石の同定が済んで、晴れて我が黄金の麦穂はエディアカラン踏破パーティとして認定された。ギルドからの報奨金が金貨五百枚。それとは別に、国から金貨千枚が授与される」
「おおー」
「やったな!」
「まあ、素敵ね」
「それと、パーティのメンバー全員のランクが一つずつ上がることも決まった。俺とウォーレンはプラチナランクに。エリオット、ジェシカ、ジーナ、アルフレッドはそれぞれゴールドランクに昇格だ。これで我らがパーティは、名実ともに王都一の高ランクパーティになったわけだ。――ここまでがいいニュースだ」
「なに? 悪いニュースもあるの?」
「そりゃあ、あるでしょう。ダンジョンを踏破したんだもの、面倒もついてくるに決まっているよ」
ジーナが不思議そうに首を傾げるのに、アルフレッドがおっとりとした口調で答える。
「さしずめ、ウォーレンは陞爵で、ライアンには新しく爵位をってところかな? 他のメンバーにもどっかの顧問とか相談役とか、打診に見せかけた要請があったりしたんじゃない?」
「爵位をってのはともかく、しょうしゃく、ってなに?」
「爵位が上がることだな! ウォーレンは侯爵か公爵になるってことだ!」
ジーナの疑問に、エリオットがすごいな! と笑う。ウォーレンにとっては笑いごとではないが、ここしばらく王宮への出入りが続いていたため、彼らの屈託のない振る舞いには素直に癒される思いだ。
「まあ、おおむねその通りだ。エリオットには冒険者ギルドの指南役を、ジェシカとジーナには、現場の冒険者として宮廷魔導士の講師を、アルフレッドには新人冒険者の育成を、それぞれ手掛けるよう宮廷から「依頼」があった。ちなみに、ウォーレンは侯爵に、俺は子爵にしてくれるそうだ」
「ええー!? 冒険者を指南役とか講師とか、聞いたことないよ!?」
「冒険者の仕事は冒険ですよねえ。潜っている時は一ケ月くらい地上に出てこないのに、講師なんて言われても、務まるとは思えませんわ」
魔法使いの二人は困惑した様子で顔を見合わせている。実際、宮廷で必要とされる魔法と冒険者のそれとは毛色が全く違っている。二人が戸惑うのも、当たり前だ。
「王宮は、エディアカランを攻略したパーティに首輪をつけたいんでしょう。ましてツートップがプラチナランクだもの。プラチナランクって過去五人しかいないのに、新しく授与されるうち二人ともひとつのパーティにいるのは、バランスが悪いって思われたんだろうね」
「バランス? なんで?」
「僕たちは、強すぎるってことだよ。ウォーレンの索敵は精密で正確で、ライアンの作戦立案と交渉術は冒険者の中じゃ頭一つ飛びぬけている。二人とも騎士団が喉から手が出るくらい欲しがる力を持ってる上に、ジーナの火魔法は鉄も溶かすほど高出力だし、おまけに飛び道具を使わせれば百発百中だ。ジェシカは魔力量が多くて水の補給には全く困らない。エリオットはステゴロでゴブリンの群れを薙ぎ払い、オークキングとも対等に戦うとんでもない膂力の持ち主。単純に強い」
「なになに、やけに持ち上げるね」
「照れるじゃねえか!」
「僕は事実を言っているだけだよ。つまり、黄金の麦穂は強い。強すぎるってこと」
浮かれたようなエリオットとジーナに、アルフレッドは眠そうな目を向けて、ため息を吐く。
「でも、私たちが強いのなんて、元々じゃないですか? これまでだって王都の冒険者パーティの中では一番強いって言われていたと思うんですけど」
「うん、結局強いかどうかなんて基準が曖昧なものだしね。パワーだけならエリオットより強い人もいるし、火の魔法も水の魔法も高出力の魔法使いは他にもいる。でも、僕たちはエディアカランの攻略という、すごく分かりやすい「強さ」の証明をしてしまったわけだよ。ただのフリーの冒険者パーティとして放置しておくには影響力が強すぎて、国が首輪をつけたくなってしまうくらいにね」
アルフレッドの言葉に、数瞬、集会場に沈黙が落ちる。
「えーと、つまりその講師とか指南役とかは、あたしたちを王都に縛り付けるためのものってこと?」
「要請って形になってるけど、引き受けたら一定期間……十年とか十五年とか、結構な長さで辞められないよう誓約書を書くことを求められるだろうね。それで、宮廷やギルド全体に影響するって名目で、途中で抜けたら莫大な違約金を請求するって端っこのほうに小さく書いてあると思うよ」
「ちょっとちょっと。十年も仕事がちょいちょい挟まるなんて、冒険者としては終わったも同然じゃないか!」
ジーナが椅子を蹴倒して、立ち上がる。いつも鷹揚な態度のエリオットも珍しく口をへの字に曲げ、ジェシカもあらあら、と頬に手を当てて分かりやすく困惑した様子を見せていた。
冒険者が第一線を走っていられる時間は、そう長くはない。成人してから浅層で下積みしながらコツコツと仲間を集め、パーティを組んで中層へ。さらに腕を磨き、パーティを洗練させながら一部の熟練者は深層へ潜っていくけれど、それだって二十年とは続かない。
人は必ず年を重ね、体力が落ちていく。冒険者のように危険で過酷な仕事をしていれば怪我など日常茶飯事だし、ポーションで治療しても多少の後遺症が残ることもある。
黄金の麦穂はウォーレンとライアン、アルフレッドが二十四歳。エリオットが二十五歳、ジーナとジェシカが二十三歳という、高ランクにしては比較的若いパーティだ。冒険者としてはこれから脂が乗ってくる頃合いである。
そんな時期に十年、十五年も定期的な仕事が入り、長期で移動やダンジョンに潜ることができなくなるのは、実質冒険者の引退と変わらない。
要請された仕事はどれも大変名誉であり、実入りもいいだろう。探索とは違い危険もないし、今回の報奨金の山分けを別としても、今後の生活に困ることはまずないはずだ。
獣の牙を抜き、爪を抜いて飼い犬にするには充分な餌だ。そう考えて、ウォーレンの胸には苦いものが満ちる。
「褒賞金の支払いは一年後。ランクが上がるのも色々と準備があると言ってそれくらいになるそうだ。ダンジョンの探索までは止められないだろうが、どのみちその間は王都から動けない状態になる。俺とウォーレンはその間、お貴族様として出仕を求められるだろうけどな」
パーティは様々なバランスを考えて、メンバーひとりひとりが役割分担をしている。個々の実力が高くとも、六人中二人が抜けた状態でまともな活動をするのは難しい。
「――まったく、いち冒険者パーティを足止めするには、随分過ぎた餌だよな? ウォーレン」
ライアンの皮肉っぽい言葉に、唇を引き締めて頷く。
言いたくはないけれど、これを言葉にしなければ、フェアではないだろう。
「正直、俺も国やギルドがここまでするとは思っていなかった。というより、ここまでする理由は、多分俺だ。俺の陞爵は、王命だ。この国の貴族という立場である以上は逆らえない。逆に、俺がパーティを抜ければ、みんなはこれからも今まで通り活動していくことができると思う」
父はとっくに、自分を諦めたものだと思っていた。
その考えが甘かったのだと、痛感する。
「今日皆に集まってもらったのは、俺がパーティを抜けて皆はこれまで通りでいくか、それぞれの役職を受けて実質パーティを解散にするか、それとも褒賞やランクアップを捨てて全員でこの国から出ていくか……すぐにではなくとも、いずれ決断する日がくると思う。その時のために意思を確認しておきたい」
仲間内のくだけた空気はすっかり拭い去られ、誰もが真剣な表情でこちらを見ていた。
この集会所を購入し、夜通しで飲み明かし、時に夢を語り、愚痴を言い合った。大事で、思い出の多い場所だ。
そこでこんな判断を仲間に仰がなければならないことが、ウォーレンは心底、厭わしかった。




