108.恋バナと異国の姫君
ひとしきり今日の打ち上げで食べたい料理の名前を言い合って、やがて気持ちが落ち着いたところで、この後のことについて話し合うことになった。
「【出水】、どうしましょうか。受け取っても受け取らなくても、それぞれ誰かが困ることになりそうですが」
「術式は付与術師の財産だから、最終的にはオーレリアが決めるのがいいと思うよ。これからの事業に必要そうなら受け取ればいいし、逆に付与を願われて仕事が滞りそうなら断った方がいいと思う」
「付与したら水が出続けることになりますけど、移動するのも大変そうですよね……」
現実的には設置する場所まで魔石とともに移動して、その場で付与を行うことになるだろう。
ようやくナプキン事業も外部への製造委託が進み、工場も建設中である。多少オーレリアの時間に余裕もでき始めてきたけれど、高級ラインの製作はまだまだオーレリア自身が行っている状態で、長期間王都を離れることはまだ難しい。
「一度付与すると、魔力が抜けるまで効果が出続けるもんね。ああでも、宮廷は是非にも欲しいんだろうな。もしスキュラの魔石から水が出なくなったら、その魔石に【出水】の付与を入れれば、かなり長持ちするだろうし」
前回スキュラの魔石が持ち帰られたのが二十年前だと聞いている。今でも水が湧き続けているそれも、永遠にというわけにはいかないのだろう。
「そういえば、ウォーレンたちの持ち帰った魔石からも水は出るんですよね? その、水をこぼしながら上に戻ってきたんですか?」
「いいや、魔石から出る魔法は、割と簡単に止められるんだ」
苦笑しつつウォーレンが教えてくれたところによると、魔石から出る魔力は動物や魔物の皮で包むことで簡単に止めることができるのだそうだ。
「皮に包むことで、魔石がまだ自分は魔物の体内にいると錯覚するって説もあるけど、詳しいことはよく分かっていないんだ。ともかく冒険者は、魔石を入れるための革袋はいくつか携帯してるのが普通だね。スキュラの魔石はスキュラ本体の犬の部分の皮を剥いで、それに包んで持ち帰ったよ」
「それは、かなり便利ですね……」
効果が出続けるという付与のデメリットを簡単に覆すことができるのだから、魔石のほうが使い勝手がいいのは間違いなさそうだ。
「ウォーレンは、【出水】を付与した魔石があると助かるんですよね?」
少なくともスキュラの魔石分くらいは身軽になるのだろう。そう思って尋ねると、慌てたように両手を振られてしまう。
「俺のことは気にしなくていいよ。元々最下層の踏破は自分たちがどこまでやれるか挑戦したいって意味が強かったし、魔石に関してもどうしても、というより、ライアンの両親に恩が返せたらって気持ちだったから……ふふ」
「? どうしました?」
何かを思い出したように笑うウォーレンに首を傾げると、いや、と困ったように彼は続ける。
「ライアンに、スキュラの魔石にこだわるのが南部のためなら、気にしなくていいって前に言われたのを思い出したんだ。そう言われた時は諦めきれなかったのに、今はオーレリアが【出水】にこだわる必要はないって本気で思ってるから、あいつもそうだったんだろうなって思って。……なんでもその人の立場になってみないと分からないもんだなって思って」
「そういうものかもしれませんね」
「うん。だから、本当にオーレリアの好きにしてほしい。どっちを選んでも、俺は全面的に味方になるし、アリアさんもそうだと思う」
ひとまず、今日は保留となったことだし、突然のことの連続で、自分で思っているより混乱している可能性もある。
アリアとも相談して決めようと思っていると、ノックの音が響いた。
ドアが開くと文官らしい女性と共に、以前冒険者ギルドで会ったサーリヤという女性と同じ、体型がはっきりとしないふわりとした衣装の女性二人が入室し、深々と頭を垂れた。
「フスクス様、セラフィナ殿下のもとへご案内いたします」
「はい。――ウォーレン、また後で」
「ああ、気を付けて、オーレリア」
頷き合って、オーレリアは二人の女性について控室を出る。
ウォーレンもアリアもいない場に向かうことに、心細さと強い緊張を感じながら、ゆっくりと、王宮を進むことになった。
* * *
王宮は、オーレリアが思っていたよりかなり広く、セラフィナが待っている場所に到着するまで優に十五分ほど歩くことになった。
到着したのは建物と壁で接続されている、半温室と呼ばれる大きな温室だった。天井も高く、ストーブの温かさも相まって中はかなり暖かい。
床はよく磨かれた大理石が張られており、大きなソファが無造作に置かれている。そのうちのひとつに、まるで宝石が人の形になったような女性がゆったりと座っていた。
金糸の刺繍が細かく入った光沢のある絹のドレスは体を締め付けず、セラフィナの浮世離れした美しさとマッチしている。
周りには、サーリヤと同じ服を着た女性たちが五人いて、オーレリアが温室に入ると深く頭を下げた。
「いらっしゃい、オーレリア様。また会えてうれしいわ。どうぞ座ってくださいな」
「お久しぶりです、セラフィナ殿下。私のことはどうぞ、オーレリアとお呼びください」
「まあ、では私はセラフィナと」
「いえ、そんな、その……」
セラフィナに敬称を付けて呼ばれるのも落ち着かないが、彼女を呼び捨てにするのはもっと落ち着かない。だがセラフィナはオーレリアの焦りにまるで頓着する様子を見せず、楽しそうに笑うばかりだ。
「ふふ、わたし、名前を呼びあえる友人に憧れていたの。ね、いいでしょう?」
その口調にからかうような色は僅かも含まれておらず、まるでずっと年下の少女が無邪気に背伸びしているような、愛らしい印象だった。
「では、身分のこともありますので、この場限りでということで、よろしいでしょうか」
「ええ! もちろんよ」
セラフィナは嬉しそうに笑うと、体を倒してぽすんとクッションにもたれかかる。
自宅のように寛ぐスタイルも、ザフラーン帝国流なのだろう。
「わたしね、レイヴェント王国が四つ目の国なの。どの国もそれぞれ面白かったけれど、ここが一番素敵だと思います」
セラフィナはそう言うと、長いまつ毛を揺らし、温室の外の庭に目を向ける。
年越しを終えてしばらくが過ぎるけれど、季節はまだまだ冬だ。王都はそれほど積雪量が多くないけれど、一度降った雪は中々溶けることはなく、庭は白く雪化粧されている。
「この庭は、初夏には薔薇でいっぱいになるって聞いたわ。それも見てみたいし、ヴィンセント殿下も、その、とても……」
言いかけで、セラフィナは白い肌ほんのりと赤く染めた。
「ねえ、オーレリアには婚約者がいると聞いたわ。こちらでは婚約者とは、どんなふうに過ごすのかしら?」
そう水を向けられて、数瞬、考える。
周りに婚約者のいる人がいないので、レイヴェント王国の貴族の婚約者がどんな交流をしているのかは、オーレリアにも分からないし、ウォーレンとの関係は一般的な婚約者と違っているだろう。
だが、興味津々という様子のセラフィナに、特に特別なことはしていないと言うのも、なんだか気が引ける。
「そうですね……私は普段仕事がありますし、彼も忙しい方なのでそう頻繁には会えるわけではありませんが……年越しは、花火を見に行きました」
「花火はザフラーン帝国にもあるわ。婚約者と二人で見に行ったの?」
「はい、それと手持ち花火を」
「手持ち花火ってなあに?」
それには心当たりがないらしく、可愛らしく首を傾げられる。
「こう、金属の棒に小さな花火が付いていて、火をつけると手元で花火を見ることができるんです」
「まあ、素敵ね。それを二人でしたのね?」
「はい、とてもきれいでした」
素敵、と繰り返すセラフィナは頬を赤く染め、本当に嬉しそうな様子だった。
「私の国は、結婚するまで女性は家族以外の男性の前に出るのははしたなとされていて、私も女性しかいない後宮で育ったの。その代わり後宮に物語はたくさんあるから、つい憧れてしまって」
どうやら恋バナがしたくてオーレリアを呼んだというのもあるらしい。生憎、オーレリアにも人に語れるほどの経験があるとは言い難いけれど、セラフィナは二人で屋台の食事を食べたというだけで真っ赤に染めた顔を白い指で覆ってしまうほど刺激が強いようだった。
やがて、侍女が銀盆を持ってしずしずとテーブルの上にお茶とお菓子を載せたプレートを並べていく。見慣れた陶器のティーセットではなく、金属製のポットに、香ってくるのはほろ苦く香ばしいものだった。
「オーレリアは、コーヒーは飲めるかしら。苦手ならお茶にするけれど」
「ええと、飲んだことはありませんが、多分大丈夫です」
こちらの世界でもコーヒーは飲まれているけれど、高級品だし、特にレイヴェント王国は飲茶文化が主流である。
特に東部では、コーヒーハウスは男性が葉巻と共にコーヒーを嗜む場所という風潮が強く、オーレリアが口にする機会はなかったものの、前世では普通に好きだった。
「こちらの方は苦手な方も多いから、無理はしないでね」
小さな取っ手のない器に注がれたのは、コーヒーというよりミルクティのような色だった。セラフィナが指先でつまんで口をつけたのを確認して、オーレリアも器を口に運ぶ。
ハーブの香りがかなり強く効いていて、不思議な味だった。コーヒーというより飲んだことのないハーブティーや薬草茶を連想させる。
セラフィナの隣に侍女の一人が座り、小鉢にならんだドライフルーツを摘むと、セラフィナの口元に運んだ。
なんとも絵になる風景に見とれていると、オーレリアの隣にもそっと女性が座る。
これほど近くに人がくるのはアリアやミーヤくらいで驚いていると、美しい女性はにこりと微笑み、同じようにドライフルーツをオーレリアの口元に差し出した。
明らかに「あーん」を求められている仕草にものすごく、戸惑った。
「あ、あの、私は、自分で!」
「こちらでは、あまり侍女に食事を手伝わせることはないと聞くものね。サーリヤ、お客様の望むように」
「はい、姫様」
幸い、すぐに引いてくれて、女性は悪戯っぽく微笑むと、オーレリアのソファから立ち上がる。
何とも色っぽい笑みに、妙にドキドキとしてしまった。
「あの方も、サーリヤさんというのですね」
「え?」
「あの、以前お会いした時にいた方も同じ名前だったと思いまして」
「ああ、私の側仕えは、みんなサーリヤという名になるの」
セラフィナがごく当たり前のように言った言葉に一瞬息を呑み、すぐに「そうなのですね」と応じる。
周囲にいる侍女たちは、オーレリアをここに案内してきた二人も含めて七名。
全員がサーリヤという名らしい。
その言い方から推測するに、サーリヤという名がザフラーン帝国に元々多くてたまたま、というわけではないのだろう。
――なんというか、つくづく、文化が違うんだ。
会話のふとした合間に、自分とはまるで違う感覚の中で生きてきた人なのだと痛感する。
セラフィナは気さくで無邪気だけれど、そうした瞬間は、確かにあの何を考えているかつかめないカイラムと似たような印象があった。




