エピローグー3
「皆、よく頑張ってくれた。本当にありがとう」
林忠崇元帥は、1918年11月末、マルセイユ近くに設けられた日本海兵隊駐屯地で、陸海軍の将官をねぎらっていた。
日本からは、欧州にいる将兵に速やかに帰国するように指示が届いていた。
英仏米等の軍人の一部からは、万が一の戦争再開に備えてもう少し日本の将兵に残ってほしいという声を上げる者もいたが、多くの者が日本兵の帰国に好意的だった。
遠い日本から欧州へ延べ20万人以上も4年に渡り派兵していたのである。
苦しいときによく我々を助けてくれた、どうぞ祖国日本へお帰り下さい、という声が大半を占めていた。
「そうそう、いろいろおみやげを日本に持って帰れそうだ。陸軍にも大量のおすそわけがあるからな」
林元帥の言葉に、その場にいた秋山好古大将らは笑みを浮かべた。
欧州にいる日本軍の武器で、日本製なのは事実上、38式歩兵銃と軍艦だけだった。
後の武器、戦車から航空機、野砲等々は英仏米からの大量の供与品だった。
血を流すことで、日本はそれをほぼ無償で手に入れることが出来た。
秋山大将は皮算用を内心でした。
各師団ごとに戦車12両を保有する1個中隊、自動車を完全装備した偵察1個大隊(仮称)等を陸軍は保有できるだろう。
まずは、基盤が無ければ、軍の近代化は図れない。
これだけの物があれば、基盤としては充分だ。
もっとも、陸軍の方が海兵隊より装備が劣るのは極めて悔しいが、流した血の量が陸軍と海兵隊で違う以上、仕方のない所だ。
その秋山大将の内心の声と同様のことを、多くの欧州にいる陸軍士官もしていた。
「梅津大尉、日本に帰った時に、海兵隊からのお下がりがどれだけ陸軍に手に入ると思う」
小畑敏四郎大尉が、梅津美治郎大尉に声をかけていた。
「お下がりなのが残念だが、戦車は200両余り、火砲も200門余り、1個師団だけなら完全自動車化できるだけの自動車がもらえるかな」
永田鉄山大尉が口を挟み、言葉を更に言った。
「それから、世界大戦終結に伴い、兵器の大安売りが始まるのが目に見えている。この際、英仏から大量の兵器の買い付けをしておくべきだ」
「あっ、それは考えていなかった。陸軍省や参謀本部にすぐに上申せねば」
岡村寧次大尉が、すぐに手紙を書きそうな勢いを示した。
「お前ら、浅ましく見られかねんぞ」
梅津大尉は、3人をたしなめたが、顔の表情がそれを裏切っている。
3人と同様のことを、梅津大尉も考えていたのだ。
また、それとは別の将来の事も。
「この際、欧州にいる陸軍士官で改革に賛同してくれそうな面々等に声をかけて、陸軍の改革を将来、推進したいと思うが、どうだろうか」
梅津大尉は、小畑、永田、岡村の3人の大尉に声を掛けた。
「こういう行動は、陸軍の派閥抗争を誘発する可能性もある。だが、世界大戦の経験を踏まえて考えてみると、我が陸軍は旧態極まりない現状だ。速やかな改革が必要不可欠だと自分は信じるのだ」
梅津大尉は言葉をさらに紡いだ。
3人の大尉は口々に賛成した。
「同感です」
「自分も大いに賛成だ」
「何としてもやらねば」
「よし、これで決まった」
梅津大尉は、他の3人と共に大いに動いて回った。
そして、山下奉文大尉ら、多くの欧州に派遣されていた陸軍士官がこの動きに呼応した。
この動きは、その後、欧州から帰国した陸軍士官が更に国内で動くことで、さらに強まることになる。
大正時代の山梨軍縮、宇垣軍縮等が成功裏に終わり、陸軍の近代化が大いに進む背景には、こういった梅津大尉らの動きが背景にあった。
そして、この流れは、第二次世界大戦で大きな実を結ぶことになるのである。
ご意見、ご感想をお待ちしています。




