165.見慣れぬ装いとクレープの具
「あの、これ、背中が開きすぎではないでしょうか……」
試着室のカーテンから顔を出したものの、全身を見せる勇気のないオーレリアにジーナとジェシカがからりと笑う。
「腕は出すのはやだっていうし、オーレリアさんに似合ってると思うよ」
「上から毛皮のコートを着ますし、言うほど露出はありませんよ」
ほら、見せて見せてと手招きをされて、いつまでも試着室に籠っているわけにもいかずそろそろとカーテンから抜け出す。
「なんだ、ちゃんと似合ってるじゃないか」
「ええ、薄い紅色がオーレリアさんの髪色とも合っていますし、お似合いだと思いますよ」
美容室でお化粧とヘアセットに着付けもしてもらったものの、用意されていたドレスは布面積という意味で非常に心もとないものばかりだった。夜会用のドレスはどれもこんなものだと言われても、ようやく昼用のドレスに慣れてきたオーレリアにはかなり刺激が強く感じてしまう。
腕は気になるから出したくない、胸もあまり強調されているのは避けたいと消去法で選んだ結果、ノースリーブのロングドレスではあるがシフォン生地のセットアップを上から羽織る形のものを選んだけれど、シフォン生地は非常に透け感が強く、結局大きく鎖骨が露出するほど開いた胸元も、腕も背中も気になる始末である。
髪はコテを当ててゆるりと波立たせ、美容師の手でいつもより濃いめに化粧を施された鏡の中の自分は、なんだか自分ではないような気さえしてくる。
「胸元は開かないと、宝飾品が目立ちませんから。耳飾りも首飾りも、よく似合っていますよ」
「ありがとうございます……」
観劇に相応しいスタイルなど右も左も分からないオーレリアである。アリアに相談したところ、仕立てるのと並行して今回は美容室でレンタルすればいいと言われ、宝飾品もレンタルか、急いで購入しようかと思ったところ、ウォーレンが貸してくれることになった。
なんでも観劇に出かけると聞きつけたモニカが、それならば宝飾品が必要だろうとウォーレンに持たせてくれたらしい。
細やかに百合の紋章の形で編まれた黄金の首飾りには、中央に青い石が、紋章と紋章のつなぎにはダイヤモンドが象嵌されている。耳飾りは揃いのデザインで、どちらも目が眩むほど豪華だった。
「俺、こういうの全然詳しくなくて、気が回らなくてごめん」
ウォーレンは申し訳なさそうに言っていたけれど、詳しくないのはオーレリアも同様である。
モニカが持たせてくれたということはウォーレンの母が使っていた宝飾品なのだろう。つまり現国王から贈られたものである可能性が高い。
そんなものを身に着けるのは怖かったけれど、遠慮したところどうせ仕舞いっぱなしだったし、片っぽ失くしても大丈夫だよと少しも大丈夫でない答えが返ってきただけだった。
「あとは香水を振れば完璧ですわ。どの香りにいたしましょうか。お嬢様なら可憐なすみれや爽やかなホワイトローズなどがお勧めですが」
「そうですねえ、オーレリアさんはアイリスなども似合うと思いますが……いっそ情熱的に赤い薔薇の香りも悪くないと思います」
「ジャスミンも甘すぎなくていいんじゃないか?」
「ああ、いいですね。うーん、迷うところです」
なぜかジーナとジェシカのほうが、並べられた香水の瓶を真面目に検分している。オーレリアとしては、そんなことよりやけにスースーする背中のほうがずっと気になってしまう。
「オーレリアさんは、どれがいいですか?」
「ええと……では、これはどうでしょうか」
着替えとお化粧と髪のセットをしただけで、すでに疲労困憊である。一番瓶の形が可愛いという理由で指したものに、ジェシカはいいですね、とぱちんと手を打つ。
「スズランの香りは社交界のデビューの時や未婚の女性によく選ばれている香りですし、初々しい雰囲気に似合っていると思います」
「やっぱ自分で選んだのが一番だよな」
香りというより瓶の形で選んだだけだが、さっそくと言うように首筋と手首の内側に軽くふられると、思ったより強い臭いはせず、甘い香りがふわりと漂った。
「白い手袋をはめて、扇を持って、うん、完璧に貴婦人ですよ」
「いやあ、オーレリアさん、こういう格好も似合うね。ほら、笑顔笑顔」
「本当に、よくお似合いですわ」
ジーナとジェシカ、美容室のオーナーの三人に褒められても、どうにもドレスに着られているという気しかしない。拠点に戻って迎えに来てくれるウォーレンを待っている間も、ひらひらのドレスの裾を踏んで転ばないか、うっかり耳と首に掛けた宝飾品を失くしてしまわないかと、気持ちが消耗するばかりだ。
「オーレリアさん、観劇のチケットということは、エレノアさんとしては、こういう格好にも慣れたほうがいいって意味もあると思いますよ」
「ですが、私は裏方ですし……」
「オーレリアさんの立場だと、そうも言ってられない時も来るかもしれないからなあ。デイドレスはもうかなり上手く着こなしてるし、イブニングドレスもすぐ慣れるって」
「ええ、何事も慣れですよ。頑張ってください」
ドレスのデザインからコルセットは必要はなかったけれど、到底この格好で食事をする気にはなれず、ウォーレンが迎えに来るまでそわそわとしながら待つことになった。
ようやく拠点のドアがノックされた時にはいっそほっとしたぐらいである。
「おう、ウォーレン、いらっしゃい」
ジーナがドアを開けてウォーレンを中に招き入れる。ウォーレンは勝手知ったる拠点でいつも通り中に入ってきたけれど、椅子から立ち上がったオーレリアを見て、ぎくりとしたように動きを止めた。
「ウォーレン、お疲れ様です。迎えに来てくれてありがとうございます」
「あ、うん、ええと……オーレリア、その」
「はい?」
ウォーレンは、何かを言いかけては言葉を濁す。もしかしてお化粧が崩れているか、ドレスの着こなしがおかしいのかと少し焦ったけれど、ジーナとジェシカが左右からウォーレンの脇腹を肘で突く、ごほんと咳払いをして、改めてじっとこちらを見つめてくる。
「その、すごく綺麗で、驚いた」
「あ、ありがとうございます。こんな大人っぽいドレス、私には似合わないとは思うんですけど」
「そんなことないよ! いや、ええと、すごく、よく似合ってる」
何とも恥ずかしくも居心地の悪いやり取りをしている間にジーナとジェシカはくすくすと笑い合っている。
「ほら、二人とも早く出かけてください。観劇はボックス席に入るまでも大事ですよ。ゆっくりエスコートしてあげてください」
「そうそう、ボックス席には飲み物と軽食は運ばれてくるけど、色々食べたきゃ併設のサロンを覗くのも手だよ」
「あまり馴れ馴れしく話しかけてくる人には注意が必要ですよ。逆に、なにかのきっかけで親切にしてくれた人との縁は大切にしてください」
「まあ今日は、行って帰ってくるだけでいいんじゃない? 正式な夜会ってわけじゃないし、気軽に行っといで」
二人に半ば拠点を追い出されるように見送られて、馬車に乗り込む。馬車もいつも気軽に出かける時の辻馬車ではなく、王宮に行く時に使うグレミリオン家の紋章の入ったものである。
ウォーレンと馬車に乗るのは慣れているのに、なんとなく無言になったままだ。緊張感に耐えかねて何か言わなければと思うのに、いつもどうやってウォーレンと話していたか、どうにも思い出すことができない。
ウォーレンは貴族の交際を忌避しているのに、オーレリアが考えなしにいろいろなものを開発してしまったせいで、こんなことになっている。彼は優しいから表だって難色を示したりはしないけれど今夜のことが憂鬱になっていたとしても無理はない。
申し訳ないしやはり今からでも観劇は中止した方が良いのではないだろうか。どう言い出そうかと迷っていると、ウォーレンは両ひざに手を突いて、ぐっと頭を下げた。
「その、ごめん! オーレリア!」
「えっ!?」
「オーレリアがいつもと違って、すごく綺麗だから、緊張して言葉が出なかった。変な空気にしてしまって本当にごめん」
「えっ、あの、ウォーレンは、観劇に行くのが嫌なんじゃないんですか?」
「いや、それは別に……」
「でも、社交は避けたいんですよね」
今夜の観劇は、貴族が多くいる場所できちんと婚約者らしく振る舞うのが主なミッションだ。話しかけてくる人もいるだろうし、そうされたら無視をするわけにもいかない。
オーレリアも気が乗らないことではあるけれど、明確に社交を避けているウォーレンにとっては、決して楽しい夜にはならないだろう。
「それは、好きこのんでしたいわけじゃないけど、俺が貴族が嫌いなだけだから。そこはオーレリアは気にしなくて大丈夫だよ」
「でも、嫌いな人と付き合うのは、嫌じゃないですか」
「ううん、まあ、そうだけど」
ウォーレンはちらりとこちらを見てすぐにさりげなく視線を逸らす。
「俺とオーレリアがうまくいっていないと思われて、オーレリアに変なちょっかいを出してくる奴がいる方が嫌だから」
「ウォーレン……」
「だから、そこは気にしないでほしい。その、俺も普通に振る舞うようにするから」
「はい……」
ウォーレンは、本当になんていい人だろう。
オーレリアがたとえ仕事の利権目当てだとしても異性に言い寄られることに全く慣れておらず、むしろ苦手に思っていることを思いやってくれている。
「私も頑張ります。観劇を楽しんで、さっと行ってぱっと帰ってきましょうね!」
「うん。あとはいつもの服で、屋台巡りでもしよう。クレープを齧ってガスパチョを飲んで」
「いいですね」
チケットを融通してくれたエレノアには申し訳ないが、そちらの方がずっと楽しそうだ。
「私、今度は揚げた豚肉とチーズの具にします」
「じゃあ俺は、甘辛く煮込んだ牛肉と細切りの芋を揚げた物にしようかな。豆のソースをたっぷりかけて」
街歩きで食べるクレープの具は何にしようか。鶏肉のローストをあふれんばかりに、強めに味付けをして柔らかくなるまで煮込んで潰した豆も意外と美味しい。そんな話をしているうちにぎくしゃくした空気はすっかりいつも通りになって、馬車はスムーズに劇場に向かって進んでいた。




