11.赤ちゃんとおむつかぶれ
王立図書館は年越し以外、基本的に開館している施設だけれど、レオナに週に最低二日は休みを取るように言われて水曜日と土曜日を休日に充てることになった。
土曜日が休日のアリアと会うこともあるけれど、水曜日の今日は特に予定もなく、その日は昼食時が済んで閑散とした鷹のくちばし亭の食堂でのんびり芋の皮を剥く手伝いをすることになった。
「折角のお休みなんだから、どこかに遊びに行けばいいのに。こらっ、ロジャー! 走らないの!」
「はぁい」
スーザンの一喝に五歳になる息子のロジャーはぴたりと足を止めると、オーレリアに視線をむけて両手で口を押え、くふくふと笑う。
隣のテーブルには大きな籠が置かれていて、その中では生後七か月のスーザンの娘、ジェニファーが眠っていた。
「こうやって、のんびり過ごすのも楽しいですよ。今日も雨ですし」
「毎年のこととはいえ、嫌になるねえ。こう雨が多いと食堂の客足も鈍くなっちゃうし。保冷樽を直してもらってなかったら、食材も傷むところだよ」
「あ、ちゃんと冷えてますか?」
「ああ、かなりよく冷えるよ。開け閉めすると涼しいから、つい開けっ放しにしたくなっちゃうんだけど、それだと霜がびっしりついちゃうからね……」
「それは、食材も傷みやすくなるので、やめたほうがいいですね」
付与は基本的に作動し続けるので、蓋を開けっ放しにしていても前世の冷蔵庫のように電気代がかかるということはないけれど、冷気が抜けていけば当然樽の中の温度は上がってしまうし、結露した水分が凍って霜になってしまう。
霜が付くと言っているということは、すでに一度はやってしまったのだろう。
他愛ない話に興じながらジャガイモの皮を剥いていると、不意に隣のテーブルからむずかるような小さな声が響き、すぐにジェニファーが大声で泣き始める。
「ミルクでしょうか」
「いや、この泣き方は多分おむつだね。替えてくるから、ちょっとこの子を見ていてくれるかい?」
頷くと、スーザンはジェニファーを抱いて厨房の奥の勝手口から自宅に戻っていった。ロジャーはぴょん、と先ほどまでスーザンが座っていた椅子に飛び乗って、小さな手で先ほどまでスーザンが莢を剥いていた豆に手を伸ばす。
「ロジャー君、お手伝いしてくれるの?」
「うん!」
小さな手で不器用ながらに一生懸命豆を剥いている様子はひたむきで可愛い。赤みがかった茶色の髪はスーザンと同じく癖があって、湿気を吸ってあちこちくるくると渦を巻いていた。
ロジャーとジェニファーは、普段は自宅で子守りと共に過ごしていることが多くオーレリアとはあまり顔を合わせる機会はないものの、人見知りをするタイプではないらしくたまに会うと屈託ない様子で懐いてくれている。
「あのね、豆ねー、お父さんがキッシュにするって」
「お父さん、料理上手だよね。いつも美味しいし」
「そうなの! ロジャーはマッシュポテトがねー、好き。それだけたべて、お母さんにおこられたー」
「お肉もお野菜も食べないとね」
ぶう、と唇を突き出すしぐさに笑いながらすっかり籠に盛られたジャガイモの皮を剥き終わった頃、スーザンが目を覚ましたジェニファーを抱いて戻ってくる。どうやらジェニファーは機嫌が悪いらしく、手足をばたつかせてぐずっている様子だった。
「ごめんねオーレリア。すっかり任せちゃって」
「大丈夫ですよ。ジェニファーちゃん、ご機嫌が悪いんですか?」
いつもは大人しく寝ているかおもちゃを握って遊んでいることが多いけれど、今日はスーザンの抱っこを嫌がるそぶりを見せている。
「おむつでお尻がかぶれちゃってね。汗疹もちょっと出ているし、それが痒いんだろうねえ。この季節は仕方ないんだけど」
「ああ……」
こちらの世界では、前世のような高分子吸収ポリマーのおむつがないため、おむつかぶれが発生しやすい。
気温が上がってきていて湿度も高いので、赤ちゃんの肌には何かと負担が大きいのだろう。
いつも機嫌よくにこにことしているジェニファーが不機嫌そうに抱っこを嫌がって手足をばたつかせているのは、可哀想だ。
「おむつって、やっぱり布おむつですか?」
「うん? もちろんそうだけど」
他に何かあるのかと不思議そうな様子のスーザンに、よかったら少し見せてくれないかと頼むと、替えのおむつと肌着を出してくれた。
おむつは布ふたつで作られていて、片方を三つ折りにして股に当てて、もう片方の布でぐるぐると巻く形だ。漏れないように布を厚めに巻く必要があるのだろうけれど、これだと通気性が悪く、蒸れてかぶれやすくなるのだろう。
「おむつかぶれしにくいおむつが作れると思うんですけど、ちょっと加工していいですか?」
「ああ、それは助かるよ。これから本格的な夏で、お尻の皮が剥けたりすると可哀想だしね」
スーザンから針と糸を借りて、股に宛てる部分を三つ折りの長方形の形で縫い付ける。外側になる方にそうと分かるように色糸で印を入れて、肌に当たる側に【吸水】を、外側に【防水】を付与した。
肌着には、内側に【吸湿】を、外側には【蒸散】を魔力の出力を絞り、軽く掛けておく。
――あまり効果が強いと、乾燥してカサカサになってしまうから、弱めに。
すうっ、と付与の術式が布に馴染んだのを確認して、両方ともスーザンに渡す。
「おむつの中当ては、排泄をしても周りが汚れないようにしてあるのでこの内側の部分を洗って乾かしてください。肌着は汗が籠りにくくしてあるので、汗疹に効くと思います」
「はぁー、付与術ってこんなこともできるんだね」
スーザンは感心半分、呆れ半分というところだけれど、肌着に触れて、おや涼しいね! と感嘆したように声を上げる。
東部も夏はそれなりに暑いので、オーレリアは自分の服にもこっそりとこの付与を掛けていた。特に首や脇といった、汗をかきやすいところに掛けておけば、汗が出るのを抑えられる。
滅多に新しい服を与えられず、一枚を長く着る必要のあったオーレリアにとっては汗で布を傷めないための苦肉の策だった。
「布の付与は結構すぐに抜けちゃうので、必要なら何枚か作るので交換で使ってください。おむつがとれるくらいまではもつと思います」
「助かるよ。でも、いいのかい。こんなことをしてもらって」
「ずっと一部屋占拠してしまっているし、スーザンさんにはいつもお世話になっているので、そのお礼です」
さらに一ケ月の延泊を依頼したオーレリアに、スーザンは宿代だけでいいよと言って食事の代金は取らずにそれまでと変わらず朝と夜、時々お昼まで作ってくれている。
オーレリアの感覚では恩返しにも届かないけれど、スーザンはありがとね、と微笑んだ。
ジェニファーは無事おむつかぶれとあせもが回復し、次の休日にはいつも通りにこにこと天使の笑みを見せてくれた。
追加で数枚、おむつの中当ての付与を行い、鷹のくちばし亭の一人娘は夏が終わるまで快適に過ごすことができたようだった。




