第5章ー1 最終攻勢
第5章の始まりです。
1918年8月1日、英仏米日統合軍の大攻勢発動準備のためにフランスのアラス近くに第3海兵師団の一員として移動していた土方歳一少尉は緊張していた。
いよいよ実戦を自分は初めて経験することになったのだ。
「祖父や父の名を辱めることのないようにしなければ」
口には出さずに、自分の内心で固く決意する。
何しろ祖父、土方歳三が幕末に鬼の副長と謳われ、西南戦争の際には隊長を務めた「新選組」の末裔である第3海兵師団に自分も所属しているのだ。
父、土方勇志少将も、日清戦争で初陣を飾り、日露戦争、そして、この世界大戦でと数々の激戦を経験しており、さすが土方歳三提督の息子、と周囲から一目置かれる存在である。
自分も父や祖父に負けるわけには行かない、土方少尉は固く決意していた。
「息子が力を入れ過ぎていなければいいがな」
同じ頃、土方勇志少将は第1海兵師団を率いて、息子の近くにいたが、自分は息子のことを内心でそう思っていた。
戦の経験をある程度は積むまでの新兵は、実戦では敵弾の的に過ぎない、土方少将はそう思っていた。
初陣では臆病者であった方が却って長生きするものだ。
土方少将はこれまでの戦闘経験からそう思っていた。
「あいつは、海軍兵学校に入るのにも手間がかかったからな」
土方少将は思った。
いっそ、別の世界を目指した方がいいぞ、と余程、息子に面と向かって言いたくなったくらいだ。
「第3海兵師団長の鈴木少将たちに息子は任せるしかあるまいがな」
土方少将はそう内心でつぶやいて、自分の内心にケリを付けた。
林忠崇元帥は、あらためて自分の指揮下にある部隊を確認しつつ思った。
本当に100万の軍勢を率いることになったな。
林元帥の指揮下にある部隊は、次に述べるとおり30個師団に満ちようとしていた。
まずは自らの子飼いともいえる日本海兵隊4個師団が自分の指揮下にある。
次に英軍からはANZAC4個師団が林元帥の指揮下に派遣されている。
仏軍からはペタン将軍と共に4個師団が派遣されている。
米軍からも4個師団に加え、1個戦車旅団が提供されている。
更にベルギー国王のアルベール1世からは、ベルギー全軍約12個師団を事実上預けるので存分に腕を振るわれたいという言葉を林元帥は直々に賜っていた。
この御言葉を賜った時に、林元帥は思わず感泣した。
外国人の将軍、いや提督に自国の軍隊全てを預けて戦わせるという信頼を国王から与えられた軍人がこれまでにどれだけいたろうか、この御言葉に報いねばサムライの名に背くことになる、何としてもこの国王をブリュッセルにお送りせねば、と林元帥は心に誓った。
他にも各種独立部隊があるし、他にも航空部隊まで存在するのだ。
どう見ても、約30個師団を超え、100万人を超える大軍だ。
日本史上、本当に100万の大軍を指揮するのは自分が初めてだろう。
だが、これまでの自らの戦歴から、この大軍を指揮すること自体には林元帥は不安を覚えなかった。
林元帥は別の事に気がかりを覚えていた。
日本の加藤海相からは、これ以上日本国内でインフルエンザが広まるようなら、欧州に補充兵を送るための徴兵を中止せざるを得ないかもしれないという悲観的な情報が届いていた。
しかも、米英仏共に似たような惨状にあるらしい。
「自分が苦しいときには敵も苦しいとは言うが」
林元帥は内心で不安が広がるのを覚えていた。
「独もインフルエンザが広がっていて、同じように苦しんでいるとは思うのだが、お互いの報道管制で正確な情報がつかめない。お互いにインフルエンザでかなりの損害を出しているのではないか」
林元帥は不安を覚えながら最終攻勢を行おうとしていた。
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