第5章ー28
海兵隊、いや日本軍は艦隊勤務中に亡くなった場合に遺体を水葬する以外は、遺体の火葬を奨励しているのは、古典的な対策と言えば対策だが、伝染病対策として遺体の火葬は効果的だからだ。
海兵隊は台湾出兵でマラリアにやられて以来、伝染病対策に苦悩した経験があった。
第一次世界大戦で欧州に派遣されてからも、塹壕熱に赤痢等々、ありとあらゆる伝染病対策に海兵隊の軍医部は奔走させられてきていた。
そして、とうとうインフルエンザの襲来である。
有史以来最大の犠牲者を出したという、このときのインフルエンザは本当に恐ろしい被害を海兵隊のみならず、日本軍いや連合国側の各国の軍、民間に1918年の9月現在、続出させていた。
1918年9月初め、林忠崇元帥がインフルエンザの猛威に頭を抱えている頃、日本から欧州に派遣されている海兵隊や航空隊や艦隊でも、将軍や提督はインフルエンザの猛威に頭を抱え込んでいた。
「艦隊勤務者の2割以上が、9月末には重症のインフルエンザ患者になる勢いか」
欧州派遣艦隊司令官の八代六郎提督は、艦隊勤務者内に広がるインフルエンザの蔓延に、大海を柄杓でくみ出すような思いに駆られていた。
どうにも手の打ちようがない、八代提督の正直な想いだった。
何しろ水上艦勤務中に患者を隔離しようにも適当な手段があるわけがない。
更に付け加えるなら、欧州派遣艦隊の主力は排水量1000トンに満たない二等駆逐艦が主力だった。
こんな乗員が100人もいない小型艦では、10人もインフルエンザで倒れたら大騒動になってしまう。
そして、実際問題として、欧州派遣艦隊所属の駆逐艦で相次いでインフルエンザ患者は発生し、そのためにエジプトのアレクサンドリア港、マルタ島のヴァレッタ港、仏のマルセイユ港等からインフルエンザの蔓延が収まるまで出撃を見合わせざるを得ない駆逐艦が続出しつつあった。
八代提督は昏い思いをせざるを得なかった。
「今回の出撃自体での損害は予想よりも低かったですが、インフルエンザが猛威を振るっており、陸軍航空隊は思うように出撃できなくなりつつあります。海軍航空隊はどうでしょうか」
陸軍航空隊司令官の福田雅太郎将軍からの問いかけに、海軍航空隊司令官の山下源太郎提督は憮然とした表情をしながら答えた。
「我が海軍航空隊も同様としか申し上げようがありません。さらに問題なのは、インフルエンザの蔓延が収まる気配がないことです。このままいけば、平均4割の航空機がインフルエンザにより出撃不能状態に追い込まれるでしょう。陸軍航空隊はどうですか」
「陸軍航空隊も同様です」
福田将軍は憔悴した表情を示して言った。
「お互いどうにもならない状況ですな」
山下提督は表情を複雑に変えながら言った。
航空機の搭乗員の体調管理は地上部隊や艦隊勤務の水兵より基準が厳しい。
何故なら、空での体調不良はすぐに死へとつながるからである。
そして、インフルエンザの蔓延は搭乗員を次々と倒れさせていた。
本来ならインフルエンザにり患した搭乗員の周囲の人員も隔離したいところだが、そんなことをしては出撃可能な搭乗員はいなくなってしまう。
「海兵隊から軍医や看護兵を回してもらえないでしょうか」
福田将軍はすがるように言ったが、山下提督は冷たく突き放した。
「無理なことを言わないでください。海兵隊も大同小異な状況だと聞いております。我々にできることは、今の手持ちの人員で最善を尽くすことだけです。何しろ、日本本国も同様にインフルエンザが蔓延していると聞いていますし」
山下提督の手元には、日本からのインフルエンザの蔓延状況が赤裸々に書かれた長文の電文があった。
ご意見、ご感想をお待ちしています。




