123.財務局と訳あり令嬢
その日、王宮の政庁区の西側にある財務局に、一人の来客があった。
今も昔も、財務局はむさくるしい男所帯である。掃除や給仕といった雑務も男性使用人に限定しているため、来客とはいえうら若き女性の来訪に、普段は帳簿を睨みつけている官僚たちもやや浮ついた空気になっている。
ふわりとした五分丈のジャケットの袖には優美な刺繍が施され、ブラウスには贅沢なレースがたっぷりとあしらわれた優雅な薄い青のアフタヌーンドレスに身を包んだアリア・ウィンハルトは、財務卿であるゴードエンと目が合うと、にこりと微笑んだ。
「ゴードエン様、急な来訪を失礼いたします。お会いできて光栄です」
「なあに、麗しきアリア嬢の申し出なら万難を排して時間を作るというものだ」
「姉と来たのですが、姉はエレノア様とお話があるということで、急に時間が浮いてしまって。ご機嫌麗しそうで、何よりです」
「ふむ、よし、茶を出そう。今日はいい菓子もある」
「いえ、お仕事の邪魔はしたくありませんし、もしお渡しできればと思って持ち歩いていたものがありましたので、それを渡したらすぐに戻りますわ」
そう告げるアリアの手には、革のトランクが提げられている。
貴族の女性はビーズをあしらった小さなハンドバッグを持ち歩くのが一般的で、武骨な革のトランクなどあってもすぐに侍従か案内役の使用人に持たせるものだ。
それを、わざわざ手ずから運んできた。貴婦人としてもやや不自然だが、それがウィンハルト家の娘となると、一気に意味合いが変わってくる。
ましてそれが訳あり令嬢と陰で言われている、アリア・ウィンハルトならなおさらだろう。
周囲の官僚たちも、先ほどまでの浮ついた空気からまた少し、雰囲気が変わっていた。
「手土産付きとは、気が利くことだ」
「先日も少しお話ししましたが、私、現在新しい事業を進めていますの。それで、とても有用な新製品を開発したので、よろしければ先行してゴードエン様に使っていただけないかと思いまして」
「ほお、新商品か」
それならばなおのこと、応接室で落ち着いて話をした方が良いだろうに、あえて多くの官僚がいる場で切り出したということは、汎用性が高く、かつよほど自信のある商品ということか。
財務局のトップである財務卿の身分には、その立場を利用しようと近づいてくる者は少なくない。こうして売り込みを掛けてこられるのも日常であるし、普段ならばとっとと追い返しているだろう。
だが、目の前の少女には、少しばかり借りがあった。
二週間ほど前のことだ、突然筆頭審議官と宮廷法務官の連名で連絡を受け、彼女と面会し一時間ほど足止めをしてほしいと依頼された。
聞けば、アリアと彼女が王宮に付き添ってきた令嬢を、一時引き離したいのだという。
現在王宮は、非公式だが異国の貴人が滞在しており、その関係であると匂わされて正確な情報は与えられなかった。旧友の娘を相手に怪しげな足止めなどできるかと突っぱねてもよかったが、アリアに不利益になることは決してしないと言う審議局の筆頭と法務局の若手のホープをあえて向こうに回すこともないと天秤にかけた結果、引き受けることにした。
ウィンハルト家とは長い付き合いであるし、現当主であるグレゴールとは初等学校から高等学校までの長い腐れ縁である。アリアも彼女が赤ん坊の頃から知っている相手だ。
娘のように思っている、というと彼女の父親が青筋を立てるのは目に見えているが、姪のように可愛がっている。何か起きれば自分が庇えばいいだろう。
その日、多少そわそわしている様子ではあったものの特に恨み言を言われることもなく歓談は終わったが、アリアの役割の邪魔をする手助けをしたのは事実であるので、その借りを返すのに彼女がこの場で関わっている事業のプレゼンを行うならば、それに乗るのもいいだろう。
「少しデスクを貸していただいてもよろしいですか?」
「ああ、そこの机を使ってくれ」
空いたデスクを指すと、アリアはトランクを置いて留め具を外す。隣の机に座していた官僚と目が合うとにこりと微笑み、他愛なく男はどぎまぎとして顔を赤らめていた。
アリアは小柄で年齢より幼く見えるが、非常に整った顔立ちをしていて、特に貴族特有の穏やかな笑みを浮かべるとその端正さが際立つ。
グレゴールも若かりし頃、内面は鈍感な朴念仁もいいところだったが紳士らしい振る舞いをするたびに令嬢たちに高い声を出されていたので、その辺りは完全に父親に似たらしい。
財務局に属する者は、誰も彼も目端が利く。令嬢の手ずから運んできたものということで、周囲もそれとなくこちらを注視し、自然と会話が減って周囲は静かになっていった。
だからこそ、開いたトランクの中に並んだ歪んだ楕円に切り抜かれた茶色の物体に、最初は肩透かしされたような気分になった。
ずらりと並んだそれは、右から左にかけてサイズが大きくなっていく。二つで一つのセットらしく、軽く見積もって三十セットほどあるだろうか。ぱっと見ただけでは、それがどう使う商品なのかイメージするのは難しい。
「これは、なんだね?」
「これは私が経営に直接参加している商会が新しく作った靴の中敷きです。それぞれの足のサイズに合わせて、靴に入れて使います」
「それは、それは」
正直、アリアから足の話題が出たことに随分度肝を抜かれてしまった。
まだ彼女が幼かった頃に、ちょっとした可愛いハプニングが起きたことがある。
当時から上背が高く髭面で、たまに会うと実の娘にまで怖がられて泣かれていたような強面の自分に対し、おじちゃま、足がくちゃい! と大声で言い放ったのがアリア・ウィンハルトだ。
彼女も覚えているのだろう、未だに顔を合わせるとどこか申し訳なさそうな恐縮した振る舞いをするので、あの天真爛漫で怖いもの知らずでもあった幼い子供が随分分別がついたものだと愉快になり、遠回しにからかってしまうのは我ながら悪い癖である。
だからこそ、足関連の話題がアリアから出たことには素直に驚いた。
「中敷きとは、聞き慣れないものだな。手に取ってみても?」
「ええ、どうぞ」
許可を得て綺麗に並べられたもののひとつを取り上げる。
見た目は革製で、アウレル商会の焼き印と共に、小さく数字が入れられている。
滑り止めのためだろう、裏に手で触れるとくっつく感触がしたが、簡単に剥がすことができた。
「効果は使ってみてのお楽しみとして、それぞれのサイズに暫定的に数字を入れてありますので、新たに必要になったら同じ数字のものをお求めください。付与をかけてある商品なので術式に傷をつけないようハサミでサイズの調節はせず、ご自分の足のサイズに合うものを使ってくださいね。ゴードエン様のサイズが分からなかったので多めに用意しましたので、余った分は財務局の皆様で使っていただければと思います」
「ふむ……」
正直、これを靴に入れたからなんなのだという気持ちはあった。
紳士の靴は文字通り足に吸い付くように繊細なサイズ調整をして作られ、手入れをしながら十年、それ以上も長く履くのも珍しくない相棒であり、財産である。
中敷きと呼ばれるそれは、明らかに余計な異物のように感じられる。
だが、サイズが分からなかったからとあえてこれだけの量を持ってきたということは、使ってみれば誰しもその良さが理解できるという確信があるのだろう。
――グレゴールよ、お前の娘は面白いな。
最近は長女とその娘婿に王都の切り盛りを任せて、最愛の妻オリヴィアと諸国漫遊の旅よろしく飛び回っている旧友を思い出し、胸の内でそっと囁く。
「折角だ、使わせてもらおう! ただここで靴に入れるのは勘弁してもらいたい。レディの前では紳士の嗜みに悖るからなぁ」
「勿論、ご都合の良い時に使ってみてくださいませ。感想を楽しみにしていますわ、ゴードエンおじさま」
アリアはそれで用が済んだとばかりに、姉の元に戻ると言って退出していった。
いつの間にやらすっかり令嬢として振る舞うようになっていたアリアに、おじさまと呼ばれたのも、一体いつぶりだろうか。
ひとまず家に持ち帰り、良いサイズを見繕って使ってみよう。
みたところ明らかに大きい、小さいものも交じっているので、それは興味を隠せずこちらに意識を向けている部下たちに分けてやればいいだろう。
あの小さなお嬢さんだったアリアが、ささやかな貸しの回収のため単身で財務局に乗り込んできたのだ、それくらいは紳士として当然の振る舞いである。
その後、ゴードエン侯爵の名で29の数字の中敷き20セットの注文が入ったのは、一週間ほど後のこと。
彼の部下の名でアウレル商会に問い合わせが殺到するのも、同じくらいの時期となった。
おじさまは身長190センチ以上あります。でっかいです。
全てのお話で使われる単位はセンチメートル・リットル・グラム等です。




