109.友情と、真似事の誓い
ゆったりとクッションにもたれかかっていたセラフィナが体勢を変えるためだろう、体を起こすと、すぐに侍女の一人が頬に当たる白い絹糸のような髪を後ろに流す。
セラフィナも慣れた様子で任せていて、これが彼女たちの日常なのだというのが伝わってきた。
セラフィナの細く白い指には、ビーズを編んで作った指輪がいくつも重ねて嵌められていて、指によっては第二関節まで連なっているのもある。
とても美しいけれど、指先でティーカップを摘む以外の役割は難しそうだけれど、浮世離れしたセラフィナにはとてもよく似合っていた。
同時に、だから食事も侍女が手伝うのかと妙に納得する。
「どうかした? オーレリア」
「いえ、指輪がとてもきれいで、セラフィナに似合っていると思いまして」
「これ?」
セラフィナは抜けるように白い肌をしていて、指先まで完璧に整えられている。そのほっそりとした指に嵌まる指輪は、細やかなビーズを花や王冠のような形に編んだものだ。
乳白色のビーズの中に時々極小の真珠や宝玉が混じっていて、本当にきれいだった。
「こちらでは見かけない細工なので、素敵だなって思います」
心からそう言うと、セラフィナは左手の中指から指輪を一つ抜くと、はい、とオーレリアに差し出してくる。
「友情の証に」
「いえ、いただけません!」
とてもきれいだとは思ったけれど、それはセラフィナの指に嵌まっているからだ。
日によっては何時間も付与を行うので、特に指や手にはアクセサリーをつけないようにしている自分には不相応な品である。
「いいの。持っていてくれると嬉しいわ」
はい、ともう一度言われてしまうと逆らえず、両手を差し出すと、そっと指輪は手のひらの上に置かれた。
そうして見ると、本当に繊細な作りだ。セラフィナが身に着けているくらいなのだから、きっとザフラーン帝国でも有数の職人の手によるものなのだろう。
オーレリアも特に太っている方ではないけれど、ほっそりとしてまさに白魚の手のセラフィナの指輪はサイズが合いそうもない。だがセラフィナの金の瞳がじっとこちらを見ているのに、迷いに迷って、苦肉の策で左手の小指に嵌めると、幸い少し緩いくらいで嵌めることができた。
「綺麗ですね……ありがとうございます、大事にします」
そう言って、はたとこれを靴の修理の褒賞として受け取ったことにすればいいのではないかと閃く。自分にしてはかなり丸く収まる、いいアイディアではないだろうかと顔を上げると、セラフィナは何故か頬を赤く染めて、胸の前で組んだ指をもじもじとさせていた。
「ええと……どうかしましたか」
「あの、オーレリアも、何か身に着けているものをくれないかしら。何でもいいの。本当にささいなもので」
オーレリアと会ってから、無邪気な振る舞いをすることはあっても基本的にはゆったりと余裕のある振る舞いだったセラフィナが、なぜかちらちらとこちらを見て、気恥ずかし気に視線を逸らす。その態度に戸惑ったものの、すぐにどうぞと渡せるものが何もなかった。
今日のドレスはウィンハルト家が用立ててくれたものだし、アクセサリーも借りものだ。
オーレリアの私物といえばハンカチくらいだけれど、これはウォーレンからもらったものなので、手放せない。
「すみません、私、自分のものが何もなくて」
思ったより本当に何も持っていなくて困っていると、セラフィナがすいと立ち上がり、テーブルを回りこんで、オーレリアの隣に音もなく腰を下ろした。
傍に寄るとセラフィナの柔らかく匂い立つ、甘い花のような香りが包み込んでくるようだ。
「……あのね、嫌だったら嫌って言ってもらっても構わないんだけど、オーレリア。私と髪を交換してくれない?」
ほんの少しでいいの、と囁かれ、すぐには何を言われたのか分からなかった。
「ええと、髪って、髪ですか?」
我ながらただ言葉を繰り返しただけになってしまったけれど、セラフィナがそっと手を握ってきて、それにぎくりと体をこわばらせてしまう。
真っ白なセラフィナの手はひんやりとしていて、金の瞳でじっと見つめられると、どうしていいか分からなくなってしまう。
「ザフラーンでは、親しい女性同士がお互いの髪を交換して、友人の誓いをすることがあるの。私は、友人っていないからしたことがないし、ザフラーンに戻ることになったらもう二度と機会はないだろうから、ずっと憧れがあって」
切々と言われ、助けを求めるようにサーリヤたちに視線を向けたものの、全員こちらから目を逸らしている。あまりにも見事な見ないふりに、詰んでいるのがひしひしと感じられた。
「ええと、私は内側の目立たない場所を少しなら構いませんが、セラフィナの髪を切るのは、問題が起きるのではないでしょうか……」
セラフィナはぱっ、と表情を明るくすると、蕩けるように微笑む。
「お兄様は私に甘いし、少しくらい平気よ。何があっても絶対にオーレリアに咎めがいかないようにするから。ありがとう、オーレリア」
待って、まだいいとは言っていません。
到底そんなことを言える雰囲気ではない。セラフィナが軽く手を振ると、サーリヤの一人がしずしずとハサミを持ってくる。
「失礼いたします」
そう告げて、オーレリアの髪をさらりと内側から撫で、襟足近くからシャキン、とハサミの音が鳴った。
向かい合う形ではなく後ろから切ってもよかったのではないだろうか。そう思いながら微動だにせずにいると、もう一人の侍女の持つ絹の布の上に、濃いオレンジの髪が載せられる。量は本当に少しで、それにちょっと、ほっとした。
「オーレリアの髪は綺麗ね。深いオレンジ色で、まるで砂漠の朝焼けのよう」
陶器の小さなケースの上から銀細工で複雑な模様を入れた容器に、それぞれの髪を入れて、片方をそっと差し出される。
首から下げても邪魔にならなさそうな大きさのそれを、セラフィナは大事そうに両手で包み込み、ぎゅっと胸の前で祈るように握っていた。
「うふふ、一つ、夢が叶ってしまったわ」
急な申し出には驚いたけれど、こんなに喜んでいるならば、まあいいかという気持ちになる。
「他には、どんな夢があるんですか?」
「そうね。もっとオーレリアとお喋りがしたいし、婚約者とのお話も聞きたいわ。この大陸にある色んなお話も知りたいし、こちらのドレスも着てみたいし、それに……」
一度言葉を切り、この庭園の薔薇が咲くのを見てみたい、と続ける。
ヴィンセントとの縁談が調わなければ、セラフィナはまた次の国に移動するだろう。そうしてカイラムの出す条件を満たす相手が現れるまで、大陸の国から国へと渡り続けるのだろうか。
浮世離れしているし、何を言い出すかわからないし、風習も習慣もまるで違う場所から来たお姫様だけれど、セラフィナは根本的に優しくて、善良な人のように思える。
ヴィンセントも彼女に惹かれている様子だった。勝手な感情と分かっていても、二人が上手くいけばいいのにと、そんな風に思ってしまう。
「レイヴェント王国は妻はひとりだけだって聞いたわ」
「そうですね、結婚は、基本的にひとりとするものです」
愛妾を迎えることはあるものの、妻と名乗れるのは一人だけだ。側妃や第二夫人といった妃に次ぐ公的な身分のある国もあるけれど、レイヴェント王国にはそうした身分は存在しない。
「あのね、オーレリア、耳を」
「はい」
そっと耳元で囁かれると、ふわっと、とてもいい匂いがする。
「本当は、いけないことなのだけれど、私、一人の方が私だけを愛してくれることに、とても憧れがあるの」
どうしてそう思うことがいけないのか、オーレリアには分からない。
オーレリアは、誰かを好きになるならたった一人でいいし、その相手に、他にも想う人がいるのは、きっと辛いと感じる気がする。
ましてセラフィナのようにどこもかしこも綺麗で、大切にされている人だ。その願いが叶わないとは思いにくかった。
「セラフィナは素敵な人ですから、きっとそうなりますよ」
「それは……いえ、これは、本当に言っても仕方のないことね」
セラフィナはすっと体を離すと、切なげに王宮の庭を眺めている。
その横顔は、庭園の薔薇が咲くまでここにはいられないと思っている、そんな様子だ。
「今回のこちらの大陸の王家との結婚は、上のお兄様が決めたことなの。私を世界一大事にできる男性と結婚させるようにって、カイラムお兄様にお命じになられたわ。カイラムお兄様は、私をお兄様の考える条件の合う方以外には決して嫁がせない、それを満たせる者がいないなら、ザフラーンに連れて帰るとおっしゃっていて――きっと、そうなると思うわ」
「セラフィナ……」
セラフィナは庭園から目を逸らし、オーレリアを見て、笑う。
綺麗で、透明で、まるで水のように手を差し伸べてもするりと指の間からこぼれ落ちていきそうな、そんな美しさだった。
「だからありがとう、オーレリア。あなたが私と友の誓いを交わしてくれたこと、私はずっと忘れない。真似事でも、すごく嬉しかったわ」




