28.博物館とダンジョン談義
東区と中央区の境に近い駅でトラムから降りると、すぐに長身の男性がこちらを見つけて手を振ってくれた。
「ウォーレンさん、こんにちは。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします、オーレリアさん」
丁寧に礼をしあって、ふっと笑う。
今日は水曜日、オーレリアの休日であり、ウォーレンに博物館を案内してもらう約束をした日である。
「迷いませんでしたか? やっぱり迎えに行くべきかと、ギリギリまで迷ったんですが」
「いえ、ここに来る前にちょっと洋裁店に寄る用事もあったので。それに、中央区方面へのトラムには乗り慣れているので大丈夫です」
ウォーレンと初めて会ったのも、トラムの線路の傍だった。それを思い出したらしく、彼も納得したように頷いてくれる。
博物館は石造りの建物で、元は白い石だったのが経年で灰色に変わったような、古めかしい雰囲気だった。正面門から中に入ると受付があり、女性が座っているものの、特に声を掛けられることなく中に入っていくウォーレンの後ろをついていく。
「入館料は掛からないんですか?」
「ここは特に迷宮の展示に力を入れているので、王都の人間は無料なんです。子供のうちから迷宮の知識を付けて冒険者を志してくれれば国もギルドも助かりますし、正しい知識があれば避けられる危険も多いので」
なるほど、とオーレリアは頷く。本が高級品であるにも関わらず、私設図書館の多くが無償で閲覧を許可しているように、ここも市民の大切な知識を得る場なのだろう。
入り口を入ってすぐのフロアには第一展示場と記され、エディアカランの模型とともに解説が書かれている。これまで本で読んですでに知っていることもあれば、初めて知ることも書かれていた。
「えっ、あの塔って成長しているんですか?」
「はい、塔の部分はダンジョンから漏れる魔力が凝固したものらしくて、少しずつ上に伸びています。倒壊したという記録はありませんが、今は中に取引所や簡易の宿泊施設まで入っていますから、危険を避けるためにも二年に一度ほど上部を切り崩しています」
その期間は危険もあるため、ダンジョンの出入りは制限され、冒険者にとっては休養期間や武器の手入れをしたり、新しい防具を厳選して過ごしているのだという。
「塔を切り崩した石材は魔力を帯びていて、魔石ほどではないですが、いい付与の媒体になるそうです。王都に出回っている魔道具の何種類かは、この石材を利用していると聞きました」
「そうなんですね」
付与術の話が出て少しどきっとしたものの、ウォーレンに他意はなかったらしく、展示を眺めながら次の話題に移る。
「地下一階から内部に入るには、冒険者ギルドへの登録が必要です。受付でランクバッジを確認したあとは入場帳に記入をして、中に滞在する大まかな日数の申告もこちらでするんですけど、何しろ王都の冒険者のほとんどはダンジョンに潜るのが日課なので、とにかく入り口が混むんですよね」
「それは、大変そうですね」
模型を見下ろすと、入り口は王都の東門の半分ほどのサイズに見える。荷馬車が行き交うようなことはないのでこれで十分なのだろうけれど、一人ひとり記帳が必要なら、混雑は避けられないのだろう。
「シルバークラスからは優先して中に入るゲートがあるんですけど、下のランクほど人が多いですし、皆長時間並んでイライラしているので、あまり評判が良くないんですよね……。ゴールドやシルバーは長期間潜ることが殆どなので、地上で消耗しないようにという措置なんですが」
アイアンやブロンズクラスは、日帰りから、迷宮に滞在しても二泊程度が多いのだという。記帳の際に書いた日数から二日が過ぎると所属するパーティや家族に連絡が行き、捜索を他の冒険者に依頼するかどうか検討に入るらしい。
記帳は登山届けのような役割もしているということだろう。なるほどとオーレリアは頷いた。
「遭難した冒険者の捜索のお仕事も、結構あるんでしょうか」
「時々、というところですね。冒険者は元々危険な仕事という前提ですし、捜索は、言葉は悪いですが依頼料が高いので、滅多に依頼も出ないんです」
行方不明になった人数が多いほど予備の食糧を持っていく必要があるし、捜索に出て二次遭難の恐れもある。自分の探索のためならばともかく、救助の依頼となると相応の危険手当も込みになるのだと、ウォーレンは丁寧に説明してくれた。
シルバークラスのロゼッタが最深層に挑戦する時は七週間ほども潜ると言っていた。それくらい下層になれば、救助に出るのも同じランクの冒険者でなければ引き受けることができなくなる。実質、救助の期待はできないということだろう。
「本当に、危険なお仕事なんですね……」
「はい。でも、それを上回るほどの魅力があるのも確かです」
冒険者がダンジョンから持ち帰る素材や魔石は王都の暮らしを豊かに支えている。展示を眺めながら二階層、三階層と分かっている植生や魔物の分布、その特徴などを細かに見て行く。
「この階層は、凶暴な肉食の魔物が多いです。見た目はうさぎとか馬とか、草食動物っぽく見えるから初心者は油断しがちで、怪我も多いんですよ」
俺も最初の頃は戸惑いました、と少し苦そうにウォーレンは言った。
「この階層で一度、光る馬に遭遇したことがありましたけど、あれは驚きました。ダンジョンは地下ですが、壁がうっすら発光していて視界の問題はないんですが、そんな中でも太陽をうっかり直視した時のように眩しくて」
「それは、だいぶ眩しいですね」
一角うさぎやディーノスといった、話に聞いたことがある魔物の話もウォーレンの口から語られると、とても面白かった。やはり、実地を知っている人の話は生々しく、迫力がある。
「深層にいくほど、妙な素材が増えますね。エディアカランには出ませんが、ゴルゴンの蛇なんかは相当高値で取引されるといいます」
ゴルゴンとは、人間の姿で髪が蛇の魔物である。邪眼と呼ばれる能力を持っていて、蛇を直視すると石化の呪いが発動するらしい。
「その蛇を乾かして粉末にしたものが、石化を解く薬になるんです。その他にも滋養強壮や若返りの効果もあるとか……」
「若返りですか……」
「興味あります?」
少しだけからかうような響きに、しっかりと首を横に振る。
「いえ、石化が解けるほど強い効果のあるものを、どこも悪くないのに飲んでも大丈夫なのかなと思っただけです」
「魔物食は長期間潜るときは当たり前ですから、冒険者は抵抗がない者がほとんどですね。毒があるものを除けばそれで冒険者がどうこうなったという話もないので、人体実験は済んでいると思われるのかも」
中々ブラックな話である。だが、実際に効果があるなら一種の薬であるわけだし、魔物食なんてというのは偏見になってしまうのだろう。
「魔物って、美味しいんですか?」
ウォーレンはううん、とうなったあと、思いついたようにこっちに、とオーレリアを促す。
連れていかれたのは魔物の解説をまとめた展示室で、スケッチや油絵が壁に飾られている他、小型の魔物の剥製がいくつか置かれている。
「これが一角うさぎ。見た目はうさぎだけど肉食獣で、肉質もすごく脂が乗っています。普通のうさぎは脂身が殆どないから、肉だけを出されて食べても、似たような見た目をした生き物とは分からないと思います」
ウォーレンが指したのは、二匹の角のあるうさぎの剥製だった。体は一回りほど大きいけれど、見た目としては白色種のうさぎそのままだ。耳は長く、目は赤い石が嵌めこまれている。
普通のうさぎとの明確な違いといえば、額に長い角が生えている、それだけである。
「こっちは小型だけど、イノシシ型の魔物で冒険者には、とても嫌われているんです」
「ものすごく、凶暴とかですか?」
「それもあるんですけど、被毛に小さなダニみたいなものが無数についていて、討伐の際に飛び散ったそれが食いついてきて、それが最悪なくらい痒くて、ですね」
「それは……その、どう対処するんでしょう」
「熱に弱いので、炎と水の魔法使いがいたら火傷しないギリギリの熱さの水球を作ってもらって、鼻と口を除いた全身を包んでもらいます。一分もそうすればなんとかなるんですが、何らかの手段でその方法が使えない場合は、我慢するか、他のパーティに頼るしかないですね。過去には単独の探索でこれにやられたため、全身を炙ってポーションをがぶ飲みする冒険者が出たこともあったとか」
「……大変なお仕事なんですね」
本日二度目の、しみじみとした言葉だった。聞いているだけで、こちらまで痒くなってくる気がする。
ウォーレンも被害に遭ったことがあるのだろう、沈んだ表情をしていたけれど、はっとしたように顔を上げた。
「その、すみません! 女性にこんな話を……不愉快じゃなかったですか?」
「いえ、聞いたのは私ですし、面白いというと不謹慎ですが、知らないことばかりなので、とても興味深いです」
「それならよかった。……うちのパーティには女性もいるんですけど、みんなもうこういうことには慣れているというか、麻痺しているから、その調子で余計なことまで話してしまったかと」
どうやら本当に心配してくれたらしい。おろおろと焦った表情のウォーレンに、ふっ、と笑みが漏れた。
「本当に、大丈夫です。良かったらもっと、お話を聞かせて下さい」
そう告げるとようやく安堵したように、ウォーレンも口元に笑みを浮かべた。
「じゃあ、少し楽しい話を。ダンジョンの中には魔物が全く出ないエリアがあって、冒険者にはセーフエリアと呼ばれているんですけど、そこまで物資を運んで商売をする冒険者もいて――」
これまで知らなかった、想像もしたことのなかった話を聞いて、頷き、笑って、また展示を見て。
平日の昼間のためか、他に人気のない博物館の時間は、二人の明るい話し声が響いていた。




