119.異文化と甘いお菓子
年長のサーリヤに案内されて温室に入ると、雅な演奏と共に二人のサーリヤが歌を歌っているところだった。
「オーレリア、いらっしゃい。こちらに来て」
ゆったりと長椅子に体を預けているセラフィナに手を差し伸べられて、彼女が座っているソファの端に腰を下ろす。すぐにいくつもクッションを持ってきてもらったけれど、さすがにここでセラフィナのように体勢を崩してリラックスするのは難しい。
「綺麗な音ですね。ザフラーンの楽器ですか?」
弦楽器を両手に持った器具でかき鳴らしているようで、澄んだ高音が響く、なんとも美しい旋律だった。輪唱歌なのだろう、二人の少女の異国の歌が追いかけっこをするように同じフレーズを繰り返している。
「ダルシマーよ。後宮ではよく使われるけど、あの子は特に、腕がいいわ」
楽器に詳しくないオーレリアが聞いてもそうと分かるほど繊細で優しい音色である。やはり相当の腕前なのだろう。
「オーレリアは何か楽器は弾くの?」
「いえ、楽器は高等教育なので、庶民はあまり学びません。裕福な家の子は花嫁修業としてピアノを学ぶこともありますが」
こちらの世界では、ある程度裕福な家庭の女の子にとってピアノは女性にも教育を施す意識のある良い家庭で育てられたという、ステータスの一部である。
花嫁道具にピアノを持たせられるかどうかは、良い結婚の線引きのひとつにもなっているほどだ。
これまでセラフィナの周囲にいる「サーリヤ」は七人、上はレオナくらいの年頃から、下は十歳くらいまでとかなり幅広く、それぞれ得意分野も違う様子だ。
全員が奴隷の身分らしく、口数は少ないけれどたまに言葉を交わすと丁寧で上品な言葉で、かなり高い教養を持っているようだった。
実際、望まれれば貴族の第二夫人や第三夫人に迎えられることもあるのだという。ザフラーンでは奴隷階級の女性を妻に迎えることは賞賛されることだし、相手の男性が気に入らないなら女性側に断る権利もあるらしい。
セラフィナはおっとりとしているけれどお喋りをするのは好きらしく、オーレリアが尋ねれば大抵のことは答えてくれたし、また、セラフィナから王都の話や、時にはオーレリアの故郷の話をねだられることもあった。
「後宮はとても広いのだけれど、今代の皇帝である私のお兄様はあまり多くの女性を持つことを好まなくてね。お父様から代替わりしたあとは、随分人が減ってしまってなんだか寂しくなってしまったの。でも、きっとそれでよかったのね。今は四人の夫人とその側仕えが一部の宮を使っていて、私には私の宮があるわ」
ザフラーンは妻を四人まで持つことができるけれど、皇帝には後宮がありそこにいる女性は血のつながった家族を除けば、実質全員が皇帝の妻かその候補になるらしい。
「夫人たちはみんないい人よ。お兄様と私は少し年が離れていて、物心ついた頃にはもうみんな今の宮で暮らしていたけれど、私のこともとても可愛がってくれたの」
「それだと、今はお会いできなくて、寂しいですね」
育ててもらった家に居場所があったとは言い難く、未練もないオーレリアではあるけれど、前世はごく普通の家庭で育ったし、まだ幼かった頃は今の自我もはっきりと確立しておらず、前世の家族を恋しがってよく泣いていた記憶がある。
父はすこし癇が強いのだろうとよく抱っこして宥めてくれて、母は泣き疲れて眠るまで根気よく寝かしつけてくれたことを、うっすらと覚えている。
「そうね、夫人たちにも会いたいけれど……私は縁談がまとまらずに国に戻れば、後宮で一生を過ごすことになるわ。他の国なら、もしかしたらオーレリアに会うこともできるかもしれないけれど、後宮に来てもらうことは難しいから……」
サーリヤの一人が差し出してくれたコーヒーを傾け、オーレリアは軽く首を傾げた。
「その、ザフラーンの貴族にお嫁に行くということはないのでしょうか」
それならば後宮から出ることになるだろうし、同じ国内ならばたまに里帰りすることに問題もないように思えるけれど、セラフィナは淡い紅色の唇を柔らかく微笑ませた。
「私は、例外中の例外でお兄様に国外に嫁ぐ許しをいただいたけれど、皇族の姫は、基本的にお嫁にはいかないの」
「えっ」
セラフィナが丁寧に教えてくれたところによると、ザフラーン帝国は大陸の全てを帝室が支配していることと、皇帝の力が強すぎることが相まって、政略結婚を必要としないのだという。
そのため、皇帝の夫人は基本的に奴隷階級の者が当たり前で、相続も長子相続ではなく、もっとも相応しいと皇帝が認めた男子が跡を継ぐのだと続けられた。
一方女子は、身分が高すぎて国内ではつり合いの取れる相手がいないことから、一生後宮で暮らすのが当たり前だと続けられる。
これには、帝室の血をみだりに外に広げないという意味も含まれているらしい。
「現皇帝であらせられるお兄様は、この体制はそろそろ時代遅れになるだろうとおっしゃるの。今は中央大陸と西大陸は大きく凪いだ内海と急峻な海峡で隔てられているけれど、そう遠くないうちに行き来されるようになって、一度そうなれば他文化との交流は誰にも止められないだろうと。カイラムお兄様が毒杯を免除されたのも、私が外にお嫁に出ることを許されたのも、お兄様のそうした考えからきているわ」
なにかさらりと怖い言葉を聞いたような気がしたけれど、あまり深く尋ねると深淵を覗く予感がして、そうなんですね、と相槌を打つにとどめる。
「けれど、お嫁に出ることに関しては、どうしてもというわけではないから、満足いく嫁ぎ先が見つからなければ戻ってくるように言われているの」
問題は、その満足を判断する相手がセラフィナではなく彼女の保護者として同道しているカイラムであるということだろう。
どういう条件を考えているのかと尋ねても、セラフィナを最も幸せにできる相手という曖昧な言葉が返ってくるばかりである。
いつの間にか音楽が途切れ、サーリヤたちがお菓子の載った盆を次々と運んでくれて、テーブルの上は色とりどりのデザートが並べられていた。
どれも厨房を使ってサーリヤが作っているらしく、レイヴェント王国では見たことのないお菓子ばかりである。一通りサーリヤたちが毒見をして、大丈夫だと判断されたものがセラフィナとオーレリアの皿に盛りつけられて並べられた。
砕いたナッツがたっぷりと含まれたもっちりとした食感のお菓子はロクムと呼ばれるもので、以前もここで出してもらったことがある。とても甘く、スパイスの入ったコーヒーとよく合うお菓子だ。
その他に口に入れるとほろほろと溶けるような食感のハルヴァや、バクラヴァと呼ばれるシロップをたっぷりとしみこませた焼き菓子などもある。
どれも大変に甘く、一つでコーヒー一杯が消費できるほどだ。
オーレリアも甘いものが嫌いではないけれど、慣れないほどに甘くナッツやスパイスを多用したお菓子は馴染みがないことからそれほど量は食べられない。だが、こうした振る舞いは客人へのもてなしでもあるので適度に摘まむのも礼儀のひとつだという。
――コルセット、またきつくなったらどうしようかしら。
かつてミーヤに、もう少し肉付きが良くなるだろうと不吉な予言をされたけれど、その言葉通り冬服はワンサイズ上のものになってしまった。
特に胸と腕に肉が付きやすいらしく、時々肩こりを感じるほどである。
春と夏が来るのが、今からすこし憂鬱に感じるほどだ。
お茶とお菓子を出し終えたあと、再び、ゆったりとしたダルシマーの旋律が温室に満ちていく。
「オーレリア、これも食べてみて。宮廷で出されていたギュラックというお菓子なの。甘酸っぱくて、とても美味しいのよ」
「はい、いただきます」
こんなお菓子を食べているにも関わらずほっそりとしていて余分な肉などみじんも付いていないセラフィナは、一体どうなっているのだろう。
そんなことを考えながら受け取ったギュラックはもっちりとした生地がミルフィーユのように重ねられていて、ミルクと砂糖で味付けをされており、上に細かく砕いたピスタチオとザクロの実が散らされている。
初めて食べるのになんとなく懐かしくなるのは、練乳のかかった白玉を思い出すからだろう。
セラフィナに供されるだけあって、出されたお菓子はどれもしみじみとするほど美味しかった。
――服のサイズのことは、帰った後に考えよう。
あまり出歩くことは推奨されていないけれど室内でもできる運動もあるし、食事とお酒の量を減らして、拠点の階段を意識して上り下りするだけでも違うはずだ。
そう心に決めつつ、美味しい? とのんびりと尋ねるセラフィナにしみじみと頷くのだった。
ギュラックはギュルラチュともグラックとも訳されていてどれが正式な発音かよくわかりませんでした……。
ライスペーパーのようなものを重ねてミルクと砂糖で煮てローズウォーターで香り付けをし、ナッツやザクロを散らした宮廷のお菓子のようです。




