125.望むものと希望の水
オーレリアは少しの間、考えるように沈黙していた。その表情がひどく不安げに見えて、ウォーレンがただ気持ちを聞かせてほしいだけだと言い直そうとしたところで、深く頭を下げられてしまった。
「考えなしで、ごめんなさい。その、この話は、無かったことにしてもらえますか」
ひどく肩身が狭そうな様子で言われて目を瞠ると、オーレリアは表情を曇らせたまま、続ける。
「ジーナさんとジェシカさんから話を聞いて、水に不自由しなくなればいいなあって少し思いついただけで、そこまで騒ぎになるようなことだとは、思わなかったんです。本当に、考えなしですみませんでした!」
「待って、オーレリア。その」
謝ってほしいわけではないし、決して迷惑だと思ったわけでもない。
ただ、このアイディアが技術として確立されれば、どうしたって利権につながっていく。安全な水に関する技術とは、そういうものだ。
アイディアは秀逸であっても、それを他者に数枚の銅貨や銀貨で売り渡し、その技術で金貨の山が積み上がることだってよくある話だ。
オーレリアは人が好いが基本的には目立つのを好まず、拠点で黙々と付与を行っている方が性に合っていると思っているのは判っている。だから、このアイディアを実用化するならばどういう結果になるのが最も望ましいのか、それが聞きたかった。
どう扱われたいか、その結果がどんな形になることを望むのか。そうした方針がはっきりしていなければ、大きすぎる利権の取り扱いは後から強い禍根を残しかねないものだ。
「その、私は水の専門家というわけではありませんし、こうしたら多少汚れた水も安全性が高まるという程度で、もしこれが大きく広まったあとに病気になった人が出たりしても、責任が取れるわけではありません。そうである以上、広めるのは無責任だと思うので!」
やや青ざめているオーレリアに、言いたかったことが伝わっていないと、ウォーレンも焦りが湧いてくる。
「その、オーレリア」
「オーレリア、そんなことをあなたが心配する必要はありませんよ」
焦って言葉を出そうとすると、オーレリアの隣に座っていたアリアが手を伸ばし、ぽん、と軽く彼女の肩に触れる。それから苦笑し、大丈夫、と二度、三度、ぽんぽんとそこを叩いた。
「深く息を吸ってください。大丈夫、ここにはオーレリアの味方しかいませんし、私もウォーレンさんも、必ずオーレリアのしたいようにしますから」
「……アリア」
「ウォーレンさんが聞きたいのは、何かあった時その責任が負えるかどうかという話じゃなくて、これでできた水をどういう人に届けたいという希望はあるかとか、これを公権に預けても構わないかとか、その場合オーレリアの名前は出した方がいいのか、匿名のほうが都合がいいかとか、そういう話ですよ」
「そう! ごめん、言葉が足りなかった」
素早く尻馬に乗るのは情けないとは思いつつ、一刻も早く誤解を解きたくて、つい大きな声が出てしまう。
「その、オーレリアは目立つのが好きじゃないだろうから、望むなら意匠権の申請なんかは省いてこういう方法があるけど検証してみないかと行政府の発言権のある人に流したり、なんならヴィンセントに預けたっていいと思う。それに、実用に足るか、これで健康に被害が出ないようにできるかどうかは、ちゃんと専門の人間が考えることだから」
「ええ、実用性や安全な運用に関しては王国魔法師団なり象牙の塔なりに所属する人たちがきちんと実験して検証するでしょう。宝石は宝石商に任せるのが一番だと言いますしね」
オーレリアがほっと息を吐いたのと同時に、アリアは笑ってワイングラスを手に取り、くい、と呑み干す。
「――どうも、駄目ですね。私もウォーレンさんも、貴族的な考え方が染み付いていて、少々冷静ではなかったみたいです」
「そうだね、俺も、ちょっと慌てすぎた」
オーレリアは今不便なことがあると耳に挟んで、それを解消するための方法を考えてみた。それくらいの気持ちだったのだろう。
それを親しい相手に相談したら慌てふためかれ、特例徴発だの中央権力に目を付けられるだのという言葉が飛び交えば、彼女の性格では委縮してしまうのは、考えてみれば当たり前だった。
オーレリアにはその新しいものへの発想や発明力に驚かされてばかりだけれど、内気で臆病な面もある女性であることは、忘れてはいけなかった。
何より自分が最も好ましいと思ったのは、オーレリアのそうした部分だったのだから。
「ええと、私の名前は出なくても大丈夫です。条件の合う場所で使ってもらえて、それで便利になるならそれで充分なので。それと、安全確認はきちんとやってほしいです」
「とりあえず、オーレリアはダンジョンの浅層で水が困らなくしたいんだよね。だったら、まずはエレノアさんからギルド長に話を持っていくかな。冒険者ギルドは国から独立した機関だから、レイヴェント王国に技術独占されたくない場合はこっちだと思う」
「ですね。民間でやるのは少々骨が折れそうですが、ギルド主体なら問題ないと思います。ただ冒険者ギルドはダンジョンの運営と冒険者の育成が主な仕事ですから、商業ギルドにも同時に話をしてもいいかもしれません」
「商業ギルドだと、有料の水場をあちこちの都市に建ててくれそうだよね」
「はい。国に技術をもっていくなら付く予算も大きくなるでしょうし、もう少し安価に水を供給できるようになると思います。適当に手柄が欲しい人を代表に立ててもらえば、オーレリアの名前が外に出ることはありませんよ。むしろ神経質なくらい、あちらが隠してくれると思います」
明るい調子で会話をしているうちに、ようやくほっとした様子のオーレリアのグラスに新しいワインを注ぎ、ウォーレンもくい、とグラスを傾ける。
望めばいくらでも富や名声を望むことができるし、歴史書のページに名を残すこともできるだろうに、オーレリアはそんなことは少しも望んでいない。
彼女が望んでいるのは、別のことばかりだ。
「俺は、オーレリアの発想、すごく好きだよ。いつも誰かを助けたり、便利にしたり、困っている人を救うためのものばかりだ。オーレリアが優しいからそういうものができるし、アリアさんも、もちろん俺も、そんなオーレリアを助けたいと思ってる」
「そうですよ、オーレリア。私たちに謝る必要なんてないですし、思いついたら何でも言ってください。それで頭を悩ませるのは、私たちの仕事です」
「面倒なことは俺たちがどうにかするよ。手が足りないならその力がある人に助力を求める。それくらいは頼ってほしいし、オーレリアがどうしたいか、それを大事にしたいんだ」
「いえ、あの……、――ありがとうございます」
自分たちを悩ませるようなことはしたくないと思ってくれたんだろう。けれどオーレリアは、焦りながらも謝罪ではなく礼を言ってくれた。
それで充分だ。
オーレリアの思い付きに驚かされるのも、頭を抱えるのも、それはそれでとても楽しい。
出会った時だって迷いながら、怯えながら、彼女は勇気を出してハンカチを差し出してくれた。周りに面倒をかけてしまうからと何かを思いついても委縮して口をつぐみなかったことにしてしまうなんて、彼女らしくない。
「俺も駆け出しの時は水屋頼りの時もあったから、これから冒険者を志す人たちはすごく助かると思う。きっとその中から、三度目のエディアカラン踏破をする冒険者も生まれてくるよ」




