22.洋裁店とチョコレート
水曜日。王立図書館の仕事は休みなので、朝食を摂った後部屋で借りてきた本を読んで過ごし、王都の街がすっかり動き出した頃を見計らって身支度を整えて外出することにした。
目的地は鷹のくちばし亭から歩いて七分ほどの場所にある洋裁店で、入り口の傍にはマルセナ洋裁店と彫られた真鍮の看板が掲げられている。王都に流れる水路沿いに建てられた三階建ての建物で、少し前にスーザンに紹介してもらった店だ。
夏らしいよく晴れた日で、空は鮮やかに青く、水路には運搬用の小舟が浮かび、荷物を積んだ船を水夫が操っていた。どうやら郊外の果樹園から果物を運んでいるようで、小舟には籠が積まれ、赤く熟した林檎が大量に盛られている。
オーレリア自身は手軽ということもあり、王都での移動はおおむねトラムを利用しているけれど、馬車や荷船なども重要な移動手段であり、物流を担っているけれど、今日はいつもより行き交う船が多いようだ。
王都は人が多く、賑やかなのはいつものことなので気にしていなかったけれど、平日のお昼前だというのにやけに道行く人も増えている気がする。
「こんにちはー、お邪魔します」
声を掛けて扉を開くと、取り付けられている鈴がコロコロと音を響かせる。店の中は色々な形の帽子や、ビーズや刺繍をあしらった布小物、アクセサリーなどが並べられていて、眺めているだけでも中々楽しいものである。
「あっ、オーレリアさん! いらっしゃいませ!」
使い込まれて飴色になったカウンターの向こうからひょっこりと顔を出したのは、マルセナ洋裁店の長女でお針子でもあるミーヤだった。オーレリアよりひとつ年下で、ポニーテールに結んだ亜麻色の髪が元気に揺れている。
「こんにちは、ミーヤさん。注文の品を受け取りにきました。少し早かったでしょうか?」
愛用の斜め掛けの鞄から注文票を取り出してそっとカウンターに滑らせると、ミーヤはそれを壁にピンで素早く留めた。
「いえいえ、できてますよ。奥へどうぞ」
招かれてカウンターの奥に入ると、そこは採寸やちょっとした商談をするためのスペースになっていて、窓辺には花を飾った花瓶とテーブルが置かれている。
ミーヤが手早くお茶を出し、それから軽く抱える程度の木箱をテーブルの上に置いて、白い布の手袋を嵌め、そっと蓋を外す。
「オーレリアさんの見本通りに作れたと思いますが、念のために数と仕上がりの確認をお願いします」
中に納まっているのは、綺麗に並べられたナプキンの吸収帯である。見ただけでサイズも厚みも均一に揃っている、そのうちのひとつを手に取って、表を見て、裏返し、サイズを確認していく。
肌に触れる部分と下着に密着する部分には依頼した通り色糸で印が入っていて、その印の位置も付与が重ならない目安になる位置に入れてもらっている。ミシンを使って縫われていることもあり、手縫いよりも縫製もしっかりとしていて、丈夫な仕上がりになっていた。
ロゼッタの知り合いの女性冒険者を中心に、じわじわとナプキンの需要が広がっているけれど、一週間のうち五日は王立図書館で付与の仕事があるオーレリアでは休日を縫い物に充てるだけでは間に合わなくなってきた。スーザンに相談してみたところ、吸収帯そのものは外注したらどうかとマルセナ洋裁店を紹介され、オーレリアは付与だけ行う形にすることになった。
担当を買って出てくれたミーヤがナプキンに興味を持ってくれたので、見本として一枚、使用感のモニターとして付与済みのナプキンを二枚渡してある。
「ナプキン、すごくよかったです。私は痛みはほとんどない体質なんですけど、やっぱり動き回るのは色々不都合があるので花の時期は接客や配達には出ずに奥で黙々と縫い物をしていることが多いんですけど、そういう制限もなく過ごせましたし」
「それならよかったです。何か気になるところはありましたか?」
「私は十分、というかこれ以上望むことはないくらいですね。肌ざわりや使用感は人によりますし。貴族の女性用なら、もう少し凝った意匠の方が喜ばれるかもしれません。基本はこのままで、布や糸を変えることで対応できるかなと」
「貴族の女性が、欲しがるでしょうか? なんとなく、身分の高い方はそういう時期は、じっとしているイメージですけど」
「むしろそういう方々ほど欲しがるんじゃないですかね? パーティのドレスなんかは半年や一年前から受注するものですし、女性も身分が高いほど公務を持っているのが今時ですから。色も、若い令嬢ほど黒や濃い赤を避けるのでむしろ必要な場面が多いと思います」
流行もありますしねと続けられて、なるほどそういう考えもあるのかと頷く。
王都の古着屋で仕立てがいい、比較的きれいな服がそれなりの値段で買えるのは、流行から逸れた服を裕福な層が手放すからという理由もあるらしい。
軽い会話を交えながら数を数えると、四十枚をオーダーしたが、箱には四十四枚収まっていた。もう一度数えて、顔を上げる。
「ミーヤさん、数が四枚多いみたいです」
「見積もりはちょうどコットンのひと巻分だったんですけど、少し布が余ったのでおまけです。今後ともマルセナ洋裁店をご贔屓にお願いします」
「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします」
「ふふ、オーレリアさんって、本当に丁寧ですね!」
心遣いに感謝して頭を下げると、ミーヤは照れくさそうに笑い、お茶をもう一杯どうぞ、と新しく注いでくれる。それで思い出して、オーレリアも斜め掛けのバックからブリキの小箱を取り出した。
「これ、頂き物ですがよろしければ皆さんでどうぞ」
「えっ、中央区の有名店のチョコレートじゃないですか。いいんですか?」
見た目はオルゴールのような箱型で、エキゾチックな模様が描かれており蓋を開くためのつまみと蝶番もついているブリキの小箱だが、ミーヤはチョコレート店のものだと知っていたらしい。紅茶色の瞳をぱっと輝かせた。
「はい、食べきれないくらい頂いてしまうので、もらい物で申し訳ないのですが」
司書たちからの差し入れを一人で食べているときりがないけれど、王都に友人と呼べるのはアリアくらいのものだし、スーザンにはお酒は好きだが甘い物はそれほど好まないのだと言われてしまった。
王立図書館に勤める司書は貴族の出身で、受け取るお菓子も中央区で売っている高級品が多い。おしゃれだし、凝っていて、美味しいものばかりだ。
実にありがたい。ありがたいのだけれど……最近少し、体が重く感じているオーレリアである。
「うちの家族に出したら、味の違いなんて分からない父や弟たちに食べ尽くされちゃいますよ! 今開けますから、一緒に食べましょう!」
箱を開くと中には紙で仕切りが入っていて、チョコレートが綺麗に並べられていた。一粒一粒が凝った形をしていて、黒い宝飾品のようだ。
ミーヤはわぁ、と歓声を上げ、一粒つまんで口に入れる。ゆっくりと咀嚼し、頬を押さえて、それはそれは幸せそうに微笑んだ。
「美味しい……すごく幸せかも」
オーレリアも一粒つまむと、中にとろりとしたガナッシュが入ったタイプだった。かなり強い洋酒の風味がして、後味に甘酸っぱい林檎の香りが残る。
この店に入る前に見た、籠に盛られた林檎を思い出す。どうやら王都は今が林檎の旬らしい。
「本当に美味しいですね。王都は美味しいものが多くて、最近お腹周りが気になってしまうんですが」
「でも、オーレリアさんはかなり痩せている方じゃないですか? あと五キロくらい太った方が健康的だと思いますよ」
さすがにそれはないだろうと思っていると、ミーヤはまじまじとオーレリアを見つめて、うんと頷く。
「勿論痩せ型の方には痩せ型の、豊かな体格の方にはそれに似合う装いというものがありますけど、オーレリアさんの体形だと多分お腹まわりより先に胸とか腕にお肉が付くと思いますよ。ウエストより胸元のほうが苦しくありませんか?」
「服は、少し大きめのものを買うことが多いのであまりきついとは感じないんですが、確かに胸のあたりが少しぴったりしてきたかもしれません」
「服もできるだけぴったりのサイズを選んだほうがトータルで似合いますよ。というか、サイズが合わないと実際にお肉が付くより服で太って見えますし。そのワンピースも少し大きすぎます。良ければ詰めましょうか?」
お針子らしく言われてしまい、ついたじたじとしてしまう。
「多分もう少し胸が大きくなると思うのでそれを待ってからでもいいかもしれませんけど」
「……大きくなりますかね」
特に大きな胸に憧れはない。というより、服がきつくなる方がよほど困る。
ミーヤは笑いながら、もうひとつチョコレートを摘む。
「オーレリアさんの体形でちゃんと食べて寝ていれば、なると思いますよ。首元を少し大きめに開いて、ウエストで絞りがあるタイプの服だとプロポーションがとても引き立つと思います。あ、もし新規で服を作るなら、ぜひ私に縫わせてください。オーレリアさんにうんと似合う服を作りますから!」
王都全体の美意識がオーレリアのそれよりずっと高いということもあるだろうけれど、明るく笑って言うミーヤは、きっとアリアと気が合うと確信する。
「その時はお願いします。そういえば、今日は通りに人が多い気がしますが、何かあったんでしょうか?」
さりげなく話を変えると、ミーヤはああ、と笑った。
「まだ噂ですけど、ダンジョンの最深層が攻略されて、二十年ぶりにスキュラの魔石が持ち帰られたみたいですよ。本当なら近々発表と凱旋があるはずなので、ギルドや周辺の飲食店はその準備がせわしないんだと思います」
凱旋パレードの時は、人の入りが違いますからねーとミーヤは他人事のように笑う。
「あの、水が湧き続けるという魔石ですか?」
「みたいです。まだ本当かどうか分からないですし、うちみたいな洋裁店にはあんまり関係ないんですけどね。あ、でも珍しい美味しい屋台が出るかもしれませんよ」
来年には王都に川がひとつ増えているかもしれませんね。そう笑いつつ、ミーヤは未来のことよりも今は目の前にあるチョコレートに夢中なようだった。
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