第5章ー5
草鹿龍之介中尉たちの撮影した大量の航空写真は、地上部隊の事前準備等、様々に利用されていた。
「ふむ、この写真から見る限り、ここの独軍の防御には隙間があるようだな」
酒井鎬次大尉は、ある航空写真を見ながら、そう独り言を言った。
「どうかな。この写真だと誘いの隙ではないか、と見えるがな。むしろ、ここから攻めるべきではないか。地図から考えても、ここからここへと攻める方が戦車の機動が容易だ」
大田実大尉が別の写真を酒井大尉に示しながら口を挟んだ。
2人は他の戦車中隊の中隊長たちと共に、どこを攻撃するのがもっとも効果的かを議論していた。
大量の写真に加え、詳細な地図が自分達の手元にある。
議論がまとまり次第、地図を大量に複製し、地図の裏に攻撃方法を書き込んで、実際の攻撃の際に役立てることにもなっている。
「ふむ。歴戦の海兵隊大尉が言うことだ。陸軍から派遣された大尉としては、ご命令に従おう」
酒井大尉は諧謔をこめて言った後で、内心で思った。
陸軍大学で一生懸命に学んだことが完全に時代遅れになった気がする。
自分が陸軍大学を卒業したのは1912年11月だというのに、それから5年余りで、陸軍大学時代は全く存在しなかった戦車に自分は乗り組んでいる。
更に想像もしなかった大量の航空写真を活用して、事前に作戦計画を立てる有様になっている。
全く、自分が海兵隊に派遣され、欧州に赴いて、英仏米軍と肩を並べて戦うことになるとは、そして、敵戦線突破を戦車を活用することで果たそうとしているとは。
本当に陸軍の近代化を早急に図らねば、日本は三流陸軍国になってしまう。
秋山好古大将を担いで、梅津大尉達、欧州に派遣された若手陸軍将校は一丸となって陸軍の近代改革を推進しようと決心しつつあるらしい。
自分もそれに積極的に加担しよう、酒井大尉は内心で固く誓った。
日本第1海兵師団の攻撃準備は順調に整いつつあった。
総司令官の林忠崇元帥は、他の各国軍の調整に精を出していたので、実質的な日本軍の総指揮官は秋山大将が務めていた。
第1海兵師団長の土方勇志少将は、秋山大将と綿密な打ち合わせをしたり、ANZAC軍団司令官のモナッシュ将軍と実際の現場の兵士の意見を吸い上げて、現場の調整を図る等、多忙な日々を過ごしていた。
そうした中、土方少将の心に僅かな影が差しつつあった。
「先週と比較して、インフルエンザ患者は増えつつあるのか」
第1海兵師団の軍医部長に土方少将は尋ねていた。
「ええ。少しずつですが、増加傾向にあります。今のところは対処可能な患者数に収まっていますが、これ以上増えられては、実際の大攻勢発動の際に、軍医部が対処するのは困難な事態が発生する公算が」
軍医部長は深刻な表情を浮かべた。
「余り悪く考えすぎるのも考え物だが、最悪の事態を想定して準備し、実際の作戦中は最良の事態を想定して進めるべき、という言葉があるくらいだからな。それにしても、日本最高峰を誇る海兵隊軍医部が対処するのに困難な事態が発生する可能性が生じるとは」
土方少将も渋い顔を浮かべざるを得なかった。
日本海兵隊軍医部は、土方少将の父、土方歳三提督をマラリアから救命した高松凌雲を初代名誉軍医部長とし、明治初期の台湾出兵でマラリア対策に成果を上げたり、日清戦争で脚気を完全撲滅したりと歴史的な実績を誇る。
そのために、一部の海兵隊士官からは東京帝国大学医学部を凌ぐと仰ぎ見られる存在でもある。
その日本海兵隊軍医部が対処困難な事態がインフルエンザで引き起こされるかもしれないとは、土方少将は暗い予感を覚えざるを得なかった。
「本当に大攻勢を発動して大丈夫なのだろうか」
土方少将は胸騒ぎがした。
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