115.新商品と手のひら返し
面会の予定を入れていたのは現場担当者であるティモシー・ジャスマンだったが、案内されて応接室に入るとジャスマン家当主であるジョルジュも同席していた。
「お久しぶりです、アリアさん、オーレリアさん。今日は来てくれてありがとうございます」
「こちらこそ、本日はお時間を取って下さり、ありがとうございます」
相変わらず気さくでおっとりとしたティモシーに席を勧められてソファに座ると、すぐにお茶が用意される。熱いうちに最初のひと口を頂くと、ウィンハルト家で出されるのと遜色のない、香りのいい紅茶だった。
今日の商談で美味しい紅茶が出てくれば九十点、ジョルジュが同席していれば百点満点だとあらかじめアリアに言われていたので、ひとまずはほっとする。
「前置きを置く時間も惜しいのですぐに本題に入らせていただきたいのですが、先日頂いた中敷き、本当に良いものでした」
ティモシーがニコニコと満面の笑みを浮かべているのとは対照的に、ジョルジュは相変わらず厳しい顔つきだ。だが浅く頷いているので、感触は悪くなさそうだった。
「この季節でも一日歩き回った後はどうしても靴の蒸れは気になるのですが、あの中敷きを靴の中に敷いてみて、案外日中でも知らず知らず、不快な感覚があったのだと自覚することができました。その、女性にこのような話をするのは、気が引けるのですが」
「仕事のお話ですから、お気になさらないでください。ナプキンの話も真摯に聞いて頂きましたし、同じことですわ」
「そう言って頂けると助かります。勿論紳士としてそれなりのケアはしてきたつもりですが、正直、もう中敷きなしでは靴を履くのが嫌なくらいです」
「ああ、一度使えばその良さを理解するのに一刻も必要ないだろう。一日使った後は持っている靴の数だけ中敷きが欲しくなる、そういう類の品だ」
ジョルジュが重々しく言うのに、ティモシーが切なげにため息を吐いた。
「あの中敷きを使ってみると、なぜ今まであの不快感を自覚せずにいられたのかそちらの方が不思議なくらいです。靴下を履いていても汗をかくと中で滑ったり、感触も心地悪くなるんですね……」
「その、足の裏は多いと一日コップ一杯ほども汗をかく、とどこかで聞いたことがあります」
「そんなにもですか? いや、確かにあの靴の状態だと、その通りかもしれませんね……」
一体どんな状態を思い浮かべているのか、ティモシーは肩を落とし、心なしか背中もやや丸まっている。
「それでは、ナプキンに続き中敷きの生産につきましても、ジャスマン商会にご協力いただけますか?」
「勿論、こちらからお願いしたいくらいです! この提案書を頂いて、我が商会内でもアウレル商会との提携がスムーズになりそうなくらいで」
「と、いいますと……」
その効果は意外だったようで、アリアが尋ねると、ティモシーはお恥ずかしながら、と言いにくそうに続ける。
「我が商会はジャスマン家の所有するものですが、外部からも多くの出資者が関わっています。その全員が男性ですので、どうしてもナプキンという商品に対してはどこか他人事という感覚があり、新しい工場を建てての大きな事業に参入することに反対の声もままありまして」
「ああ、なるほど。新規の参画、しかも扱うのが聞き慣れない新商品で、男性だとみだりに口にしにくい用途となれば、そういう声はむしろ出て当たり前でしたね」
時流を見る目のない連中だと、ジョルジュが重い声で吐き捨てるように言う。
「ご婦人もどんどん社会に進出し、貴族の当主も増えてきた。この流れでナプキン事業の打診を受けて断れば、五年後には他の商会が大躍進しているのを脇目に見ながら参入が遅れたことに、むしろ指をさして非難されたところだろう」
ジョルジュは眉間に深い皺を寄せていたが、すぐに何かを思い出したように、ふっ、と笑んだ。
「だが、連中もこの中敷きを渡せばすぐに手のひらを返すだろう。幸い革をサイズ別にカットしてナプキンと同じ付与を掛けるだけなので、こちらでもすぐに製作が可能だ。まずは試作を兼ねて、連中を黙らせる数の製作の許可をもらいたい」
「それから、頂いた提案書では本格的な量産は春頃にということでしたが、我が商会としましてはすぐにでも量産の準備に入らせていただきたいと思います」
「試作品に関しては勿論、問題ありません。しかし、この時期からそう需要があるものでしょうか? 春がきて暖かくなる頃に合わせるのがいいかと思ったのですが」
「それではおそらく、需要に供給が追い付かずパンク状態になると思います。革への付与は布より長持ちしますので、ある程度は作り置きもできますから、多少在庫になっても今から作っておくほうがいいかと」
「そこまでですか……」
アリアと顔を見合わせていると、ジョルジュとティモシーが同時に頷いた。流石親子というべきか、一見あまり似ていないけれど、その仕草はそっくりだ。
「ナプキンと同じく、こちらも冒険者ギルドに先行販売の予定と聞いていましたが、おそらく女性冒険者にもかなり需要が出ると思います。私は入ったことはありませんが、ダンジョン内は通年を通して、ほぼ一定の温度だと聞いていますので」
「数が足りずにサイズの合わないものを購入して、良くない印象を抱かれかねないのが最初の関門になるだろうな。それもあって、初期はできるだけ細かいサイズを、数を潤沢に用意したいという思惑もある」
「なるほど……確かに、自分用のサイズは売り切れていたけれどひとつサイズが小さい、大きいものが残っていたら、衝動買いしてしまう人は多いかもしれませんね」
「靴や中敷きのサイズは、少しずれただけで痛みが出たり不快感につながるので、それは避けてほしいですね……」
合わないサイズを使うことでマメができたり、それが潰れたりしたら、不快どころではない。きっと二度と、中敷きを使いたいと思わなくなってしまうだろう。
「商品が定着すれば自然と合わないサイズはどうしようもないと認知されていくでしょうが、出回り始めた頃は少し大きいくらいなら、小さいくらいならと判断する者も少なくないでしょうね」
クレームにつながりそうであるし、悪評というものは好評よりも伝達が早いものだ。
販売する側としては、頭が痛い話である。
「ひとまずナプキン縫製工場の横に付与を行う作業所を併設して建設中ですので、中敷き本体は西区の皮革職人に声を掛けてカットしてもらい、作業所で付与を行う形で生産していこうかと」
「それだと、ナプキンの付与が滞ることにならないでしょうか?」
「幸い、新しい術式の提供という条件のおかげで募集に対する希望が多いので、そちらは問題ないでしょう。作業所の拡大をするため工期に修正が入ったくらいですので」
「完成していたら、完成後即増設工事が入るところだったから、むしろこのタイミングで助かったくらいだ」
アリアと顔を見合わせて、ほっと笑う。
ようやくナプキンの付与の大半がオーレリアの手から離れたばかりだというのに、今度は一日中中敷きの付与を行うことになることも覚悟していたけれど、ジャスマン商会は想像以上にこの商品について意欲を見せてくれている。
「では、冒険者ギルドの委託に関しては私たちの方で話を進めさせていただきますね。納品数が決まり次第、またご相談させていただければと思います」
「またしばらく、入荷即完売が目に見えていますし、最初のうちは窓口に申し出てサイズ別に販売という形にしたほうがいいかもしれませんね」
「ギルド職員に負担が大きいようなら、入荷する曜日を決めてうちから販売員を派遣しよう」
「では、私たちはエレノア様に無茶な数の発注を要求されないよう、気を引き締めていきましょう」
「そうですね!」
アリアの言葉は多少不吉な予感を感じさせたけれど、要はそれくらい、中敷きを売ろうという意欲の表れだろう。
新商品の生産の目途も立ち、ひとまず安堵しながら頷くのだった。




