128.アウレル商会からの依頼
「急に来てもらって悪かったわね」
相変わらず頭の先から足先まで隙なく整えられたエレノアに、どうも、とロゼッタは応える。
その日は生憎の雪模様で、多くの人が行き交う冒険者ギルドの周辺も薄く雪化粧が施されていた。
ロゼッタはどうということもないが、相棒のノーラはあまり寒さに強い方ではない。もこもこと着ぶくれているけれど、それでも足りず室内に入ってもコートを脱がないままだ。
「まずは十五階層までの踏破おめでとう。「双星」としては初の十五階層踏破になるわね」
「どうも。と言っても今回は臨時で集めたパーティだったけどね」
「双星」はロゼッタとノーラのパーティ名で、基本的にこの名で活動しているが、下層と呼ばれる十三階層まではともかく、深層と呼ばれる十五階層から先は少なくとも五人以上のパーティを組むことが強く推奨されているため、同じシルバーランクの冒険者パーティと合同で潜ることになった。
利益も二つのパーティで折半になるし、一時的に組んだだけなので「双星」の手柄とは言い切れない。こうした一時的なパーティ結成はよくあることなので、エレノアの言葉も半分は世辞のようなものだろう。
それでも十五階という深層まで到達し、そこからバロメッツの羊毛とオークの皮革と魔石を持ち帰ったのは事実である。このタイミングでギルド副長であるエレノアからの呼び出しとなれば期待があったのも事実だが、エレノアの隣にちょこんと座る女性に、どうやらそれはなさそうだとやや失望した気持ちになる。
薄紫色の髪と菫色の瞳を持つしっとりとした美女は、冒険者の間では有名な存在だ。「黄金の麦穂」に所属するゴールドランクの水の魔法使いであり、碩学の乙女の二つ名を持つジェシカ・アンダーグレーズ。
去年の秋に二度目の大迷宮完全踏破を達成し、スキュラの魔石を持ち帰った王都の英雄の一人である。
「アウレル商会からの依頼を出させていただいた、ジェシカと申します。ギルドに採取の依頼を出したところ、エレノアさんからお二人を推薦していただいたので、ご挨拶をと思いまして」
「今回は特殊採取依頼でね。深層十五階まで到達したことだし、あなたたちなら問題ないと思うのだけれど」
特殊採取とは、下層と呼ばれる十階層以下から特定の素材の採取を依頼するときに使われる言葉である。特殊採取は、ほとんどの場合十五階層に生えているバロメッツであるが、それならジェシカが依頼するまでもないだろう。
「内容は?」
「十四階層の深い水場に生息している、とある生き物です」
「十四階層? あんたなら知っていると思うけど、あそこで採取する意味のある生き物なんていないんじゃないのか」
「はい、全てがあり、なにもない――エディアカランの楽園であり安寧の地獄とよばれる階層ですね」
十四階層と聞いて思わず眉を顰めたが、ジェシカも当然、それは理解しているだろう。
十四階層は美しい川が流れ、泉が湧き、魔物がいないため、他の階層では手に入れるのに手間のかかる栄養価の高い木の実やパンノキと呼ばれるものもあり、焼くと名前の通りパンのような風味のある主食になるものもそこら中で採ることができる。
川にいる魚も攻撃性の高いものは生息しておらず、ダンジョン内らしく常に適温で過ごしやすい。
あまりの過ごしやすさにかつては十四階層に住み着いてしまう冒険者も後を絶たなかったと聞くが、今は十三階層から十五階層に踏み進む前に一時体を休め、防具類の洗浄や乾燥を行い、手持ちの食料を追加すればそそくさと立ち去る、そんな場所になっている。
ロゼッタとノーラもつい先日、十五階層への行きと帰りで立ち寄ったが、長居してはならないと言われる理由はなんとなく、理解できた。
十四階層は、あまりに居心地が良すぎるのだ。
穏やかな雰囲気で危険な魔物はおらず、水にも食べ物にも困らない。直前の十三階層は、体力的にもさることながら精神的に冒険者にかなり大きな疲労を与えるため、一時の休憩所としては理想的だ。
だが、長居するほどその安寧と呼ばれる毒に、侵されていく。
最初は心と体をゆっくりと休めるに留まるが、やがて採取に多少の手間のかかる魚などからは手を引いて、パンノキの実を焼いたり甘い果実だけを食べるようになる。それも過ぎると起き上がるのが億劫になり、食事を省くようになり、あふれ出る幸福感と充足感の中で、気が付けば微笑みながら餓死している。
十四階層は安寧の地獄。そう呼ばれるだけのことはある、恐ろしい場所だ。
どちらにせよ果実類は持ち帰るには地上とは距離がありすぎるし、魔石が取れるような魔物も十四階層には存在しない。一時体を休めるだけの場所というのがロゼッタの印象である。
ジェシカは懐から折りたたまれた紙を取り出すと、テーブルの上に広げる。そこには
「十四階層の泉の底にいる生き物です。人に向かってくることはありませんし、ずっと水底にへばりついてじっとしているので特に害もない、利用価値も認められていないので研究者による名前すらまだついていないものです」
「確かに、十四階層の泉の底にいた」
それまで黙っていたノーラが言う。ロゼッタは気にしたことがなかったが、水の神の加護を受けているノーラが言うなら、そうなのだろう。
「いくら十四階層とはいえ、水に潜っての採取はどんな危険があるか分かりませんので、優秀な水の魔法使いがいるパーティであることが条件になります。ノーラさんは非常に強力な水魔法を操ると伺いましたので、適任かと私も思います」
今王都で最も有名な水の魔法使いに言われると褒められているのかなんなのか、相棒であるロゼッタはやや複雑な気分だったが、ノーラは無表情ながら、得意げな様子を滲ませている。
表情が分かりにくく何を考えているか読み取り難い相棒だが、性格としてはとても素直で率直だ。
「もうひとつ、尋ねていいかい」
「はい、勿論、なんなりと」
「あんたは「黄金の麦穂」のメンバーだろう。下層の採取くらい、自分たちで行けばいいじゃないか」
ゴールドランクの冒険者パーティの最も利益の高い狩場は、十五階層になる。
ようやく十五階層に初踏破した「双星」とは違い、十四階層など、彼らにとってはキャンプ地のようなものだろう。
下層の特殊採取はそこまでの道のりの長さと危険も込みで、依頼料は高額なものになる。わざわざ外部に依頼する必要があるとは思いにくい。
「私も一緒に行きたいところなのですが、今はパートナーと共に護衛の仕事についているので、下層までの行き来をする期間、地上を離れにくいのですよ」
ジェシカはあくまでおっとりと、そう言った。
「なるほど。よほど重要な護衛対象なんだろうね」
「はい、私にとっても仲間にとっても替え難い、とても大切な方です」
今回は「黄金の麦穂」からではなく、商会の代理人として現れたので、おそらくその商会の会頭かその妻、娘あたりの護衛をしているのだろう。
――アウレル商会だったっけ? 聞き覚えはないけど、ギルド経由なら国外の大商会の可能性もあるか。
その商会が、これまで名も与えられていなかった素材に何かしらの可能性を見出して依頼を出してきた。流れとしてはそのようなものなのだろう。
「ちなみにこれは、採取して何に使うんだい」
「企業秘密です。数は多いほどいいですが、念のためこちらが指定する三種類の採取方法でお願いします。軽量と防水を付与した小樽に水ごと。間に濡れた布で包んで丸ごと。そして、採取したものを保全することなくそのままで。数が多いほど成功報酬として、依頼料に上乗せさせていただきます」
ジェシカが提示した依頼料も成功報酬も、十分な金額だ。依頼者としてケチでないことは好感が持てるが、ロゼッタは少し考え込む。
ロゼッタはそれなりに体力もあるほうだが、軽量を付与してあっても小樽はそれなりに重い。ノーラは小柄で身軽だが、体力は冒険者として最低限程度で、重いものを持って運ぶのには不向きだ。
女二人では大した量は持ち帰れないだろう。ポーターとして臨時で雇うにしても、下層の最も深いところまで荷物持ちをする者を見つけるのは、少し時間がかかるかもしれない。
――だが、受けるメリットはある。
三度目のエディアカラン踏破がロゼッタとノーラの目標であり、今はその経験を積むためにできる限り下層へ潜る経験と実績を積んでいる最中だ。
ランク昇格のためにも必要なステップでもある。依頼料だけでも十分だし、特殊採取依頼は冒険者ギルドのランク昇格基準を満たすのに大きなウエイトも占めている。
実力はあっても肉体的な制限から、女性はよほど仲間の理解を得られなければ深層へ挑戦することすら難しかった。だが女性メンバーが二人もいる「黄金の麦穂」が踏破したばかりで、その前提を覆すのに、今は追い風が吹いている。
「引き受けて下さるなら、深層手前の下層ということでこちらからも人手を出しますよ。ゴールドランクの冒険者を一人、プラチナランクの冒険者を一人、アシストとして出します。それからもうひとつ」
これは持ち帰って頂いたものを実験してみた後にならないと分からないのですが、と前置きし、ジェシカはおっとりとした口調で続けた。
「もし同じ依頼を継続して受けていただけるなら、お二人のゴールドランク昇格の推薦を、「黄金の麦穂」の名でさせていただきます」
その言葉で、ロゼッタの心は決まった。
「ああ、この依頼、受けさせてもらうよ。いいよな、ノーラ」
「もちろん、異論はない」
きりっとした表情で頷いた相棒に、ロゼッタは深く頷き返す。
「よかったです! メンバーとは後日顔合わせの機会を作らせていただきますね」




