159.郷土料理と付与術師の厚意
コトコトと鍋の中で煮えたスープをゆっくりとレードルでかき混ぜると、食欲をそそる良い匂いが漂ってくる。
塩豚のすね肉とひよこ豆をじっくりと煮込んだスープは東部の代表的な郷土料理のひとつである。故郷にはいい思い出がないと思っていたものの、久しぶりに東部の料理を作るとなんとも懐かしい気持ちになるから、不思議なものだ。
小皿にとって味を見ていると、アリアがひょこりとキッチンに顔をのぞかせた。
「いい匂いですね」
「もうできますよ」
「時々作ってくれることはありましたけど、オーレリアって、普通に料理も上手ですよね」
「少し家庭料理ができる程度ですけどね」
王都に来てからは、屋台文化が充実していて安価で美味しい食事が手に入るのであまり料理をする機会もなかったけれど、東部にいた頃は料理はオーレリアの仕事だったのでそれなりに慣れている方だ。
「実験が終わったらすぐ昼食にしましょう」
あくまで個人的な実験だと繰り返したものの、ジーナの強い勧めにより、結局アリアとウォーレンも同席してそれを作ってみることになり、ついでにみんなで昼食をという話になって、今日である。
昼の鐘が鳴るにはまだ少し早いけれど、少し実験をして片付けが済んだ頃にはちょうどお昼時だろう。
一食分を皿に取り分けてリビングに戻ると、テーブルの上は片付けられていて、ミーヤからもらった端切れの布を切り分けたものと、水を入れた大きな鍋が置かれていた。
「作るのは、オーレリアのお母さんが昔作っていた携帯食ですか」
「はい。多分、移動の多い友人に個人的に作っていたものだと思います」
先日思わぬところで再会した母の友人のドミニクから聞いた携帯食を作ってみようというのは、完全に趣味に走った思いつきだ。
ヒントは、旅の食事が味気ないとこぼしたドミニクに向けて母が作ったものであり、布の袋のようなものでできていて、軽くてかさばらず、湯に入れて温めて食べることができた。そして中身はブラウンシチューだったことである。
こちらの世界にも缶詰や瓶詰めはあるが、どうしても重たいし、かさばる上に食べ終わった後もゴミも出てしまう。
オーレリアも東部から王都に馬車で移動してきたけれど、積み荷を圧縮したい馬車主の意向から手持ちの荷物の量は厳密に制限されていて、町に立ち寄る時はともかく街道沿いで野営をするときは基本的にパンと干し肉に、乗り合い馬車のメンバーで温かいお茶を共有してすませていた。
オーレリアが移動していたのはまだ春の浅い時期だったので、夜になると冷え込む日が多く、夕飯がそれだと妙に寂しい気持ちになったものだった。
行商人はそうした食生活に慣れているだろうけれどときには温かい汁気の多いものを食べてほしいという気持ちがあったのだろう。
「夕べのうちに少し試してみたんですが、糸で縫うとどうしても隙間ができてそこから中身が漏れてしまうので、すべて付与でやってみることにします。あの、繰り返しになりますけど、これはあくまで趣味の範囲内での実験ですからね?」
「勿論、今日はみなさんと昼食を食べるくらいの気持ちで来ているので、大丈夫ですよ」
「うん、俺も、オーレリアの作る東部料理に興味があっただけだし、ついでに実験を見せてもらうくらいのつもりだから、気にしないで」
ジェシカはあらあらと言うように頬に手を当てて笑っているし、ジーナは何故か腕を組んでうんうんと頷いている。
実際作ってみせれば全員納得するだろうと、あまり彼らの反応は気にしないことにして、ミーヤから貰ってきた布をハンカチ程度のサイズにカットしたものを手に取る。
付与の間は全員に背中を向けてもらい、まず外側に【防水】を入れる。魔力が布に馴染んで見えなくなったら、布の端より少し内側に魔力で線を引いて、線の外側に【接着】を付与して袋状にすれば、準備はほぼ終わりだ。
「この袋にスープや汁気の多いものを入れて、袋の口を閉じないまま中に水が入らないよう沈めて、水圧で中の空気を抜きます。その状態で上辺も封をして、これを沸かした鍋に沈めてしっかり加熱すれば、布で作った缶詰のできあがりです」
ミーヤから貰った布は白の無地のため、見た目はただの布の袋である。食べ物の柄でもプリントしてあるとそれっぽいかもしれないと思いながら袋の外側についた水を拭い、そっとテーブルの上に置く。
「粗熱が取れたら袋の外側に【保存】をかければ、基本的に中の食べ物は腐らず、食べる時にもう一度お湯に沈めて温めれば温かい食事が食べられるはずです」
とは言え、所詮素人が思い付きで作ってみたものだ。防水で内側の水分が抜けることは無いだろうけれど、布はもともと付与が抜けやすい素材なので長期間保存するというのは難しいだろう。
その割に付与を三つ重ね掛けして、中々手間がかかる。ナプキンのように繰り返し使えるわけでもない使い捨てとなると、利益は度外視で、付与術師が友人への心配りに作るのがちょうどいい位置づけと言えるものだ。
全員が即席で作ったシチュー入りの布袋をまじまじと見つめていたけれど、口火を切ったのはウォーレンだった。
「えっとこれってどれぐらいもつのかな。それこそ缶詰くらい?」
「いえ、布の付与がそれほどもたないので、長くても数ヶ月、半年もてば良い方だと思います。安全を期すなら、一、二ヶ月以内には食べてしまった方がいいかなと」
「もう一度確認するけど、この入れ物は全部布製なんだよね? ……これ、深層に潜る時は絶対に欲しくないか?」
ジーナとジェシカに向けた言葉に、二人ともしっかりと頷いた。
「稼いでいるシルバークラス以上の冒険者なら、絶対欲しいだろうね。入れ物が布なら、食べ終わった後は火にくべてしまってもいいし、放っておいてもスライムが片付けてくれるし」
「これって、スープだけじゃなくて例えば肉料理もお野菜も基本的には可能なんですよね?」
「基本的にはなんでも大丈夫だとは思いますが……。ええと、ダンジョンの中でも食べられるものはあるし、深層に行ける冒険者のパーティなら、温かい料理を作ることもできるんですよね?」
水と火の魔法使いがいれば、飲料水の確保は問題ないと聞いているし、火を熾すことも容易だろう。
「うん、まあ、よっぽどのことが無ければ探索に慣れた冒険者が飢えるということはないんだけど……満足かと言われると」
「そういえば、前にウォーレンが、探索の帰りは食事が楽しみだって言っていましたね」
以前、博物館に出かけた折に処理していない肉の硬さや不味さについて、ちらりと話をしてくれたことがあるのを思い出す。
食用の野菜と違って野草はえぐみがあったり硬かったりするので、毎食というのは確かに辛いかもしれない。
「下に潜るほど、食事は貧しくなっていくもんなぁ」
「果物が手に入るとすごく助かりますけど、毎回というわけでもありませんし、携帯食続きの時もありますよ。でもそうなると、お肌がすごく荒れるんですよね……」
「【軽量】を付与したカバンひとつにこれをパンパンに詰めて行きたいってパーティは少なくないと思う。というか、明日から深層に行けといわれたらこれを鍋一杯に作ってほしい。絶対ほしい」
「ええと、それなら缶詰や瓶詰めでもいいのでは? あ、瓶詰めはガラスが駄目でしたね」
主な分解者がスライムであるダンジョンでは、スライムが溶かすことのできないガラスの持ち込みはギルドによって制限されていると聞いている。
「うん、缶詰も重いし、開けるのが手間だしね」
「金属はスライムもそれほど好まないので、あんまり持ち込むとギルドから勧告が入ることもありますので」
「少なくとも冒険者向けなら欲しいひとはたくさんいると思う」
「いえ! これは馬車で移動する貴族も欲しがると思いますよ!」
「あ、アリア?」
それまで黙っていたアリアが半ば叫ぶように断言すると、水色の瞳を燃えるように輝かせて、しっかりとオーレリアを見据える。
「特に王都から離れたところに本領のある貴族は、移動の間の食事事情の悪さを抱えていますから。あとは野営する騎士団や兵団なんかにも、相当興味を向けられると思います!」
「繁忙期は王宮に泊まり込みになる文官にも、それなりに需要がありそうだよね。夜はメイドたちは帰っちゃうから、手軽に食べられて美味しい食事は喜ばれそうだし」
「財務局は男手しかない上に、決算期は連日泊まり込みが当たり前のようですから、手軽な夜食として売り込めば相当吹っ掛けられますよ、きっと。……ふふっ」
「アリア……」
健全とは言い難い笑みを浮かべる友人に、税率の件を相当根に持っているのではないかと心配になっていると、アリアはこほん、と小さく咳払いをした。
「とりあえず、どれぐらい中身が持つのか実験してみないといけませんね。このまま複数作って、三日後、一週間後、三週間後、一ケ月後と試食していきましょう」
「鍋のシチューで足りるかな……オーレリアの料理、楽しみにしてきたんだけど」
「中身は別に、オーレリアさんが作ったものでなくてもいいんだろ? 昼食が終わったら鍋を持って市場で何か買ってくればいいよ」
「ですねえ。あ、布は私とアリアさんで切り分けておきますね」
「布、たくさんもらってきておいてよかったなー」
そう言って、ジーナはぱちん、と音が立ちそうなほど見事なウインクをしてみせる。
「ほらね、言っただろ、オーレリアさん」
なぜか誇らしげな様子のジーナにそう言われて、ぐうの音も出ない。
「とりあえず、昼食にしましょう。食べながらどのあたりに需要があるか話し合って、外注するなら商会の選定もしなければいけませんね!」
「エレノアさん、そろそろオーレリアを息子じゃなくて俺に紹介したこと、後悔するかもしれないな……」
弾むようなアリアの声とウォーレンの神妙な声のコントラストで、拠点のリビングは不思議な混迷を極めることになった。




