161.思い出の木箱と古い友達
ウォーレンと連れ立って雑貨店のドアを開けると、ちょうどドミニクが帳場に座って新聞を開いているところだった。
オーレリアを見ると、親しい相手にそうするように、嬉しそうに目を細める。
「いらっしゃい、オーレリアちゃん」
「こんにちは、ドミニクさん。あの、今少しよろしいでしょうか」
「ああ、私も少し君に話があったんだ。よければ奥へどうぞ」
ドミニクは、先日のように娘のマデリーンと店番を代わると、二階の居住スペースに迎え入れてくれる。
「すみませんお仕事中なのに、急に来てしまって」
「気にしないでくれ。平日の昼間は、お客さんも少ないんだよ。あの時連絡先を聞かなかったことを少し後悔していたから、訪ねてくれて助かったよ」
のんびりした口調で言うと、ドミニクはオーレリアとウォーレンにお茶を淹れてくれた。
「先に君の用事を聞こうか。何か私に用があるんだろう?」
「はい、あの、用事というほど大袈裟なものではないんですけど、これをドミニクさんにお渡ししたくて」
オーレリアが斜め掛けの鞄から出したのは、拠点でいくつか作ったレトルトだった。
母が作っていた料理の再現はできないまでも、中身は東部で作っていた郷土料理を中心にしたものだ。
「これは……」
「母から料理を教わったわけではないので味は違うと思いますが、ドミニクさんから聞いた特徴を思い出しながら、作ってみました」
ドミニクはレトルトを手に取ると、ふっと震えた息を吐いた。それから片メガネを外して目頭をぐっと押さえて、少しうつむき気味になってしまう。
「あの、ドミニクさん……」
「ああすまない。なんだか、とても懐かしくて……」
顔を上げるとドミニクは、泣きだす寸前のような笑みを浮かべている。
「ああそうだこんな感じだったよ。レティシアが作ってくれたものは。無地の布で見た目はとても素っ気なくて、それだけに温めて開けた時のいい匂いと味が、とても嬉しく感じられたんだ」
それはきっと、母が服の端切れなどを利用するのではなく、ドミニクのために新しい布を買ってきてこれと同じものを作っていたからだろう。
こちらの世界で、布は前世と比べれば多少なりとはいえ高級品の部類に入るし、前の世界ほど公衆衛生という概念がまだまだ広がっているとは言い難い。
他人へ贈るものだから当たり前といえば当たり前かもしれないけれど、そこには母の友人への心づくしがあったはずだ。
「その、ドミニクさんから思い出話を聞かせてもらって作ってみたんですが、これを冒険者や旅人に商品として売っても大丈夫でしょうか」
作ってみようと思った時は、母のしていたことを自分もやってみたいという程度の気持ちだった。
意匠権の登録は、早い者勝ちだ。たとえ先にアイディアを出した者がいたとしても、登録した者に独占期間と販売の権利が生じる。
たとえ、母がレトルトの意匠権を登録していたとしても、登録から五年が過ぎれば同じようなものを作って売るのは制度的に何の問題もない。
だが、母が母の友人に個人的に作っていた話を聞いた思い出の品を、本人たちに許可を得ないまま商品として販売するのは気がひけた。
母にはもう、二度と尋ねることはできない。だからせめて、ドミニクに許可を取らなければと思ったのだ。
「ああ勿論だよ。――むしろオーレリアちゃんがそうしてくれるなら、他の誰かが同じようなものを思いついて作るより、ずっといい」
「ドミニクさん……」
「商品化したら、いずれ私も買って食べることができるようになるんだね。今は行商の後を継いでいる息子にも、持たせることができるようになる日が来るということだ」
「はい、きっと」
「それはとても嬉しいことだよ」
ドミニクは大事にいただくよと言って、切なげにレトルトをじっと見つめていた。
「あの、ドミニクさんは、私に何か話があったんでしょうか」
「ああそうだね」
少し待っていてくれと告げて、ドミニクは一度中座すると、一抱えの木箱を持って戻ってきた。
重たそうにしているところをウォーレンがすばやく立ち上がり、受け取る。
「テーブルに載せてもいいですか?」
「ああ。すまないね。昔はこれぐらいの荷物はまとめて運んだものだが、私もすっかり年を取ってしまった」
苦笑すると、ドミニクは木箱の蓋を懐かしそうに撫でる。
「あの後、倉庫の奥を片づけていたんだけど、当時東部から仕入れたものの中に君のご両親の遺品の入ったこれを見つけることができてね。というより、当時闇雲に集めたものの、王都まで運んだ後、開けるのが辛くて仕舞いこんでしまっていたんだ」
ドミニクが言うには、十二年前に東部を訪ねた際、フスクス家を訪ねるとオーレリアの両親はすでに亡くなっていたのだそうだ。
弔いはすでに終わっていて、家は売りに出され、オーレリアは叔父宅に引き取られた後だったという。
「君たちが住んでいた街の古道具店に、フスクス家の財産が売り払われていてね。私も東部に出入りをする行商人だったから、多少の伝手があって、手に入るものを二人の遺品として購入したんだ」
既に売れてしまったものも多く、家具などは買い付けても運ぶことができないため、ドミニクが手に入れることができたのは、この木箱一つ分だったという。
「私が持っていても仕舞い込むだけだから、オーレリアちゃんに渡そうと思ってね」
「いいんですか。その、ドミニクさんにとっても大切なものなのでは」
長距離を移動する行商人にとって、木箱一つでも荷台を埋めるのは、決して軽いことではなかったはずだ。
わざわざ買い求めて王都まで運び、十二年の間保管していたということは、それだけドミニクにとって大切な、意味のあるものだったと想像するのは、難しくない。
「いいんだ。私が持っていても仕方がないしね……。と言っても、私もあの時は少し冷静でなくてね。色々と買った記憶はあるんだけど、それぞれどんなものだったのかあまり憶えていないんだ」
気恥ずかしげに言うと、ドミニクは寂しそうに微笑んだ。
「私は、二人が死んだなんて、信じたくなかったんだな。見覚えのある道具が売られていても、あの家にもう家族の姿を見ることができなくなっても、信じたくなくて、東部に行けなくなって、この箱を開けることすら、できなかった。十二年も過ぎてから、君とこの広い王都で再会したことで、君に渡すために今まで持っていたんじゃないかって、思えたんだ」
「ドミニクさん……」
「君さえよければ、受け取って欲しい」
しっかりと頷くと、ドミニクはありがとうと告げた。
悲しげなのに、どこか肩の荷が下りたような、安堵に似た表情を浮かべている。
「オーレリア、蓋を開けようか」
「はい、お願いします」
うなずくと、ウォーレンは危なげなく木箱の蓋を開けてくれた。
恐る恐る中を覗き込むと、古い埃っぽい臭いとともに、中には本当に色々なものがつまっていた。
紙に包まれた食器類や、銀製らしいカトラリー、父の仕事道具だったのだろう工具類から、小さな壁掛けの絵。
紳士用の懐中時計に煙草用のパイプ。刺繍の入ったハンカチ、真鍮製の蝋燭立てなど雑多なものが入っている。
けれど、一番に目を引いたのは、柔らかい布で作られた、クマのぬいぐるみだった。
震える手でそっと抱き上げ、息を吐いた拍子に、ぽたりと涙が落ちる。
まだ子供だったオーレリアが父にねだり、母に甘やかしすぎだと叱られながら買ってもらったクマのぬいぐるみだ。
前をリボンで結ぶ手編みのレースの襟飾りをつけていて、これは、母が手ずから編んでくれたものだった。
「サニー……」
同じ襟飾りを、オーレリアもお揃いで作ってもらって、それがとても嬉しかった。何度も鏡を見て、くふふと笑って、サニーを抱いて踊って、また鏡を覗き込んで……。
『お友達だから、大事にするのよ』
『レースは汚れやすいから、濡らしたり土の上に置いたりしてはいけないわ』
『いつも一緒にそばに置いてあげてね。――オーレリア』
「……っ、ママ!」
白い細い母の指が、サニーに襟飾りを結んでくれたあの日を思い出す。
微笑みの形になった母の唇、優しい声。長い人参色の髪が優しく揺れていた。
「っ、う……っく」
「オーレリア……」
「私、母の顔、覚えていないと思っていたんです。別れたのは七歳だったのに、思い出せなくて……でも、思い出しました」
怒ったらとても怖い顔をする。でも笑ったらひどく優しい、そんな人だった。
愛情深くて、オーレリアのために髪をすいて、ぬいぐるみとお揃いの服を作ってくれることもあった。
幸せだった。満たされていた。あの頃のオーレリアの世界には、足りないものは何一つなかった。
とてもとても、愛されていた。
しばらく涙が止まらなかった。
ウォーレンもドミニクもオーレリアが泣き止むまで静かに待っていてくれた。




