24.感謝とレースのハンカチ
「その、代わりの品で申し訳ないんですが」
少し気まずそうに言って、ウォーレンは腰のポーチから紙の箱を取り出すと、そっとテーブルの上に置いた。
意味が分からずに首を傾げると、彼は申し訳なさそうに頭を下げる。
「あの時借りたハンカチ、汚してしまったんです。なので、代わりのハンカチをと思って」
「わざわざ用意してくれていたんですか?」
今日会えたのは、あくまで偶然だ。王都は何だかんだ言ってやはり広いし、東区だけでも相当建物が密集し、多くの人が行き交っている。
多少特徴があったとはいえ再び出会う可能性などそう高いものではないだろうに、わざわざ代替品を用意して持ち歩いていたとは、なんと律儀な人だろう。
「こんなに早く見つかるとは思わなかったんですけど、偶然でもまた会えた時に、用意ができていない方が嫌だったので」
緑の瞳でまっすぐこちらの目を見て言われて、しみじみと感心する。
ゴールドクラスとなると、一介の冒険者を超えて騎士階級に相当する扱いを国から受けるという噂は知っていたけれど、こうした誠実さや礼節も必要になってくるものなのかもしれない。
「随分長く使ったものだったので、買い直したりしなくても大丈夫でしたのに」
「その、洗濯しても渡すのは申し訳ない感じで」
体調はひどく悪そうだったので、戻してしまったとか、そういうことだろう。好意を受け取ることにして、箱を引き寄せる。
「開けてみてもいいですか?」
「勿論。好みに合わなかったら、また別のを用意します」
オーレリアが渡したのは、ごくどこにでもあるような木綿のハンカチだ。言葉通り長く使ったものでくたくたになっていたけれど、その分よく水を吸って使い勝手のいいものだった。
同じようなハンカチだろうと思って箱を開いて、息を呑む。
素材こそ木綿のようだけれど、縁取りに繊細なレースが縫い付けられていて、端の方におそらく店の名前だろう、ワンポイントで刺繍も入っていた。
それなりの高級品であることは、オーレリアでも見ればわかる。
「あの、これ、すごくいいものじゃないでしょうか?さすがに頂くのは、気が引けます」
レースはとても高価なものだ。それこそ貴婦人のハンカチや手袋などにあしらわれるものである。
到底普段使いできるものではないし、オーレリアが持つには分不相応すぎる。
「あ、いや。レースも機械編みですし、そんなに高価なものではないんです」
「機械編み?」
「最近、自動でレースを編む機械が開発されたんです。今あちこちに工場が作られていて、手編みのレースよりずっと安価で、ちょっとした贈り物にも使えるくらいで」
懸命に、焦りを滲ませて説明する様子に、遠慮すると却って困らせてしまう気がしてくる。
レースの色は濃い茜色――にんじん色の、オーレリアの髪と同じ色だ。
あえてこの色を選んでくれたのだろうと思うと、受け取らない場合、このハンカチの行き場はないのではないだろうか。
「その、こんなことまでしていただいて、却って申し訳ないのですが、ありがとうございます、頂きます」
ウォーレンは安堵したように笑って半分ほど残っているガレットにちびちびと口をつける。
「その、お礼にお金を用意したら、オーレリアさんは困ってしまいますか?」
「さすがにそこまではいただけません。というか、このハンカチだけでもうかなり頂いてしまっていますし」
「あの時、本当に助かったんです。大丈夫だと強がってはいましたが、俺のあれは精神的に暗い気持ちになると出るもので、薄暗い路地裏でアミュレットもない状態で、とにかく痛くて、気持ちまでどんよりとして何だか目の前が暗くなってきていて――」
それは、本当に大丈夫ではなさそうだ。
再会して十分少々だが、ウォーレンの受け答えは丁寧でしっかりとしている。彼をそこまで思い悩ませるものがあることが、少し不思議に思うほどだ。
「ゴールドクラスになると、関わる人間も増えてきますが、同時に信用できる相手というのもどんどん少なくなっていくんです。ギルドや貴族のコネを期待されたり、都合のいいクエストを押し付けようとされてしまったりして、素直に人を頼れなくなってしまって。オーレリアさんが声を掛けてくれた時も簡単に人に頼る訳にはいかないと思ったんですが、心配してもらえたことに安心してしまったというか……いや、こう言うと誤解を招きそうなんですが!」
「いえ、なんとなく分かります。誰かに気にかけてもらえるというのは、申し訳ない反面、心強く感じるような気がしますし」
不器用に言葉を重ねるウォーレンに、思わず笑みが漏れてしまう。
一生懸命説明しようとしてくれているのに申し訳ない印象だけれど、紺色の大型犬がおろおろとしているように見えてしまった。
「あの、はい。ハンカチを受け取った後は、心なしか痛みも引いて、あのあと無事に家に戻ることができました」
ウォーレンの口ぶりからだと、やはり付与には気づかれなかったらしい。
あの程度ならば少し楽になったと感じた程度だろうし、もしかしたら捨てられてしまったのかもしれないが、どちらにしても付与ももう抜けてしまっているだろう。
「とにかく、すごく感謝の気持ちが強いんです。だから、何かお礼をさせてもらいたくて」
「そうは言っても、本当にこれ以上は……。ウォーレンさんが、次に困っている人を見つけたら親切にしてあげるというのはどうでしょう?」
元々オーレリアも、王都に来てからなにくれとなく手を貸してもらえた恩に背きたくないという気持ちからの行動だった。
ウォーレンもそうすれば、帳尻は合うだろう。
「それは勿論、俺が助けになることがあればそうします。でも、それはそれとしてオーレリアさんに感謝しているんです」
そう言いつつ、ウォーレンは時々広場の方にある時計台に視線を向けている。
もしかしたらこの後、何か予定があるのに自分がうんと言わないばかりに立ち去ることもできないのではないだろうか。
「……では、もし時間がある時に、冒険者のお話を聞かせてもらえますか? 私はダンジョンのことにも詳しくないので、どんな魔物がいるかとか、戦い方のコツや取れる素材とか、そういうことを教えてもらえれば」
もし魔物によって戦い方に極端な違いがあるなら、ロゼッタの助けになるものも思いつくかもしれない。
それに、どんな知識だってあるに越したことはないだろう。
「! はい、そんなことでよければいくらでも。もしよかったら、中央区寄りにある博物館に行きませんか? ダンジョンの魔物の素材や資料、一部は剥製なんかも置いてあるので、それを見ながら説明すれば、より分かりやすいかもしれません」
博物館があるということ自体、今初めて知ったオーレリアである。一人でも是非行ってみたいくらいだし、ゴールドクラスの冒険者の説明があるなど、なんとも贅沢な体験と言えるだろう。
「俺は探索が終わったばかりでしばらく休養期間なので、オーレリアさんの仕事が休みの日に合わせます。どこに連絡すればいいですか?」
「では、東区の鷹のくちばし亭にお願いします。私が留守の時でも、宿のおかみさんのスーザンさんが伝言を預かってくれると思いますので」
「分かりました。――もう少しゆっくり話をしたいところですが、連れを待たせて来てしまっているので、今日はこれで失礼します」
約束を取り付けて安心したらしい、ウォーレンは少し慌ただしく立ち上がると、もう一度改めて、しっかりと頭を下げた。
「こんな形だけれど、会えて本当によかったです。ありがとうございます、オーレリアさん」
「いえ、あの、こちらこそ、綺麗なハンカチをありがとうございます!」
オーレリアも慌てて立ち上がって頭を下げると、行き交う人々にはどう見えたのか、冷やかすような口笛や拍手が沸いた。ウォーレンは顔を赤くすると、ではまた! と言って、逃げるようにその場を立ち去った。
まさに風のごとくというスピードで、あっという間に人ごみに紛れて見えなくなってしまったカーキ色のマントを見送ってから、テーブルの上を片付けてオーレリアもその場を離れる。
元々屋台の食事を食べるためのスペースなので、あまり長居をするのはマナー違反だ。それだけではなく、周囲の視線もやや気になって、オーレリアもそそくさとその場を後にした。
ウォーレンから貰ったハンカチの小箱をバッグに仕舞おうとして、中身が一杯なのを思い出す。無理矢理ねじ込めばどうにかなりそうではあったものの、なんだかそんな気になれず、大事に手で持ったまま、オーレリアも鷹のくちばし亭への帰路を急ぐことになった。
一話前のウォーレンの容姿を少し追加しました。
オーレリアが使う術式は、私が書ける範囲のものという感じです。かなり、ギリギリのものもあります……。




