100.年越しと分け合う火
ヒュルルル……と尾を引く音の後に、パンッ、と弾ける音が響いたのを目で追うと、夜の空に火の花が咲いた。
「あ、始まったね」
隣を歩くウォーレンの声にはい、と返事をしながら、二発目、三発目と打ち上がる花火についつい釘付けになってしまう。空に花火が上がったのが解禁の合図になるらしく、そこかしこで手持ち花火に火がつけられて、道行く人たちもそれぞれ花火を楽しんでいた。
もう夜も更けている時間だというのに、水路沿いには多くの屋台が並び、人通りも多い。等間隔に吊り下げられたランタンが微かに揺れているのがなんとも風情がある。
年越しを控え、今日は一年でもっとも夜更かしをする者が多い日らしい。
前世のようなクリスマスはないけれど、それでも年越しはこちらの世界にとっても特別なものだ。年の最後の日と最初の日は花火で祝うのが王都風で、普段は販売が制限されている手持ち花火もこの日は安価で購入でき、誰でも楽しむことができる。
火をつけていいのは煉瓦敷になっている水路近くの道路や許可が下りている大通りだけだけれど、年に一度の機会ということで花火を楽しみたいという者は多く、家族や恋人同士で自然と出歩く者が増える。その人出に需要を見越して屋台が立ち並ぶという流れらしい。
「オーレリア、寒くない?」
「いえ、暖かいくらいです」
人が多く行き交っていて熱気があるということもあるけれど、自分も少し興奮しているのだろう。
こちらの世界で花火を見るのは初めてだ。世界が変わってもはじける光の花の美しさは変わらず、なんとも懐かしいような、胸がいっぱいになる感じがする。
年越しの花火を見に行かないかと誘われたのは、二週間ほど前のことだった。
「パーティのメンバーももうみんな予定が入ってるし、もしオーレリアがよければ」
そう誘われるまで、年越しの過ごし方というものが頭からきれいに抜けていた自分に少し呆れつつ、二つ返事で了承した。
アリアも誘ったけれど、悔しそうに、非常に苦々し気に、姉の一家と過ごすのだと断られた。
「本当は私がオーレリアを誘うつもりだったんですが、断れませんでした」
アリアの姉のレオナには息子がひとりいて、叔母であるアリアが大好きらしく、年越しは絶対に一緒に過ごすのだとかなり強硬に求められてしまったらしい。
年越しは家族と過ごすのが普通だし、ウォーレンに誘われるまで何も考えていなかったので気にしなくていいと言うと、また少し微妙な表情をされてしまう。
「事業届けも出しましたし、商会のメンバーで過ごすという体で来年は一緒に過ごしましょう。花火も見に行って、なんなら小舟を借りて水路をクルーズしたっていいですし!」
アリアには珍しく拳を握ってそう言われ、こくこくと頷いてしまうくらいだった。
道行く人の多くが紙コップを持っているのに気が付いてなんとなく目で追っていると、ウォーレンに俺たちも飲まない? と声をかけられる。
「ホットワインは、年越しの夜は特に飲まれているんだ」
「いいですね」
屋台で二人分のホットワインを購入して口をつけると、ワインの風味とスパイスの香りに混じり、思ったよりアルコールの味がする。
「あ、これラム酒が入った「酒飲みのホットワイン」だ」
ホットワインは本来香辛料や柑橘類のジュースやジャム、蜂蜜、砂糖などと一緒にゆっくりと温めた赤ワインを指すけれど、そうするとどうしてもアルコールが飛んでしまうので、そこに蒸留酒を足すレシピもあり、それらを総称して「酒飲みのホットワイン」と言うらしい。
バリエーションも色々で、一言にホットワインと言っても屋台によって味が全然違うのだという。
「そういうのもあるんですね」
「東区には酒飲みのホットワインが多いんだ。逆に中央区の屋台だと香辛料多めで重たいものが主流なんだけど」
東区は冒険者ギルドがあり、アルコールの需要が他の地区より高いのが理由なのだろう。
南区だと、白ワインと柑橘類を使った爽やかなホットワインもあるらしく、王都内でもそれぞれの地区で特色があるらしい。
花火は断続的に打ち上がり、道行く人たちも人ごみを離れて思い思いに手持ち花火を楽しんでいる。
いつもはとっくに毛布にくるまっている時間に外を出歩いているという非日常感と相まって、ふわふわと夢の中でも歩いているような心地だ。
「楽しいです」
その浮かれた心が、そのまま口をついて出てしまう。
東部でも年越しを祝う風習はあったけれど、家族でいつもより豪華な食卓を囲み、ささやかな贈り物をしあって夜更かししてお喋りするという形だった。
オーレリアはその日は取り分けた夕食を早めに終えて、あとは部屋の隅で早めに寝てしまうのが毎年のことだ。
この日くらいは遠慮して、と従姉妹に言われた言葉を思い出すと、胸がちくりと痛む。
「俺も、すごく楽しい」
隣を歩いていたウォーレンがそう言ってくれて、そちらを見ると、視線が合った。
「毎年花火が上がる音は聞こえていたけど、なんとなく、こういうのは自分とは無関係だって思っていたから」
ウォーレンがこれまでどうこの日を過ごしていたのかは、オーレリアには想像ができない。
中等学校からは王都で過ごしていたと聞いたことはあるし、一応家族とともに暮らしていたと言えなくもないのだろうけれど、彼は元はれっきとした王族で、住んでいたのも王宮なのだろう。その生活がどんなものであったのかは、オーレリアにはわからない。
ただ、自分とは無縁だと思っていた、その気持ちだけは痛いくらいよくわかる。
「あ、あの辺空いてるね。花火を買って、俺たちもやらない?」
「はい、是非」
手持ち花火はそこらじゅうで売っているので、その中から一束購入し、屋台の並ぶ通りを逸れて水路近くに向かう。
つり下がったランタンの群れから少し離れると、夜らしい暗がりは思ったよりすぐ側にあった。
花火は金属製の棒に火薬を固めたものがつけられているシンプルなスタイルで、ウォーレンがマッチを擦って火をつけてくれる。
「火の魔法使いがいると一瞬なんだけど、伝統的に、この花火はマッチで火をつけるものってされてるんだ」
「なにか理由があるんですか?」
「火は悪いものを払うって信じられていて、そこから転じて、どんな人でも次の一年が始まる前にその年の良くないものを退けられるようにってことらしい」
魔法は誰でも使えるというものではないし、使えても火の属性があるとは限らない。
「ついでに、親しい人に火をつけてもらうといいんだって。――オーレリアの今年の悪いものがすべて燃えて、良いものだけが残りますように」
笑いながらウォーレンがそう言ったのと同時に、先端から綺麗な火花が飛び散り始める。
ウォーレンはもう一本手に取ると、オーレリアの花火に先端を近づけて、すぐに火が移った。
「ついでに、人からもらった火で花火をつけるのも縁起がいいんだ。だから年越しは親しい人と過ごすのがいいとされるって流れになるらしい」
「素敵な習慣ですね」
そう思えるのも、隣にウォーレンがいてくれるからだろう。
暖かい部屋にいても、窓越しに一人で見ていては花火はただ綺麗な火の花だ。
誰かが悪いものが消えるようにと言ってつけてくれた火を分け合うから、こんなにも心に染みる。
「次は、私に火をつけさせてください。ウォーレンの一年の悪いものが、全部燃えてしまうように」
「是非」
笑い合って、すこし沈黙して、弾ける火花を眺める。
ヒュルルル……とまた、打ち上げる音が響き、ぱん、と空に花が咲いた。
アルコール度数の強めのワインを飲んだせいだろうか、頬がとても温かい。
心地よい暗がりの中で年越しの鐘が鳴り響くまで、互いに火をつけて、火を分け合っていた。




