本音のせいで喧嘩になりません
結局、今日も五人の実行犯たちが黒幕を吐くことはなかった。夕食を終えてルシアンとともに客間に戻ったエステルは、閉じたばかりの扉に背中を預ける。
「……」
さっきリーナに聞いたことが心の奥に引っかかっていて、頭から離れない。
(できることなら、ルシアン殿下の呪い返しを私が解きたいわ。リーナ様のお話によると、練習すれば私にも使える魔法のようだったもの)
しかし、それはこの一年間のルシアンを失うことでもあるのだ。もし呪い返しを解いたなら、ルシアンの記憶はシャルリエ伯爵家にエステルを迎えにきてくれたあの日に戻ってしまう。
二人でカフェで過ごした時間も、二人で出席した夜会のことも、幼い頃の初恋の思い出を話してくれたときのことも、包み隠せない本音をいつも伝えてきてくれるあの日常も。
(あれが全部なかったことになるなんて)
考えただけで、胸が締め付けられるようだった。
「エステル」
部屋の入口で立ち止まってしまったエステルが何を思っているのか、ルシアンもわかっているらしい。エスコートをしてくれるように手を差し出されたので、エステルは手を取った。すると、抱き寄せられた。
ふわりと鼻をくすぐるルシアンの香りに、ものすごく安心して、ついさっきまでの不安が消えていく。
(私ったら、何を不安がっていたのかしら。この一年間でルシアン様からたくさんの言葉をもらったわ。そのほとんどは意図しないものだったけれど……もしルシアン様の記憶がなくなっても、きっと大丈夫。私は変わらないし、ルシアン様の気持ちも信じられる気がする)
そう思い、顔を上げる。
「……私、やっぱりリーナ様に呪い返しを解く魔法のことを教わってきます。今すぐに使いこなすのはきっと無理ですが、練習して、ルシアン様の呪いを解きますから」
「エステル、さっきの話を聞いていただろう? 俺はこの一年間のエステルとの時間を消すのは嫌だと」
「でも」
「エステルの気持ちはうれしいよ。でも、俺の気持ちも考えてほしい」
「私だって、ルシアン様とのこの一年間が消えるのは嫌です。ですが……!」
どうしたらいいのかわからなくなりつつあったところで、幸せを噛み締めるようなルシアンの声が響く。
「……エステル。今って普通ならそろそろ喧嘩になるところだよね?」
「はい、恐らく、一般的には……」
緊張感のない問いにぽかんとしつつ答えれば、ルシアンはエステルから離れてソファに座る。そして、おいでおいでをする。
(ルシアン様?)
不思議に思いつつ隣に座ると、ルシアンは軽く微笑んだ。
「俺にとっては、エステルの怒っている顔ですら愛しいんだ。今だって、抱きしめたくて仕方ない」
「……!」
以前にも似たようなことを言われたのを思い出し、顔が赤くなる。ついでに、つい数秒前まで抱きしめられていたことも思い出す。けれどルシアンの言葉は止まらない。
「エステルが俺のために魔法を覚えると言ってくれているのも、悩んでくれるのもうれしい。でも、俺が忘れたくないんだから、そろそろ妥協してくれてもいいんじゃないか?」
「ですが、恋人への本音が止まらない王子殿下なんて、他の方々が何と仰るか」
「今までそんなこと言わなかったよね? 急にどうしたのかな。もしかして、誰かに何か言われたとか? 俺は、一生本音がだだ漏れでいいんだ。俺がエステルを好きなのは事実だし、多少恥ずかしいことを我慢すれば問題ない」
笑顔のルシアンはじりじりと近づいてくる。
(ここまで仰るなんて。……ルシアン様が良いのなら……)
確かに、そこまで言うのならこのままでもいいのかもしれない。きっとルシアンならうまくやってくれるだろうとも思う。
それに、急にエステルがルシアンにかけられた呪い返しを気にしだしたのは、結婚のことを真面目に考えるようになったからだ。
これまでは、ルシアンがエステルのところに婿入りするぐらいの勢いだったし、このまま行けば何となくそうなるのかなとは思っていた。
けれど、結婚のことを真剣に考えるとなると、それでは困難が待ち受けているのもわかる。貴族令嬢でもないエステルが、ルシアンをこちらの世界に引き込むのは容易なことではないのだ。
「ルシアン様。私、真面目にルシアン様と結婚することを考えてみたんです」
「待ってそれやっぱり結婚したくないとかそういう話? 聞きたくないかもしれないな」
話を切り出した瞬間、ルシアンが美しい顔にわかりやすく絶望を浮かべたので、エステルは慌てて否定した。
「違います! 私はただ、早く結婚できるように、障害になりそうなことはなるべく取り除きたいと……その」
「え?」
信じられないという表情で固まったルシアンに、エステルは頑張って続けた。
「国王陛下も、国民も、ルシアン様が私を救うために呪いにかかっているとはまだご存じないでしょう。でも、他国でも尊敬されるルシアン様を見て思いました。ルシアン様がこんな呪いにかかっているのが申し訳なくて悔しいんです。ルシアン様の本音を聞くと、恥ずかしいことはありますが私も幸せです。でも、中にはよく思わない人もいるのではないかと。その原因になった私と結婚することを否定する人がきっと」
話していて、いよいよ自分でもわけがわからなくなり始めたところで、離れた場所から猫の姿で見守っていたクロードがポツリと呟く。
「闇聖女、思考がめんどくさいところまで飛んでっちゃったんだな。ちょっとはルシアンみたいにアホっぽい呪い返しにかかった方がいいんじゃないか?」
「クロード。お前が俺のことを馬鹿にしすぎるからだろう? だからエステルはこんなに悩んで」
「だって王子様が面白すぎるんだよ」
「心外だな。俺は事実しか言ってない。今だって本当は抱きしめて慰めたいところなんだ。でもお前がいてすごく邪魔だし、エステルが真剣に話してくれているのを最後まで聞きたいしで自分が大変なんだよ使い魔なんだから少しはわかってくれっていうか向こうへ行け?」
「王子様ひでえ!」
(これは……)
ルシアンとクロードの話を聞いていると、自分の悩みがちっぽけに思えてきた。
(ルシアン様が仰ることはいつも変わらないのに、私だけジタバタして申し訳ないわ……)
反省しかけたところで、いつもの本音が漏れ聞こえる。
「俺はとにかく『早く結婚できるように、障害になりそうなことはなるべく取り除きたい』と言ってくれたエステルにキスがし……っ⁉︎ 俺は何を、ゴホゴホゴホッ」
『キスがしたい』のほかにまだ言いたいことは死ぬほどあるようだが、すぐに顔色が見事な紫になってしまった。エステルは慌ててルシアンの背中に手を添える。
「ル、ルシアン様⁉︎」
「ほんと触んないでエステルは離れてて……いや俺が出てく……っ、」
必死に何かを言葉にすることを堪えているルシアンの前、エステルは戸惑うしかない。
(ルシアン様が出ていくって、ここはルシアン様のお部屋よ⁉︎ 出ていくのは……私だわ!)
速やかに判断したエステルは動揺しながらも立ち上がる。
「わ、私……外で頭を冷やしてきます!」
「エステルが出ていく必要は、……っ」
ルシアンが手を伸ばしてくるが、苦しすぎて正直それどころではないようだ。それに、この様子で廊下に出たりしたら、オリオール王国から来ている王子様が毒を盛られたと大騒ぎになってしまうだろう。
ルシアンは聖女リーナの想い人としてしっかり有名人である。そんな騒動を起こすわけにはいかないのだ。だったら、出ていくのはエステルの方だろう。
「大丈夫です! 王城の中は安全なので、一人で風に当たってきます! それに、私も恥ずかしくなってしまったので、少し一人にしてください……!」
いろいろと耐えきれなくなったエステルは、理由をつけてルシアンの部屋を飛び出したのだった。





