第4章ー2
戦車の説明に関する秋山好古大将の長広舌に内心辟易しつつ、土方勇志少将以下の第一海兵師団司令部の面々は、秋山大将の戦車に対する説明と言うよりも大演説を聞き終えることになった。
それを聞き終えた後、土方少将たちは表面上は丁重極まりない態度で、秋山大将を司令部からお帰りいただくことにした。
秋山大将が乗った車が、見送りの土方少将の視界から消え去った瞬間、土方少将は深々と溜息を吐いた。
土方少将の周りの幕僚の面々も同様に深々と溜息を吐いている。
「やれやれ、本当に英仏両陸軍に加え、日本陸軍まで戦車について言うことが違うとは思わなかったな」
土方少将がぼやくように独り言を言うと、幕僚の一人が進言してきた。
「この際、最高司令官の林忠崇元帥の意向も伺っては?」
「より混乱しそうだが、そうするのが妥当か」
土方少将は少し考えた後、そう言って、林元帥に意向を伺うことにした。
「それは秋山の言うことに従え。わしは工兵なので、工兵以外の事は分からん」
林元帥は、土方少将に即答した。
土方少将は思った。
酷い嘘を聞いた、林元帥が、騎兵の事が分からないというのなら、まだ理解できるが、林元帥が海兵(歩兵)士官や砲兵士官としても一流なのは間違いない。
それなのに工兵の事しか分からないというのは、ある意味、韜晦しているな。
実際に、独軍の春季大攻勢を前に設置された英仏日統合軍司令部の総参謀長として林元帥が多忙なのは事実なので、戦車師団の設立は日本軍内に任せるしかないのもやむを得ないのだが。
「分かりました。秋山大将の指示に従います」
土方少将は、秋山大将の指示に従うことにした。
秋山大将は内心で小躍りして喜んだ。
何しろ、200両以上の戦車を保有して、完全自動車化した1個師団の編制を事実上、任されたのだ。
「ここ欧州まで来た甲斐があったものだ。わしのこれまでの戦場経験も踏まえ、世界でも一流の師団にしてみせる」
秋山大将は内心で独り言を言った。
さて、1917年の春に陸軍から海兵隊への士官、下士官派遣が始まったが、秋山大将を除き、その士官は尉官クラスに限られていた。
なぜなら、そもそも陸軍全体が欧州への派兵自体に消極であり、佐官以上の上級幹部を失うことを嫌がったからである。
だが、皮肉なことにそのために欧州にいる陸軍士官は若く、威勢のいい連中が揃ってしまったのも事実だった。
特に第1海兵師団に所属していた彼らは、秋山大将に戦車師団の編制が命ぜられたのを聞きつけると、挙ってその研究に加わりたいと志願した。
岡村寧次、永田鉄山、小畑敏四郎、梅津美治郎、酒井鎬次等々、後に第二次世界大戦で勇名を轟かせる日本陸軍の将帥の多くがこの場にいた。
「けしからん。誠にけしからんぞ。我が陸軍の面子は丸潰れである。我が陸軍は率先して、欧州に派兵すべきだった。そうすれば、海兵隊が戦車師団を作ろうとしているのに、我が陸軍に戦車は1両も無い、というこの大屈辱を避けられたものを」
小畑大尉が怪気炎を上げるのを、梅津大尉は半分白眼視しながら、無視して他の参加者に意見を聞いた。
「それにしても、この計画をどう考える」
「すごいとしか、言いようがないですね」
岡村大尉が半分、放心したように言うと、横にいる永田大尉も同様の表情を浮かべながら言った。
「完全自動車化して、戦車200両余りを保有する師団。このような海兵師団が実際にできて、横須賀に配置されたら、海兵隊がクーデター計画を断行した際に、近衛、第一の2個師団で阻止できるか。私としては極めて困難と言わざるを得ません。それ位、強力極まりない師団です」
「全くだな。だが、これはいい経験になるぞ」
梅津大尉は乗り気になっていた。
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