129.受難と変化
ウォーレンが待ち合わせの店の前に着くと、ちょうど同じタイミングで向かいからこちらに向かってくるエリオットと目が合った。まだ冬だというのに薄い上衣の上からコートすら羽織っておらず、鍛え上げた筋肉が見てとれるほど薄着な様子に苦笑が漏れる。
「よう、ウォーレン、久しぶりだな」
「三週間ぶりくらいかな? お疲れさま」
軽く拳を合わせあって店に入り、予約名を告げるとすぐに二階の個室に案内される。待ち合わせの時間ぴったりだが、どうやら自分たちが最後だったようで、室内にはすでに今日の待ち合わせの相手であるジェシカとライアンが揃っていた。
「二人ともお疲れさん……って、ライアン、お前さん、えらくやつれたなあ」
心配半分呆れ半分という様子でエリオットが席につくと、ライアンは、はは……と覇気なく笑った。
「本当に大丈夫か? ライアンがそんな風になっているのを見るのは初めてだけど」
声を掛けたものの、普段はどちらかと言えばお調子者の振る舞いをすることも多い幼馴染は、緩く首を横に振った。
「大丈夫じゃない。ジェシカの話が少し遅ければ、尻尾を巻いて南部に戻っていたかもしれない」
これはかなり重症だ。ジェシカとエリオットと視線を交わし合って、何と言ってやったらいいものか思案する。
そもそもライアンは、黄金の麦穂の中ではアルフレッドと並ぶ知略の持ち主だ。容姿がよく、口も上手い分皮肉屋のアルフレッドよりも如才なく世渡りが上手いくらいで、ギルドとの難しい交渉もライアンが行けば八割は解決する。
なお残りの二割は、断りようがないのでできる限り良い条件を引き出すために、どんな交渉にも一歩も引かないアルフレッドが出ることになる。
そもそも黄金の麦穂のリーダーとして計画を立て、それを実行し、それぞれクセのあるメンバーをまとめているのがライアンだ。身の丈よりも巨大な魔物や小さいがタチの悪い魔物と対峙しても冷静に対応していた彼が、ここまで憔悴するとはと、友人としても仲間としても、意外だった。
「ええと、まだ女性に言い寄られているのですか?」
ああ、と低い声で返事をすると、ライアンは両手で顔を覆ってしまう。
「それもあるけど、最近は手段を変えてきた」
「っていうと?」
「……この一ケ月で三人、俺の子だと幼児や赤ん坊を抱いて押しかけられたよ。全員貴族かその傍流で、誤解を解くにしてもすごく手間がかかってね……」
ウォーレンには経験はないが、子供を抱いた女性がやってきて「あなたの子よ!」とされるなど、男としては恐怖しかないだろう。
もしその場にオーレリアがいたとしたら……想像だけで胃がきゅっ、と竦む。
「あら。でも幼児はともかく赤ん坊は、一年前は数か月単位でダンジョンに潜っていたのですから、中々タイミングが合わないのでは?」
「二人はそれでなんとかなったよ。一人が二歳の男の子で、誕生日から遡ると、宿ったのがちょうど地上にいた時だったんだ」
「それ、どうやって証明したんだ?」
「アルフレッドが細かく帳簿やメモをつけていてくれたから、相手が逢瀬したっていう日を聞き取りした後、その頃はこの日は西区の鍛冶屋に一日いたとか、その後はギルドの訓練所を使っていて東区から出る暇がなかったとか理詰めしていったが、最後は泣かれてな。だからって心当たりもないのに認めるわけにもいかないから、これ以上は弁護士を立てて徹底的に表立って争うと通告したら、あちらの親が引いてくれた――が、恨みは買っただろうな」
心当たりのないことで疲弊させられた挙句、遺恨が残るとはライアンもやりきれないだろう。
運ばれてきたビールを全員で乾杯すれば、自暴自棄のように一気に飲み干しているのがなんとも不憫だ。
「まあ、二歳になるまで黙っていたのにダンジョン踏破して爵位を取った途端に、っていう時点で大分うさんくさいよなあ」
「それが、彼女の中では今の俺では身分が彼女に相応しくないので、必ずダンジョンを踏破し爵位を賜り、あなたに相応しくなってから申し込みます、と求婚までしたことになっていたんだ」
「それはまた……」
豪胆で細かいことはさほど気にしないエリオットさえ、しみじみと気の毒そうに肩を叩いている。
ライアンは、絶世のと上につけても全く差支えのない彼の母親によく似て、非常に派手な美男子である。ウォーレンが知る限り知り合ってからずっと女性に人気があった――有体に言えばモテていたし、本人も気楽に楽しめる関係を好んでいて女性関係は派手な方だったけれど、ここにきて女性恐怖症の域に達しかけているらしい。
「爵位と一緒に領地も頂いたんですよね? そちらに行くわけにはいかないのですか?」
「それが、領地の正式な拝領の条件が結婚して子供、つまり後継ぎがいることなんだ。今のところ領の収益も、国庫に吸収されている状態だよ」
「ああ、新しく爵位を受ける貴族にはよくある条件だよね。まあ、大抵何かに貢献をして爵位を貰う男性って既婚者で子供がいることが多いから、ほとんど問題にならないんだけど」
これは、そもそも叙爵は個人に与えられるものだが、領地は家に与えられるものであるという価値観が大きく関わっている。最低限妻と子という「家」を有していないライアンは、拝領者として不適格というわけだ。
ウォーレンが伯爵時代から伯爵領を有していたのは、そもそも跡取りがおらず断絶したグレミリオン伯爵家の名と領地をそのまま与えられたからというのが大きく、かなり特殊なケースと言えるだろう。
「なるほど、だから手っ取り早くあなたの子よ、というのが発生するのですねえ。いっそどなたか、意中の方とご結婚するか、ウォーレンのように婚約だけでもしてくれる相手はいないんですか?」
「いないし、いたとしても本気になられたらそれこそ蟻地獄になる未来しか見えない。だから、今回の話は正直ありがたかった」
「十四階層が目的地なので、リーダーシップを取れるライアンと力が強いエリオットが参加してくれるならとても助かります」
「依頼は、水と火の魔法使いのパーティのアシストでいいんだね?」
「ええ、私も直接お会いしましたが、ゴールドランクを目指して経験を積んでいる最中の、良いパーティだと思いました。アウレル商会の直接の依頼だから、装備にはオーレリアさんが【軽量】を掛けてくれるそうなので、気を付けて行ってきてください」
「本当は、俺も行きたいところなんだけどな」
「私も気持ちは同じですが、ウォーレンには地上でやることがありますしねえ」
「まあ、そうなんだけどね……最近、オーレリアやアリアさんが頑張ってるのを見てるから、俺もこのままじゃ駄目だよなあと思うことが多くてさ」
ジェシカはオーレリアの護衛と、拠点の中庭を使って浄化装置の実験準備のため、今回は地上に残ることになった。
ウォーレンも同行したいところだが、オーレリアが定期的に王宮に呼び出されているのに地上を離れるのは不可能だ。
だが、今の自分は冒険者としての仕事もしていなければ、別の仕事をしているわけでもない。
冒険者としての稼ぎと踏破の褒賞で金銭には困っていないものの、傍から見れば貴族としての役目もろくに果たさず代官任せの領地から定期的に上がってくる収益を食んで生きている遊興貴族のようなものだ。
これでいいのか? という気持ちは日に日に大きくなるばかりだが、では貴族として真面目に領地の経営をしたり、王都で事業を始めるのが自分のやりたいことかと言われれば、なんとも複雑な気持ちになってしまう。
爵位も領地も、もともと欲しいものではなかったということもあるけれど、今の身分を大事にできていない。
そのおかげでオーレリアの盾になれているにも関わらずだ。
「まあ、身の振り方なんてすぐに決めなくてもいいんじゃないか。その余裕がある時は、ゆっくり考えるのも大切だぞ」
やつれた親友に肩を叩かれて、苦笑する。
「そうだね。焦らず、でもちゃんと、考えてみるよ」
王家から逃げて、宮廷から逃げて、貴族であることからも逃げるばかりの人生だった気がするけれど、それでは駄目だとようやく思えるようになった。
きっとこれからも、変わっていくのだろう。
願わくば、あのブラッディオレンジ色の誇らしい友人の隣にいて、恥ずかしくない自分に変わりたい。
そう思って、なぜか胸にしんみりとしたものが宿り、そっと胃の辺りを撫でるのだった。




