35.一歩
鷹のくちばし亭の扉を開き、聞き慣れたカウベルの音を響かせると、夕食の営業が始まる前の食堂で、ロゼッタがエールのジョッキを傾けていた。
時間としては昼食の営業も終わり、夕食の時間まで食堂は閉まっているはずだけれど、オーレリアに用ということでスーザンが迎え入れたらしい。そのスーザンは、カウンターの奥の厨房で仕込みをしているようだった。
「オーレリア、おかえり。お疲れさん!」
「ロゼッタさん。ダンジョンから戻られたんですね」
ロゼッタに会うのは二週間ぶりだった。前回会った時、ダンジョンにしばらく潜ると言っていたけれど、無事に帰還したらしい。大きな怪我もしていなさそうなことにほっとする。
ロゼッタの隣には、銀髪を肩にかかるほどの長さで揃えた女性が座っていた。年はオーレリアと同じか、すこし下くらいだろうか。目が大きく少女と女性の中間の雰囲気を持っている。白いローブを着ていて、オーレリアと目が合うと軽く会釈をしてくれた。
「ああ、今日の昼頃に戻ったばっかりだ。あんたに早くレポートを出したくて、仮眠したらすぐ来ちまったよ。こっちはあたしの相方のノーラだよ」
「ノーラ・ホリデーです」
「初めまして、オーレリア・フスクスです」
「あたしだけでいいって言ったんだけど、どうしてもあんたにお礼がしたいって言うから連れてきたんだ」
「お礼ですか?」
テーブルに席を移し、オーレリアが首を傾げるとノーラはこくりと頷く。
「ロゼッタから、あなたの作ったナプキンを受け取った。あれは本当に素晴らしいものだった」
「今回の探索は中層に中期滞在の予定だったんだけどね、まあなんだ、ちょうど時期がかぶるからってんで、試してきたんだけどさ」
そう言って、ロゼッタは数枚の紙を差し出してくる。
使用時間、どの程度の汚れだったか、寝ている間に漏れがなかったかどうか、使用済みのナプキンの保存や洗浄について。かなり赤裸々ではあるけれど、細かく記されていて、参考になる意見ばかりだ。
「やっぱり、睡眠中が一番のネックですね……。横漏れを防ぐ形にすると着装感が悪くなるかもしれませんし、体を動かしている最中は、却ってズレやすくなるかもしれません」
「セーフエリアが遠い場合もあるし、移動中にズレないことが一番大事。仕方ないけど、セーフエリアに男がいることもあるから、あまりナプキン自体を大きくするのは冒険者向きじゃないと思う」
抑揚の少ない声でノーラが言い、ロゼッタも隣でうんうんと頷いている。
「ある程度は仕方ないな。戦闘中は魔物の返り血を浴びることも少なくないし、あたしも今の形が一番いいと思うよ」
中々怖い意見も聞きながら、レポートを読み、紙をめくる。ロゼッタとノーラのレポートがほとんどだが、最後のページにはロゼッタを通じてナプキンを使ってくれた女性冒険者の使用感や要望が短くまとめられていた。
「人によっては背面をもっと大きく、お尻を覆うくらいのサイズの希望も多そうですね。逆に、もっと薄くていいから装着感を出来る限り減らしたい方もいるんですね」
「そのあたりになると、もうオーダーメイドの域だからなあ。言われたから参考になるかと思って書いといたけど、負担なら気にしなくていいよ。あれがあるってだけで心強さが全然違うんだからさ」
冒険者も四六時中ダンジョンに潜っているわけではなく、地上で過ごす時間も長い。探索中だけでなく地上で休んでいる時には多少動きづらくとも大きいサイズが欲しいという需要もありそうだ。
「はい、でも、私も自分で使ってみてすごく便利だなと思いましたし、ダンジョンに潜る冒険者にとっては切実だと思いますので、できることはしたいです」
花の時期の不便さは、同性としてオーレリアにもよく分かっている。体や精神の不調だけでなく、前世のように非常に洗浄力の強い合成洗剤がまだ存在しないこの世界では、服を汚せば染め直しが必要になることもあるくらいだ。
吸収帯を自作しなくてよくなった分、付与できる数は飛躍的に増えた。必要に思う人がいるならば作ってみてもいいかもしれないと思う程度には余裕もある。
「あんな便利なものを作っといて、自分で使ったことがなかったのかい?」
「ええと、色々ありまして」
叔父夫婦の家にいた頃、オーレリアの持ち物は極端に少なかった。
それだけに、変わったものを持っていたらすぐに叔母や従姉妹たちに見つかってしまっただろう。
使える付与は最低限ということにしておきたかったオーレリアは、長い間、自分の鞄に【軽量】を付与することすらできなかったほどだ。
あの頃はそれが当たり前だったけれど、今は随分楽になったと思う。
「ナプキンは、本当にいいもの。私は「白の誓い」をしているから、花の時期は困ることが多かった。オーレリアには感謝しかない」
「白の誓い、ですか?」
「神の加護と引き換えに、白い服や装飾品を身に着けるって誓いだな。ノーラは水の神と誓いを交わしていて、水魔法を強化しているんだ」
ロゼッタが言うには、その神様は、神殿から神官の服まで全て白と定められているのだという。よほど白色が好きな神様らしい。
「神様に誓いを立てるって、よくあることなんですか?」
「神官以外だと、そいつが神に気に入られるかどうかによるかな。ノーラは特に水神フルウィウスに気に入られたから、神官でもないのに加護を受けることができたかなり珍しいケースだよ」
「私は髪と目がこの色だから、神様に気に入られた。ほんとは神殿に入るはずだったけど、色々あってそれができなくなったから冒険者になることにした」
「そして今ではあたしの心強い相棒っていうわけだ!」
表情が乏しくクールなノーラの肩にロゼッタが勢いよく腕を回す。ノーラも嫌がっている素振りはないので、きっといいパートナーなのだろう。
「頂いたレポートを読み直して、改良品が作れそうなものは考えてみますね」
「ああ、それでさ、あんたの名前は出してないんだけどあたしの周りで欲しがってる子が結構いるんだ」
数を聞くと、新たに四十枚ほどだという。
「お針子さんに吸収帯の発注をしておきますね。そちらが納品され次第になるので、すぐにいつまでとは言えませんが、それでもいいですか?」
「ああ、助かるよ! セーフエリアはどのパーティも自由に使うことができるし、女の冒険者は大体顔見知りだから、隠しきれなくてさ」
「ロゼッタ、自分の分を困った冒険者に分けていた。そういうの、放っておけない人」
「いや、それは……ごめん。そいつには定価で売って、四十枚にはあたしの新しい分も入ってる」
綺麗に洗浄しても、使い回しにはやはり抵抗があるのだろう。気持ちはよく分かるので、大丈夫ですよと頷く。
「それより、今の形だとロゼッタさんに負担が大きいですよね。直接販売以外に、きちんとした窓口を作った方がいいんでしょうか」
「別に負担ってこともないけど、商売にするなら冒険者でも商人でも、ギルドを通したほうがいいだろうね。洋裁店への発注書があるならまあ大丈夫だろうけど、性質の悪い徴税官に目をつけられたら、稼ぎ以上の税金を持っていかれかねないし。――広く売る気になったのかい?」
「そうですね……手広くやる気はまだあまりないんですけど、必要と思ってくれる人が、それなりに手に入りやすい形になればいいかなと思います」
ロゼッタと知り合いではない冒険者もいるだろうし、お針子のミーヤだってナプキンがあれば仕事に制限をかけずに済むと言っていた。
痛みや精神的な不調はどうしようもないけれど、自分の作ったものが誰かの助けになればいい。
以前は、自分の食い扶持を稼ぐ以上は望まず知っている範囲の人に少し手助けができればいい程度に思っていたけれど、最近はもう一歩、前に進みたくなった。
それは、居場所をくれたスーザンや必要だと言ってくれたロゼッタ、理解を示してくれたアリアや、努力して前進し続けようとしているウォーレンを見て、少しずつ、オーレリアの中で育っていった気持ちだ。
「具体的にどうするかは、もう少し考えますけど、周りの人にも相談してみようかなと思ってます」
「それがいい。私は、できるだけたくさんの人がもっと手軽にナプキンを手にすることができればいいと思う」
「ああ、そうだな。オーレリアがその気になったなら、あたしも嬉しいよ」
ノーラの言葉にロゼッタもうんうんと頷いて、笑う。
「近々もう少し大きいパーティを組んで、次は深層に向かうことになると思う。それまでにもらえたら助かるよ」
最下層のスキュラは討伐されたばかりだけれど、そもそも最下層に潜るにはその手前まで危なげなく進むだけの実力と経験が必要になるので、準備だけで数年掛かりになるのだという。
ロゼッタとノーラも、ひとまず十五、十六階層に数回潜り、経験を積むらしい。
「……深層は危険だと聞きます。どうか、お気をつけて下さい」
「なあに、自分の実力を見誤るようなことはしないさ。最終的には最下層の踏破記録を塗り替えたいからね、地道に行くよ」
「そう言えるのも、ナプキンのおかげ。ありがとう、オーレリア」
ノーラは不器用そうに、だがとても素朴な笑みを浮かべて言った。
彼女たちが深層に潜ることができるのは、相応の能力とこれまでの努力があったからだ。
けれど、女性の肉体に付き物の理由で足踏みしていたその後押しができたなら、よかった。
――私も。
顔を上げて、自信をもって、少しずつでも前に進みたい。
そう思えたことが嬉しかった。




