112.臭いのケアと渾身のフォロー
「幸いジャスマン商会の工場建設の最中なので、出資して増設してもらうか、それは無理でも工場の近くに新しい工場の用地の確保だけはしてもらいましょう」
すっかり酔いは覚めた様子で、アリアはグラスと料理の皿をテーブルの端に避けると早速仕様書を書き始めた。
「あの、これ、俺が見ても大丈夫なやつなのかな。席を外した方がいい?」
「グレミリオン卿は男性かつ貴族かつ冒険者ですので、もしよろしければ、忌憚ない意見を聞かせていただければ幸いです」
アリアがきっぱりと言うと、ウォーレンは目に見えて嬉しそうな表情になった。
アリアとウォーレンは決して不仲というわけではないし、言葉も交わすけれど、二人ともオーレリアに話しかけるついでだったり、何かを教えてくれる補足として会話の形になっていることが多く、二人で自発的に会話をするということはあまりない。
今日一日苦楽……というには苦の割合が多かったが……を共にして、少しは打ち解けたようで、二人の友人としては嬉しいかぎりだ。
「ナプキンと同じ付与だけで完結するのがとても助かりますね。これなら試作品をオーレリアに作ってもらえれば、あとは工場で型の生産と付与まで任せられますし」
「予価は大銀貨一枚ですか? ナプキンと比べると付与が少ないのに、高級ラインと同じ金額なんですね」
「中敷きは左右ふたつで一セットになりますし、型を抜くだけなら縫製の手間はありませんが、素材が革ですし、ナプキンが半年に一度程度の買い替え推奨なのに比べてこちらは最低三年は持ちますから、毎日使う物と考えると安いくらいです」
「素材の革は牛革なんだ。魔物の革のほうが付与が長持ちしない?」
「ひとつの製品が長持ちしすぎるのは、商売を大きくするのに必ずしも良いとは限らないんです。定期的な買い替えの需要が大事ということと、こちらも意匠権を取得し、五年後には製法を公開することになります」
アリアの言葉に頷く。
消臭の中敷きもナプキンと同じく、大きすぎる需要にアウレル商会だけでは対応できるはずもない。
いずれは多くの町の工房や商会で広く作られる普及品になるのが前提になるはずだ。
「先行独占販売は意匠権を持つ者の特権ですが、五年間の間に十年以上買い替えの必要のない製品が市場を席巻するのは好ましくありませんし、安価な品が出回った時にシェアが下がると業界の首位を奪われたという悪い印象にもつながります。それなら交換しやすく、効果が切れてしまったが買い替えるなら引き続きアウレル商会の品がいいと思われる方がイメージがいいです。そのついでに、他の商品も買ってくれる可能性も高いですしね」
バリバリと形、使用シーン、アピールポイント、革の素材を変えた場合の使用感の考察、高位貴族や王族向けに革に商会名の焼き印や金彩を入れるなど、アリアは喋りながらすごい勢いで仕様書を書き続けている。
目は大きく見開かれ、口元には笑みを浮かべていて、大変楽しそうな様子だった。
「初期のターゲット層は裕福な男性、もしくは冒険者ということになると思います。冒険者は愛用の装備を使い続けるにしても、貴族やブルジョワジーは日中と夜間で服が替わり、靴も履き替えるのが普通ですので、複数の中敷きを持っていたほうが利便性が高いでしょう。裕福な家なら持っている靴と同数の中敷きを所有してくれることも期待できます」
「靴の管理は執事がするだろうけど、確かに複数ほしがるだろうね。大銀貨一枚なら、むしろ靴全部に入れっぱなしにするかも」
オーレリアもウィンハルト家に滞在する機会が増えてから知ったけれど、貴族や裕福な家の人間は一日に三回から多いと四回ほど着替えをするのが当たり前であり、その階級に属していて一日中同じ服を着ているのは田舎者や無礼者、粋を判らぬ者として白い目で見られてしまう。
男性だと午前中はモーニングコート、午後はフロックコート、日が暮れてからはタキシードが主流で、靴もそのたびに履き替えることになる。
女性も同じだけ着替えるのが当たり前とされていて、上流階級には上流階級の大変さがあるものだとしみじみと思う。
「それと、特別な中敷きには魔物の革を使った高級ラインを作ってもいいと思います」
「特別なですか?」
「……体質によっては足の汗がそれはもうすごい方とか、いると思うんですよね」
「ああ、靴を脱ぐたびに水たまりに足を突っ込んだのか? みたいな人も、たまにはいるね……」
「はい。魔物の革には強く付与が入り長持ちするので、吸湿の効果が強い中敷きが欲しいという需要はあると思います。あとは王侯向けですね。こちらは魔物の革のほうが特別感があっていいでしょうし、それぞれの御用達の職人と提携して行うことになると思います」
ペンを握る手を止め、アリアはふう、とやり切ったように息を吐いた。
「グレミリオン卿、オーレリア、見ていただけますか」
そうして渡された仕様書を、ウォーレンと半分に分け合って目を落とす。
冒険者用は靴の快適な履き心地、長時間履いていても蒸れにくく悪臭が立ちにくいというのが前面に押し出されていて、かつ、中敷きを利用することで靴そのものが長持ちすることもアピールされている。
一方貴族としては、常に洗練された立ち振る舞い、ほころびのない紳士としての振る舞いをアピールポイントにし、臭いや靴の持ちといったあからさまな表現は押さえていた。
「うん、冒険者としては、これは絶対欲しいと思う。匂いもそうだけど、いっそ靴の中が汗でびちゃびちゃにならない! くらい書いてもいいかもしれない」
「そこまであからさまにしてもいいのでしょうか?」
「冒険者は実利主義だから気にしないし、こういう表現で同じものが売られているのを見れば、やんわりとした表現の貴族向けも期待感が高まると思うよ」
こちらの世界では足の形が分かる状態を人前に出すのは大変破廉恥な振る舞いであるとされていて、人前で靴を脱ぐことはほとんどない。
中敷きを使っていても外からそうと分かることはほぼ確実にないと言えるので、むしろ冒険者向けはこういう機能があり、効果が見込めると思い切り書いたほうが、こっそりそれを見た貴族にもアピールできるということらしい。
「では、そうさせていただきます。各サイズの試作品ができ次第、エレノア様に販売の打診を行いましょう。生産体制が整うのは春ごろになるでしょうがすぐに新聞広告を出します。財務局をはじめ、官僚のおじさんたちには私からそれとなく広げていきますので、オーレリアはそちらの製作もお願いできますか?」
「はい。ナプキンの付与は大分余裕ができたので、大丈夫だと思います」
「最初は実用品として冒険者向けと、優雅なケアとして貴族向けの展開になりますね。ナプキンと違い一般からの需要が出るのはもう少し先でしょうし、二年ほどで大量生産が必要になるほどの需要が出るといいのですが」
「これ、肉体労働の層とかも、かなり欲しがると思う。商会員とか、図書館や銀行の勤め人だってみんな必要になりそうなものだけど」
仕事をしている人はどうしても長時間革靴を履く人が多い。
それだけ蒸れや臭いに悩んでいる人も多いだろう。
けれどアリアは、妙に神妙な顔をして首を横に振った。
「その、男性であるグレミリオン卿には言いにくいのですが」
「大丈夫、ここまで普通は話さないようなことも話したんだから、何でも言ってください」
アリアは頷くと、頬に手を当てて、ため息をついた。
「男子が懸命に働いていれば汗くらいかく! そもそも男は多少臭うくらい当たり前だろう! ご婦人のように細々とケアをするなど男らしくもなくみっともない! そもそも今まで必要の無かったものだろう最近の若い者はチャラチャラと見た目ばかり気にしおって! ……と主張する殿方もいると、思いませんか?」
「ああ……」
「そういう男性は、東部にも結構いそうです……」
「特に年配の方はその風潮がありそうだね」
むしろ、生粋の貴族の令嬢であるアリアが汗っかきの男性やケアを面倒がる男性の解像度が高いことに、少し驚く。
視線が合うと、アリアは可愛らしい顔で拗ねたように、唇を尖らせた。
「貴族にも偏屈な人もいますし、図書館には色んなお客さんが来るんですよ」
「お疲れ様です……」
図書館でアルバイトしていた頃、オーレリアは基本的に裏方だったけれど、あまり良くない感じの利用客に絡まれたことはあった。
若くて人当たりのいいアリアにも、相応の苦労があったのかもしれない。
「これはもう社会の風潮なので、すぐに変えるのは難しいです。まずは実用と洗練さから広げて、そのうちこの程度のケアをしないのは文明人として恥ずかしい行いであるという流れにしていくしかありません」
「でも、そう遠からずなると思う。臭いって、ほんと、嫌だし」
「そうですね。臭うのも、臭っているなと思われるのも、本当に避けたいです……」
王族と貴族でもそう思うのか、むしろ高貴な身分の出身だからこそそう思うのかもしれない。
少なくともこの場の庶民代表のようなオーレリアより、二人の方がより深刻に考えているのは確かなようだ。
「あの、二人とも、いつもいい匂いですよ……?」
なんとなくフォローのつもりでそう言ったけれど、二人は貴族らしい微笑みを浮かべただけで、どうやら不適切だったらしいと反省するオーレリアだった。




