103.緊張と控室
怒涛のなりゆきで王宮に伺候することになったものの、ドレスの準備はなんとかなっても心の準備はどうにもならなかった。
そもそもが小心者という自覚が有り余っている上に、長らく目立たないよう息を殺すように暮らしてきたという経緯もある。ウォーレンやアリアと出かけることはあるし、事業を展開するようになって多少人と接する機会も多くなってきたものの、基本的には作業室に閉じこもって黙々と付与を行うのが日常だ。
そんな自分に、王宮は場違いだし、緊張が強すぎる。
「オーレリア、手を」
「えっ」
「腕に掴まって。その、支えるから」
よほどそれが表に出ていたのだろう、王宮の門をくぐって敷地に入り、馬車を降りて少し歩いたところで、ウォーレンがそう声を掛けてくれた。
「オーレリア、婚約者にエスコートされるのは自然なことですし、転んだら危ないですから、グレミリオン卿の言うとおりにした方がいいです」
アリアにまでそう言われ、差し出されたウォーレンの肘に手を掛ける。
「体調が悪くなったらもたれ掛かってくれて大丈夫だから」
「ありがとうございます」
王宮は、ウォーレンにとっても決していい思い出ばかりというわけではない場所のはずだ。本来ならこちらが気遣ってあげたいところだというのに、ほとほと情けない。
「二人とも、堂々としていて、本当に立派です……」
「社交界にデビューしてからは年に二度ほどは足を運ぶ機会があるんですよ」
「俺も、爵位持ちとして絶対に断れない集まりとか、あとはゴールドクラスの冒険者として呼び出されるなんてこともあるから」
「最初は緊張しますけど、慣れですよ、オーレリア」
「そのうち平気になると思うよ」
それは場数を踏むまでが大変なのではないだろうか。
爵位を持っているわけでも高ランクの冒険者というわけでもない身なので、願わくばこれが最初で最後であることを祈るばかりである。
それでも、気の置けない二人と会話をしているうちに少しは気持ちが落ち着いてきた。まず控室に通され、お茶とお菓子を振る舞われて、三人で軽い雑談をしながらそれをいただく。
到底胃腸が動く状態ではないものの、こうした場所で出されたお茶とお菓子は口をつけるのがマナーらしい。
バターたっぷりの焼き菓子も澄んだ色合いの紅茶も、きっととても美味しいのだろう。緊張で味が分からないのがしみじみと残念である。
「それにしても改めて、不思議な状況ですね。お姉様にも調べてもらいましたが、貴人を救って褒賞を得たという前例はありましたが、大抵の場合庶民が相手だと多少の報償金を与えて終わるのが一般的で、直接顔を合わせるのは本当に稀なようですが」
「それは、俺の婚約者だっていうことと、関係あるんじゃないかな」
言いにくそうにウォーレンが言うと、アリアはううん、と小さく唸って紅茶を傾ける。さすが生粋の貴族の令嬢だけあって、ウィンハルト家にいるときと変わらない綺麗な所作のままだ。
「その、グレミリオン卿に対する他意はないのですが、その場合でも王宮に滞在している他国の皇族がオーレリアに接触する動機になるかというと、難しいところではあると思います」
「確かに、却って変な派閥問題に巻き込まれかねないし、俺なら避けるかなあ。後は……やんごとない方の思惑が絡んでいる、なんて可能性も考えたけど」
「ザフラーン帝国の皇族が、そこまでするかな、というところですよね」
二人はううん、と、やはり疑問があるという様子だった。
「あの、それってそんなに、おかしなことなのでしょうか」
王族籍を完全に抜けてはいるものの、ウォーレンの父、つまりこの国の王がウォーレンを手放したがっていないという話はオーレリアも聞いていたし、そのためにウォーレンは一時期王宮に軟禁状態が続いていたらしい。
エレノアの口添えと陞爵を受け入れたこと、王都に新たな婚約者を持ったことでひとまず王都を離れる気がないと証明し解放されたものの、エディアカラン踏破の英雄として賞賛を浴びる一方で、黄金の麦穂としての活動は休止状態であり、元の生活に戻れたとは言い難い。
ウォーレンははっきりと口にはしないものの、父から向けられる感情に煩わしさを感じている様子だった。
実の親子がそのようにこじれている状態に手を貸そうという人が現れても、オーレリアの感覚としては不思議ではない気がする。
「オーレリアは、ザフラーン帝国についてはどの程度知っていますか?」
「こちらの大陸とは文化が違っていて、交易もそれほど盛んではないということと、国名と、中等学院にいた時に地図を見て地理をうっすら知っている程度です」
「ほとんどの人は、そうですよね。社交界もほとんど被らないので、私も今回大慌てで調べたくらいですし」
頬に手を当て、アリアは眉間に薄く、皺を寄せる。
「ザフラーン帝国は東側と南側に海峡を挟み、海路は三つの内海に隔てられている地理的な要因もあって交流がさほど盛んではないということと、昔は領土問題を巡って大陸のいくつかの国と対立関係にあったこともあり、伝統的にそれほど交流が深い国ではありませんでした。しかし近年は、技術の発展に伴って違う大陸の国々とも深く関わろうという気流が生まれてきてはいたので、今回の王国訪問もその一環である、と思うのですが……」
それもしっくりこないらしく、アリアはずっと疑問を浮かべた表情のままだ。
「これまで浅い交流しかなかったのに、皇族が二人も訪問しているのに非公式というのは、不自然なんだ。国同士の交流は、民間レベルから始めるのが一般的で、たとえば商人同士の行き来が頻繁になったから互いに関税や商圏について話し合いを持つ必要が出てきてようやく行政レベルになって、王族や皇族が出てくるのはその後になるから」
「もしくは、貴族の中でもそれなりに高位の貴族が互いの国の社交界に少しずつ顔を出したり、別荘を作って交流をしていき、存在感を示していくというやり方もありますね」
「ましてザフラーン帝国は、大陸ひとつを治める大きな国だからね。籍を抜いた王族との仲を取り持って他国の王に恩を売るような真似は、メンツにかけてもしないと思う」
どちらにしても、非公式の訪問はかなり異例であり、かつ、秘密裡の訪問であるというのにわざわざ靴を直したという理由で民間人でしかないオーレリアを呼び寄せるという状況も、二人にとってはかなりおかしなものに思えるらしい。
「……案外、何も考えていないのかもしれませんね」
アリアはそう言うと、軽く首を横に振る。
「文化も風習も違っていて、交流も少なかった国ですから、私たちが知らないだけで、ザフラーン帝国には最初の交流は皇族が非公式で来訪するのが礼儀だったり、受けた恩は必ず返すという習慣があるかもしれません。いえ、暴論なのは分かっていますが、それくらいしか思いつきません」
「アリア……」
「情報が少ない以上、考えても仕方ありません。礼儀を守り如才なく振る舞い、とっとと帰ってビールでも飲みましょう」
「うん、それがいいよ。公の場では失礼には当たらないから、基本的には婚約者として俺が受け答えする。オーレリアは微笑んで時々頷くか、はい、とだけ繰り返せばいいかな。念のため、もし商会のことを聞かれたらアリアさんに任せた方がいいと思う」
「そのためにオーレリアの後見人の家の者だと言い張ってしゃしゃり出てきたのですから、お任せください」
何とも頼もしい二人に頷いて、肩が落ちる。
自分の余計なお節介が生んだ状況なので、なんとか頑張りたいものだが、今の状態では二人の足を引っ張るだけだろう。
「私、もっと度胸がつくように、努力しますね」
「いいですよ、オーレリアは今のままで十分魅力的ですから、変わらずにいてください」
「俺もそう思う」
甘やかされているなあと思いつつ、二人の言葉が嬉しくて微笑むのと同時に、心臓を竦み上がらせるノックの音が響いたのだった。




