121.偶然の導くもの
しばらくお茶とお喋りをして、ヴィンセントとアイザックは頃合いを見て立ち上がる。
「兄上、今日はお話できてうれしかったです!」
「義姉上も、助言をありがとうございました。お二人とも、またお話してください」
そう告げると、供や護衛騎士を呼ぶこともなく、二人はそっと控室を出て行った。
王宮内でそう心配することはないだろうけれど、無防備な振る舞いがどうにも心配になったものの、成人した弟二人を王族の居室近くまで自分が送るというのも他の問題を発生させてしまいかねない。
「――俺たちもそろそろ戻ろうか。予定より時間を取らせてしまって、ごめん」
「いえ、こういうことを言うと失礼かもしれませんが、楽しかったです」
オーレリアがあっさり言ってくれたことにほっとしつつも、申し訳ない気分になってしまう。
彼女は気が弱いところがあるし、身分が高い相手を前にすると委縮する様子もある。エレノア相手にもまだ緊張が抜けていない様子なのに、初対面と会うのが二度目の王子が二人も同席したのでは、やはり気を遣っただろう。
差し出した肘にそっと手を重ねてもらい、馬車止めまで向かう中、ちらりと隣にいる彼女を盗み見る。
今日は綺麗にまとめ上げたブラッディオレンジの髪は、少しコテをあてているらしくゆるりと波立っている。そうして髪を上げていると白いうなじや肩口が強調されている気がして、そっと視線を外した。
ウォーレンにとって着飾っている女性は、そう珍しいものではない。どうしても参加が断れない集まりもあるし、夜会ではイブニングドレスを身にまとったご婦人たちと会話をすることもある。
そうした貴族の令嬢や夫人たちと比べれば、オーレリアの装いは彼女によく似合っているけれど、シンプルだし肌もそれほど出しているわけではない。やはりアリアのセンスがいいのだろう。似合う服が一番魅力的に見えるのかもしれない……。
「――ですね」
「え、ごめん。聞き逃した」
もやもやとまとまらない思考が頭の中を巡っているうちに、隣にいるオーレリアの声を拾い損ねてしまった。聞き返すと、彼女は口元に笑みを浮かべている。
「ウォーレンは、兄弟仲がいいんですね」
「ああ……二人と一緒に過ごした時間は、長いとは言えないんだけど、どういうわけか昔から慕ってくれているんだ」
年もそれなりに離れているし、ウォーレン自身が王宮を不在にしていた時期もあり、王宮に戻ってからも王族が暮らす本宮ではなく昔母と暮らしていた離宮で生活していたので、兄弟と言ってもヴィンセントとアイザックとは共に暮らしたと言える時期はない。
それでも王族の一人として式典や集まりでは顔を合わせることがあったし、最初はおずおずとこちらから距離を取って視線を向けていた二人は、いつの間にか兄上と呼んで慕ってくれるようになっていた。
妾腹の第一王子と正当な妃から生まれた二人の王子として、最初は確かに、自分たちの間にも距離があった。
――あれは、なにがきっかけだったんだろう。
あの頃のウォーレンは母の死に様を見てしまったショックが冷めやらず、変わり続ける環境に順応するのが精いっぱいで周囲に気を配る余裕はなく、記憶も少し曖昧だ。
ただ気が付けば二人は目が合えば兄上と走り寄ってきてくれるようになったし、特に無邪気で幼いアイザックは思い切り脚に抱き着いてくるようになった。
王族から籍を抜き、王宮から半ば逃げ出した形で、あの二人とも二度と道は交わらないだろうと思っていたのに、会ってしまえば自分の負けだ。
結局訪ねてこられれば拒否はできず、言葉を交わせば可愛い弟だ。冷たく拒絶することなどできなかった。
自分のこうした気質は身の内に入れた相手に執着する父親に似ている気もして、複雑な気分にさせられてしまう。
「本当にごめん。オーレリアが戻る前に二人を帰しておけばよかったんだけど、特にヴィンセントが、セラフィナ姫とのことで悩んでいるようだったから」
「いえ、確かに少し緊張しますけど、お二人とも親切でしたし、私は大丈夫です。ええと、口調とか、どう呼んでいいのかとか、少し迷いますけど」
「本人たちも言っていたけど、名前で呼び捨てでいいと思うよ。その方が喜ぶだろうし」
「……努力はしますね」
事業を大きくしている途中のオーレリアは、ただでさえ忙しい身だろうに、こうして王宮に通うことになった上に、自国の王族とまで関わるのはやはり負担があるだろう。
「その、セラフィナ姫との面会だけでも、オーレリアには大変だろうし、疲れるようなら次からは二人には早めに帰ってもらうようにするから」
「いえ、本当に大丈夫です。というか、少し嬉しかったくらいで」
「嬉しい?」
きょとんとすると、オーレリアは気恥ずかし気に笑って、言葉を選ぶように、短い沈黙があった。
「私には一緒に育った従姉妹はいましたが、あまり仲がよくなかったので、兄弟に憧れがあるというか」
「……うん」
「絶対無理なんですけど、弟が欲しかったなって気持ちがちょっとあったので、その夢の半分の半分くらい、叶ったような気がします」
オーレリアたちの事業の足場が確固たるものになればこの婚約は解消になる見込みだし、そうでなくともセラフィナがこの国を去れば、二人とオーレリアの接点も消えることになる。
ヴィンセントとアイザックが自分を兄と呼ぶこと自体、あまり褒められたものではないし、ましてオーレリアを義姉と呼ぶのは止めさせた方がいいのだろうと思っていたけれど、オーレリアはそれについてはあまり気にしている様子ではなかった。
それに、自分はやけに安堵している。
「なにか、不思議な気分だ」
「なにがですか?」
「いや、二人と、オーレリアと、俺がああやって話をしていたのが」
――俺も、二人とはゆっくりお茶を飲みながら話す機会なんてほとんどなかったのに。
王族として王宮で暮らしていた時より、今の方がずっとヴィンセントとアイザックとの距離が近く感じる。
温かいお茶とお菓子を囲んで、出会った経緯や恋愛の悩みや、少しのからかい交じりの会話に本気ではない咎めをしたり、笑ったり。
まるで、それは。
「家族って感じですよね」
「……うん」
母と王宮を出た時に一度、母を亡くした時にもう一度失って、自分には二度と手に入らないものだと思っていたそれが、気づけばこんなに当たり前のように近くにある。
――でも、俺だけでは、きっとそうはならなかった。
オーレリアがここにいるのは、様々な偶然が重なった結果でしかない。
思いがけず婚約を解消されて、たまたま痛みに苦しんでいた自分に親切にしてくれて、始めた事業のトラブルで後見人になる婚約者を必要としたときに再会し、ちょっとした親切のつもりが相手は他国の姫で。
オーレリア自身は、どうしてこうなったのか分からないくらいだろう。
それはよく分かっている。
それでもまるで、何か運命が自分たちを導いてくれたような、そんな気がしてしまって。
「ヴィンセント、上手くいくといいんだけど」
「ですね。私もそう思います」
それが偶然であれ運命であれ、そしていつか道が分かれる日がくるとしても、今そう言ってくれる隣にいる女性に恥じないような自分でいなければならない。
不意に、そう思えてならなかった。




