104.隣国の皇子と褒賞の申し出
騎士服と文官風の男性二人に案内され、通された応接間は思わず一歩後ろに下がりかけたほど豪奢なものだった。
臙脂に金の細やかな装飾を施された絨毯が敷かれ、飴色に輝くテーブルに、椅子は八脚用意されている。
等間隔に並んだ窓にはぶ厚く重たげなカーテンが掛かり、壁には英雄を描いているらしい大きな油絵が掲げられていて、天井には細やかにカットされた、塔結石のシャンデリアが吊られていた。
「どうぞ、こちらに」
案内してくれた文官風の男性が促し、ウォーレンが椅子を引いてくれる。アリアにも同じようにして、彼自身はオーレリアとアリアの間の席に着いた。
案内人の二人は丁寧に礼を執ると、足音を立てずに応接間を出ていった。
こうした場では私語は慎むものだと事前に学んでいたので、二人と言葉を交わすこともなくしばらく待つと、カンカン! と甲高い音が鳴り、二人が素早く立ち上がるのに、オーレリアも倣う。
「ザフラーン帝国第二皇子、カイラム・バシャール・ザフラーン殿下、ご入室でございます」
「続いて、ヴィンセント・マクシミリアン・レイヴェント殿下、ご入室でございます」
侍従の宣言に合わせて、深く頭を下げる。最敬礼を行うと「楽にしてください」と柔らかな声が掛かる。
ぎこちなく顔を上げると、四人の男性が立っていた。
ゆったりとした青い服に細やかに金の刺繍の入った見慣れない異国の服を着た青年が、今回呼び出しを行ったカイラムだろう。
カイラムはすらりと背が高く、褐色の肌に青い瞳の青年だった。腰まで伸ばした金の髪を緩く結んでおり、人当たりのいい笑みを浮かべている。
その隣にはオーレリアと同い年か、少し上くらいの青年が立っていて、立派な身なりからこちらがヴィンセント……この国の第一王子で、ウォーレンとは母親違いの弟にあたる人なのだろうとあたりを付ける。
「本日はご足労いただき、誠にありがとうございます。突然の招きにもかかわらず、こうしてお越しいただいたことに感謝を申し上げます」
柔和な声にもう一度軽く礼をすると、カイラムとヴィンセントがオーレリアたちの向かいの席に、それぞれ対角の左右に文官らしい二人が着席する。
「私は筆頭審議官を拝命しております、ニコラス・グレイム・ヴァレンシュタインと申します」
「宮廷法務官のアーネスト・フリードリヒ・ヴァルベックです。本日はニコラスとともに、宮廷より立会人として参加させていただいております。よろしくお願いいたします。――そちらの女性が、オーレリア・フスクス嬢で間違いないでしょうか?」
「はい。本日は、お招きにあずかり、ありがとうございます。オーレリア・フスクスと申します」
「あなたがオーレリア嬢ですね。妹のセラフィナから、世話になったと聞いています。私が席を外している間のことだったこともあり、お礼を言うのが遅くなって申し訳ありませんでした」
「いえ、その……恐れ多いことです」
想像よりかなり丁寧に言われてしまい、恐縮して何度も頭を下げていると、とん、と軽く背中に触れる感触があった。隣のウォーレンを見ると、静かに笑んでいて、「落ち着いて」と言われた気がする。
「オーレリアの婚約者の、ウォーレン・レオンハルト・グレミリオンと申します。彼女はすこし緊張が強いようですので、ご容赦ください」
「いきなり呼び出された先が王宮では緊張してしまいますよね。ギルドに部屋を貸してもらうなりしようという案もあったのですが、私とカイラム殿下が二人で赴くとなると警備も薄くというわけにもいかなくて、オーレリア嬢には申し訳ありませんでした」
カイラムの隣に座るヴィンセントがそう言うと、にこり、と微笑まれる。
顔立ちはウォーレンに少しも似ていないけれど、優しい緑の瞳は確かに兄弟であると感じさせるほど、そっくりだ。
「恐れ入ります」
「自分の家のように寛いでほしい、と言っても無理でしょうが、この場での不敬は一切問われませんので、そこは安心していただいて大丈夫です。後ほど宮廷の料理人が作るデザートも運ばせますので、楽になさってください」
「ええ、ヴィンセント殿下のおっしゃる通り、どうぞ力を抜いてください。本来なら妹も同席させるのが礼儀でしょうが、我々の国では女性はあまり表に出ない習慣なのです。よろしければ後ほど女性だけで別室で会ってやっていただけないでしょうか」
「はい、それは勿論……」
こうして物々しい場所でいかにも身分の高い男性たちに囲まれているより、その方がずっと気は楽だ。快諾すると、カイラムはそれはよかったと明るく笑っている。
「改めて、先日は妹がお世話になりました。靴が壊れて難儀をしているところに颯爽と現れたあなたが、魔法のように靴を修繕してくれたと聞いています。妹は召使い以外と接する機会が少ないので、相当に印象深かったようでしてね。あなたは本当に凛々しくて格好良い女性であったと、その話ばかりでして」
手放しに褒めてくれるものの、凛々しくて格好いいとは、一体誰の話だとこの場にいる全員に思われていないかとそんなことの方が心配で背中に冷たい汗がにじむ。
少なくともオーレリアの認識としては、あの時だってそれなりに緊張していたし、差し出された金貨に恐れおののいて尻尾を巻いて逃げ出したようなものだ。
「私の用件は、感謝を告げることと、褒賞についてです。我が国では礼には必ず礼で報いなければならないと定められていますので、どうぞ、オーレリア嬢の望むものを教えていただけないでしょうか」
「望むもの、ですか」
「はい。宝飾品でも、金貨でも。奴隷も少なからず連れてきているので、若くてよく働く女でも、肉体労働を厭わない屈強な男でも構いませんよ」
「………」
奴隷という聞き慣れない言葉に、声を出せずに、頭がくらくらしてくる。
レイヴェント王国には奴隷制度はないし、オーレリアもこちらの世界に生まれ変わってから該当する身分を見たことはないが、どうやらザフラーン帝国には奴隷が、その口ぶりからすると比較的普通にいるらしい。
宝飾品も金貨も人間も、受け取っても自分の手に余るのは明らかだ。
前もってアリアに何も要らないというのは却って悪手なので、用意されたものは黙って受け取ったほうがいいと伝えられていたけれど、望むものをと言われると、何も思い浮かばない。
声を出せずにいると、すぐにウォーレンが丁寧にフォローを入れてくれた。
「彼女はとても奥ゆかしい人ですので、物々しい褒賞と言われると、思いつかないのでしょう。後ほど姫殿下と謁見があるようでしたら、一言声を掛けていただければ、それで充分だと思います」
「は、はい! 私はそれで!」
ウォーレンの言葉の尻馬に乗ると、カイラムは少し首を傾げ、それからふむ、と軽く指で顎をさする。
「しかし、それではこちらの面目が立ちません。オーレリア嬢が思いつかないようでしたら、こちらから褒賞の品を指定させていただいても構わないでしょうか」
「では、ご負担の少ない範囲で、そうさせていただければと思います。ただ、我が国には奴隷がいないので、人間以外でお願いできればと」
ウォーレンの言葉にカイラムは目を細めて笑うと、では、と柔らかい口調で続けた。
「オーレリア嬢は、付与術師であると聞いています。私に裁量権のある付与魔術の術式をひとつ、お譲りするというのはどうでしょうか」
術式はかなり高価なものだし、物によっては宝飾品のほうが軽く済むかもしれないけれど、貰うだけ貰って使わなければそれほど気負う必要もないだろう。
ちらりとアリアを窺うと、浅く頷かれる。
「そちらでお願いさせていただければ」
「ありきたりの術式ではお礼にならないでしょうし、そうですね――【出水】などはいかがでしょうか」
「なっ!」
ガタン、とその場に相応しくない大きな音を立てて、アーネストが立ち上がり、緊張感が弾けるようにびくりとオーレリアが体を震わせる。
「――大変、失礼いたしました」
固い声で一礼すると、アーネストは椅子に座り直す。
ヴィンセントもニコラスもとても固い表情をしていて、尋常ではない雰囲気だ。
緊張感がピンと張りつめた応接間の空気に戸惑う中、カイラムだけが人当たりのいい笑みを浮かべていた。




