126.ダンジョンの掃除屋と頼れる人
ようやく少し雰囲気が落ち着いたところで、オーレリアたちははたとテーブルに並べられた料理に手を付け始めることになった。
前菜の蕪とベーコンのローストしたものは、ベーコンの塩気が蕪の甘さを引き立てていて、器にひたひたと注がれたソースは冷めてしまっているけれど、十分に美味しい。
「このスープ、美味しいです」
「レンズマメのポタージュですね。隠し味のナツメグが風味を引き立てていて、私好みです」
「兎の煮込みもいい味だね。フォークだけで切れるくらい柔らかいし、彩もきれいだ」
パンはまだほんのり温かく、薄く切り出したチーズをのせて食べると甘みと塩気のバランスがとてもよい。
店構えの豪華さには緊張してしまったが、個室の内装は品がよく、気心の知れた相手と食べる美味しい食事は、先ほどまでの委縮した気持ちをゆるゆると解いてくれた。
「このチーズ、すごく美味しいです。チーズも特別なんでしょうか」
「多分西門の外にある牧場と提携しているんだと思う。有名な工房がいくつかあって色々食べ比べもできるだろうし、今度行ってみない?」
「是非! ……チーズ単体でこれくらい美味しいと、ワインも進みますね」
緊張した雰囲気の直後のためだろう、三人とも当たり障りなく穏やかな会話を交わしながら、空気がほぐれてきたところで、それにしても、と改めてウォーレンが言った。
「実際にダンジョンに飲用水が設置されたら、俺も直接見に行きたいな。今は熟練だったり引退した冒険者も、若い頃は水で苦労した人は多いから、しばらく見物に来る人も増えるかもしれない。でも、組み立てる材料をダンジョンに運ぶまでがちょっと手間かな」
「本体は大きな木樽なら軽いし設置も楽じゃないでしょうか。水気が多いところだと木製品は傷みやすいですが、そこは【保存】を掛ければいいですし」
【保存】は定期的にかけ直す必要があるけれど、どのみちフィルターも交換が必要なので、都度一緒にしてしまえばいいだろう。
アリアは兎の肉を切り分けて口に運び、ゆっくりと咀嚼して、楽し気に続ける。
「それから、内側と外側に【防水】を掛ければなおいいと思います。問題はスライムですね。スライムは鉄も溶かしてしまいますから、この際素材がなんでもあまり関係ありませんが」
ダンジョン内にはあちこちにスライムがいるという話は聞いたことがあるけれど、オーレリアは実物をみたことはない。以前ウォーレンと迷宮をメインに展示している博物館に行った折り、スライムを説明する絵を見たことがあるくらいだ。
「スライムって、ぺったりとしていて薄い魔物ですよね」
「そう、ダンジョンの掃除屋兼厄介者。食事しながら話す内容じゃないけど……本当に何でも食べるし徹底的に溶解するから、ダンジョンで何らかの理由で全滅したパーティは、まず見つからないんだ」
「その代わり、とても弱くて臆病なので、遭難しても生存している限りはそうそうスライムに襲われて、ということはないと本で読んだことがあります」
オーレリアがスライムと言われて想像するのは、まるっこくて先端がとがった、目が二つある青くてコミカルな姿だけれど、そうしたものとはイメージが違っていた。
想像できる中で一番似ているのは、巨大なアメーバだろう。不定形でうねうねと動き、触れた有機物はなんでも溶かして食べてしまうのだという。
「スライムが溶かせない素材はないんですか?」
「最も有名なのはガラスですね。逆に分解者であるスライムが溶かせないのでダンジョン内にガラスは持ち込みが禁止されていますが」
「あとは陶器とか、宝石類も消化が苦手だっていわれている。スライムが冒険者の体や装備を全部溶かした後、器と装備品の宝石だけそこに散らばっていることが多いから、それを狙う盗賊もどきの冒険者もいるみたいだね……」
冒険者が換金用の宝飾品を身に着けているというのは、先日ウォーレンから聞いたばかりだ。
それがパーティの人数分、何もないところに点々と落ちているのは中々怖い想像である。
逆に、魔物が跋扈しそれを狩る冒険者が多く行き来しているダンジョンという環境で、不潔になりすぎたり疫病が発生したりしないのは、スライムが有機物を順次分解しているかららしい。
魔物も冒険者も、生きている限り戦い、血を流し、排泄だってする。食糧の食べ残しが出ることもあるだろう。それが蓄積せずにいるのも、スライムのおかげというわけだ。
「木樽は、木の部分がすぐに溶かされてしまいそうですね……。かといって陶器やガラスは割れやすいですし」
「魔鉄は錆びにくいから、それを基礎に表面を真銀でメッキするとかかなあ」
「そうすると、今度は入れ物自体の価値が高くなりすぎてしまいませんか?」
ウォーレンが腕を組んで考え込みながら絞り出した案に、アリアが苦笑しながら告げる。
魔鉄もそうだけれど、特に真銀はダンジョンで産出される鉱物の中でもかなり高額な部類の鉱物で、それが全面にメッキされているとなれば、かなり価値が高くなってしまうだろう。
「浅層は行き来する人も多いからそうそう滅多なことはしないと思うけど、剥ぎ取り行為に出るやつがいないとは、言い切れないかな……」
「やっぱり、中々現実的には難しいですよね……」
肩を落として、その拍子に自己嫌悪も湧いてくる。
今日の昼間、拠点を訪れたアリアは意気揚々と、財務局から吸湿の中敷きの発注が来たと報告してくれた。財務局は大きな部署だし、他の部署にも何かと顔が利く者が多いので、そこから王宮に勤める文官たち、ひいては騎士や兵士たちにもどんどん広がっていくだろうと嬉しそうだったのだ。
商売が上手くいっている時のアリアは本当に楽し気で、それを見たオーレリアも嬉しくなって、二人でここから良い流れになればいいと言い合って、そのお喋りの流れで、先日思いついたろ過装置について触れた。
そうしたら、アリアは急に真顔になって、どのような装置かと図解を求められ、記憶する限りのろ過装置の情報を絵を描きながら説明し、なにやらぶつぶつと真剣な表情でつぶやき始め、ウォーレンも交えて話したほうがいいと使いを出すために一度拠点の電話であちこちに連絡を入れて……そして、数時間後の今である。
個室のある店がここしか取れなかったからと、アリアと大急ぎでウィンハルト家に向かい、着替えを済ませ、あれよあれよという流れだった。
「ああ、だからこの店だったんだ。正直店の名前だけだとこの格好が相応しいかどうか分からなくて、結構迷ったんだけど、当たりでよかったよ」
「執事に、とにかくセキュリティのしっかりした個室のある店ならどこでもいいからと任せてしまったので。できれば最初は三人だけで、この話を共有したほうがいいと思ったので……私も慌てていました」
「すみません、私が思い付きで変なこと言い出したばっかりに」
アリアはあんなに嬉しそうだったのに、完全に水を差す形になってしまった。
ウォーレンもきっと、急な呼び出しに慌てただろう。
「いや、それは本当に、いいんだ。えーと、スライムの問題だけど、二人がよければジェシカに相談してみるのはどうだろう」
話を変えるように、ウォーレンが明るい声で言った。
「ジェシカさんにですか?」
「うん。秘密が守れる人であることは俺が保証するし、何よりダンジョン内の環境については、ジェシカが国で一番知識があると思う」
本が好きで、おっとりとした水の魔法使いであるジェシカは、確かに話をしていても博識だし、そもそもダンジョンに潜っている理由も、学術調査を兼ねたものだと言っていた。
ウォーレンがそんな嘘や冗談を言うとは思っていないけれど、それでも国一番という言葉には驚く。
「ジェシカさんは、そんなにすごい方なんですか」
「うん。十歳で高等学校を卒業した後は十五歳で象牙の塔の第七席まで上り詰めて、いずれは第一席を取る最有力候補と言われていたのを成人したらあっさり辞めて冒険者になったくらいだから」
「それは、すごいですね……」
感嘆を漏らすアリアに、ウォーレンはもう一度、うん、と頷く。
「普段はのんびりしているように見えるけど、文字通り、ダンジョンの研究に命を懸けている人だよ。ダンジョン内で困ったことがあれば、一番頼れる人でもあると思う」




