30.新たな友人
「ダンジョン内にも川が流れているんですね……飲用できるお水なんですよね?」
「魔物が全く出ないエリアも含めて、ダンジョンには謎がすごく多いですね。生態系らしいものもありますが、ぱっと湧いて出たとしか思えないような魔物もそれなりにいますし」
言われて、はっとそれに気づく。
うさぎや馬のような動物に近い形をしている生き物は、なんとなく繁殖についても想像できるけれど、例えばスキュラなどのような明らかに異形の魔物に雌雄があり、最下層で増えているというのはちょっとピンとこなかった。
「スキュラって、上半身は美しい女性だと言われていると本で読んだんですが、男性のスキュラもいるんでしょうか」
「えっ、どうだろう、考えたこともありませんでした。スキュラは波間の王女と呼ばれているくらいだから、女性型だけじゃないかな」
どうしてそんなことを聞くのかと、ウォーレンは不思議そうな様子だ。
「私の知人の冒険者が下層に挑戦する準備をしているんですが、先日スキュラが討伐されたという噂を聞いたので。もし他のスキュラがいなければ、最下層へ挑戦できないのかなと思いまして……」
「ああ、それは、間が悪かったですね。ほとんどの魔物は数日程度で数が戻るんですが、最下層の魔物は復活に一年から数年かかると言われているので」
「復活、ですか?」
ウォーレンが説明してくれたところによると、強い力を持つ魔物が討伐された後はしばらく姿を見なくなるものの、ある日再び成体として現れるのだという。
「昔から色々な仮説があって、幼体のうちは隠れていて成体になったら獲物を求めて出てくる説や、幼体と成体では全く形状が違うため気づかれていない説、もしくは、塔の部分のように魔物もダンジョンから生み出されるダンジョンの一部なのではないかという説まで、いろいろです」
どうやら、まだまだ明らかになっていないところが多いらしい。
そうした場所へ素材や魔石を求めて探索に出る彼らは、紛れもなく「冒険者」なのだろう。
「エディアカラン最深部の攻略が正式に発表されたら、最下層に挑むほどの冒険者はしばらく他所のダンジョンの攻略に行ってしまうでしょうから、ギルドとしてはおめでたいだけではないんですよね」
「そうなんですね……」
腕のいい冒険者ならば、それも選択肢のひとつなのだろう。
ロゼッタも王都から離れてしまうのだろうか。発注主と付与術師という関係ではあるけれど、それなりに言葉を交わして仲良くしてもらっていたので、そうなったら寂しいと感じてしまう。
自分は、いざとなったらどこにでも逃げてしまえばいいなどと思っているくせに、我ながら勝手なものだ。
「オーレリアさん?」
「あ、ええと。ギルドは大変でしょうけど、攻略が正式に発表されたらしばらく王都はお祭り騒ぎになるという話も聞いたなあと思いまして」
「それは、二十年前もすごかったようですよ。連日パレードに王家からの振る舞いもあり、国中の商人たちが集まって珍しい料理や調味料が市をにぎわしたそうで。今は不動産がかなり高騰している最中だと思います。宿もほとんど予約でいっぱいじゃないかな」
商機とみた商人によって物件が買い上げられたり、賃貸は一年、二年の期間で契約が埋まるらしい。宿も事情は同じだと聞いて、少し焦る。
王都で暮らし続けるならばそのうち部屋を借りようと思っていたが、完全に出遅れたようだ。
さらに延泊させてほしいと頼めば、スーザンは受け入れてくれると思う。幸い図書館での仕事と個人で請け負った付与の報酬で、懐もそれなりに温かい。宿代が高騰したとしても、払えないことはないだろう。
けれど、ただでさえ宿の一室をずっと占拠していることに気が引けているのに、オーレリアが居座り続けることで将来お得意様になってくれる客を逃してしまうこともあるのではないだろうか。
王都のお祭り騒ぎはしばらく続くようだし、流石に一年以上もお世話になるのは、最初のスーザンの好意に付け込み過ぎである気もする。
「オーレリアさん? 何か心配事ですか?」
どうしようかと思っていると、その様子を不思議がるように声を掛けられた。流石に住む場所がどうこうという悩みは重すぎる気がして、適当に話題を変えることにする。
「あ、いえ。友人が、凱旋が始まったら連日お祭りみたいになると言っていました。ウォーレンさんも食べ歩きとかするんですか?」
「いや、俺は多分、仕事だと思います。それも、あんまり楽しくない方の」
高位の冒険者になると、色々なしがらみもあると聞くので、警備の手伝いでもするのかもしれない。
「オーレリアさんは、誰かと行きますか? その、友達とか、婚約者とか」
「婚約者はいないので、行くなら友達と一緒になると思います。水曜と土曜以外はお仕事ですから、夜までやっているようなら日が落ちてから遊びにいくかもしれませんね」
「その、友達って、女性?」
その問いかけにきょとんとすると、ウォーレンは慌てて付け足す。
「その、女性だけで出歩くのは危ないかなと。その時期は、みんな浮かれているでしょうし」
「確かに、行くにしても明るいうちだけにしたほうがいいかもしれませんね。予定を合わせて土曜日の昼間に行くことにします」
「うん、それがいいね……」
とりあえず、鷹のくちばし亭に戻ったらスーザンに相談してみよう。ともすれば、それこそ別の街に移動する理由になってしまうかもしれないけれど。
ギルドの話もそうだけれど、一見おめでたいことでも、その裏では色々と困ったことになる人もいたりするものなのかもしれないとしみじみと思う。
「あの、オーレリアさん、もしよかったら……」
「あれ、ウォーレン? だよな?」
ウォーレンが何かを言いかけた、その言葉にかぶさるように背後から声が掛かった。思わずオーレリアも振り向くと、女性と腕を組んだ長身の男性が立ち止まり、こちらに視線を向けて、ぱちぱちと瞬きをする。
明るい金髪に鮮やかな紫色の瞳の男性で、人の美醜にほとんど興味のないオーレリアでも眩しいと感じるような、目が覚めるような大変な美形だった。
緩い半袖のシャツを腕まくりで着ていて、足は逆に体のラインにぴったり沿うズボンにブーツを合わせている。
「ライアン。――すみません、友人です」
「なんだよウォーレン。デート中だったのか? 紹介してくれよ」
こんにちは、と気さくに声をかけられて、オーレリアも会釈をする。
「なんだよ、こんな可愛い子と付き合っているなんて聞いてないぞ。隅に置けないじゃないか」
そう言われて、隣に座ったウォーレンは、オーレリアが初めて見る大変嫌そうな顔をしていた。
「彼女はそういう相手じゃない。いや、お前こそデートの最中なんだろう」
「ああ、今からジェラートを食べに行こうって話になってさ。こんな暑い日はやっぱ冷たいものに限るってね。お前と彼女さんも一緒に行かないか? 彼女さんには俺が奢るし。あ、俺はライアン・ウォーロック、冒険者をしています。ブラッドオレンジの髪のお嬢さん、お名前を聞いてもいいですか?」
「オーレリア・フスクスと申します。図書館でアルバイトをしています」
「綺麗な名前ですね! 俺はこいつと長い付き合いですが、プライベートで女の子と一緒にいるのを見るのはこれが初めてです。どう知り合ったのか、是非話を聞かせてください」
「ライアン、やめてくれ。……オーレリアさんは、俺が困っているところを親切にしてくれただけだ。お前が思っているような相手じゃない」
やや厳しい口調で告げると、ライアンはほんのすこし、苦笑するような表情を浮かべる。それが何を意味するのかと思う前に、まるで何ごとも無かったようにぱっ、と明るい笑みの下にそれは隠れてしまった。
「悪い悪い。そんなに怒るなよ。休みの日を楽しんでるとこ、邪魔して悪かったな」
「別に、そういうわけじゃ」
「オーレリアさんも、またね」
バイバイと手を振って、ライアンと名乗った男性は連れの女性の腰を抱いて立ち去ってしまった。なぜかその女性に睨まれた気がしたけれど、どうすることもなく、もうひとつ会釈しておくことにする。
そこからしばらく、重たい沈黙が落ちた。
ウォーレンが何か葛藤しているような気配を感じるものの、こうしたシチュエーションに慣れているとは言い難いオーレリアにも、どう振る舞うのが最適解なのか、分からない。
「あの、ごめん。ライアンにあんな風に言ったけど、別にオーレリアさんがどうこうってわけじゃないんだ。ただ、誤解されたくなかったというか」
数分ほど、気を紛らわすために足先で水を弄っていると、ウォーレンが絞り出すようにそう言った。
「いえ、気にしていません。その、今日は親切で誘ってくれたのは分かっていますし、ええと、我ながら自分に女性的な魅力があると言い難いという自覚もありますから」
自虐というより、王都の女性はみんなとてもおしゃれで美しく装う努力もしているのが見ていても伝わってくる。
そんな中で、自分がとりわけ地味で野暮ったい自覚くらいはあった。
「オーレリアさんは魅力的な人です。本当にそう思います。出会った時から親切だったし、今日だって、ずっと楽しかった。――でも、俺がオーレリアさんを好きになるのは、君に迷惑をかけてしまうから……」
そう言うウォーレンがあまりに辛そうで、どうしてそんな顔をするのかと思う。
からかい交じりにデートだと言われるくらい、男同士の友人なら特別なことではないのではないだろうか。ほんの僅かでもそうした目で見られたくないと振る舞った後に、こんなに辛そうな顔をされてしまっては、ただでさえなんと言えばいいのか分からないのに余計に混乱してしまう。
「でも、オーレリアさんと一緒にいるのは楽しかったんです。話をするのも、屋台で食事をするのも、すごく。君と、これっきりになりたくなくて……。ごめん、卑怯なことを言っていますね」
「別に、それは、友達ということではないんですか?」
「えっ」
顔を上げたウォーレンの緑の瞳が、真ん丸になっている。少なくとも苦くて飲み込めないものを無理矢理飲み込もうとしているさっきの表情よりは、その方がずっといい。
「私も楽しかったです。仲のいい友人と遊んでいる時と同じくらい。それに私も、恋愛とか結婚とかは、しばらく考えたくないですし、するつもりもありません」
自分のことで精一杯で、未来はあまりにも不透明だ。こんな状態で恋人や婚約者を作れる気はしない。
「オーレリアさん。改めて、俺と友人になってくれませんか?」
そう言ったウォーレンは、迷子になって泣きだす寸前の少年のようだった。
「オーレリアさんと話していると、楽しいし、もっとたくさん話がしたい。あちこちにいろんなものを食べに行きたいし、君の話も聞いてみたい。助けてもらったお礼とかじゃなくて、個人的に仲良くなりたいんだ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
アリアとは気が付けば友人になっていたし、改まって友達になってくださいなんて言われたのはこれが初めてで、なんとも照れくさい。
ウォーレンはぱっと表情を明るくしたあと、くたくたと肩を落とした。
「なんか、情けないですね。俺は、本当に友達が少なくて、気の許せる相手っていうとパーティのメンバーくらいしかいないんですが、彼らは友人というより仲間という感じなので、こういうのに慣れていなくて」
もっとスマートに振る舞いたいのに、全然できてないですとぼやくウォーレンからは、先ほどまでの沈鬱な空気は払拭されていた。
「私も、王都に友人と呼べる人は少ないので、嬉しいです。友達初心者同士、よろしくお願いします」
「友達初心者……いいですね!」
その響きが気に入ったらしく、ウォーレンはもう一度「友達初心者かぁ」と語感を舌の上で転がすように繰り返した。
「じゃあ、友達になった記念に、ジェラートを食べに行きませんか。さっきライアンが行ったのとは、逆の方向の店で」
「いいですね」
お腹もこなれてきたことだし、ジェラートくらいなら入るだろう。
――明日からちょっと、夕飯の量を減らしてもらおう。
靴下を履いて、靴を履いて、友人として並んで歩きながら、心の片隅でこっそりとそう決めるオーレリアだった。
書きながら、王都にオーバーツーリズムの波が……となっていました。




