第5章ー37
土方勇志少将には、秋山好古大将から部下の従卒までが、息子の土方歳一少尉の病状について気遣わしげな視線は向けられるものの、誰も口を開こうとはしなかった。
軍人しての立場を貫くならば、土方少将が息子の見舞いに行くこと等、できようはずがなかった。
だが、親としての心情は別である。
土方少将に何と声をかけるべきか、皆が迷い、作戦上のこと以外には、土方少将に声を掛けられなくなっていた。
しかし、敢えて空気を読まない人物が1人いた。
「第1海兵師団の状況はどうだ」
土方歳一少尉がインフルエンザにより重体に陥ってから2日後、林忠崇元帥は、第1海兵師団の状況を直接視察するという名目で、第1海兵師団司令部を訪問してきた。
「林元帥、わざわざご足労頂かなくても」
土方少将は敬礼して出迎えた。
「ちょっと、2人きりで報告を受けたい」
林元帥は、周囲にそう声をかけて、土方少将と2人きりになった。
「息子さんが重体と聞いた。周囲が腫れ物に触るような態度を土方少将に取っていると仄聞してな。思い切り胸の内をさらけだして欲しい」
林元帥は、そう土方少将に声を掛けた。
「心遣いありがとうございます。父としては見舞いに行きたいです。ですが、このような戦況では、そういうわけには行きません。息子に万が一のことがあったら、遺骨を日本に持って帰るつもりです」
「そうか」
土方少将の答えに、林元帥は複雑な表情を浮かべた。
土方少将は思った、そういえば、息子は林元帥にとっても特別な存在だな、何しろ、自分の父、土方歳三の初孫なのだ。
「もうすぐ、この戦争は終わりを迎えるだろう。終わりを父子共に生きて揃って迎えられることを、わしは希望する。ああ、勿論、全ての日本の将兵を生きて祖国に連れ帰りたいとわしは思ってはいるがな」
「そうお気遣いをいただいただけでも充分です」
林元帥と土方少将は会話した。
その後、戦況についての会話を交わした後、林元帥はベルギー解放軍総司令部に戻って行った。
土方少将は、林元帥の気遣いに心から感謝した。
ベルギー解放軍は、インフルエンザの猛威に苦しみつつ、少しずつ前進を行うことを止めなかった。
フォッシュ将軍の総指揮の下、他の英仏米日統合軍の部隊と協調して、ひたすら前進を続けた。
独軍の抵抗によってある部隊の前進が阻まれれば、他の部隊が前進を行う。
この西部戦線の英仏米日統合軍の前進、攻勢は独軍を急速に消耗させた。
「予備部隊が枯渇しつつある」
8月以降、独軍参謀本部では、深刻な顔をした参謀が増える一方だった。
広正面で多点において攻勢を取るという英仏米日統合軍のやり方は、劣勢の独軍にとって極めてつらいものだった。
英仏米日統合軍の攻勢を阻止しようとすると、どうしても予備部隊を移動させて独軍は対応するしかない。
だが、その移動は、英仏米日統合軍の航空隊の絶好の的だった。
そして、予備部隊が移動するだけでも独軍の物資の欠乏には拍車がかかるのだ。
かといって、一部の地区に予備部隊を張り付けていては、それ以外の地区で英仏米日統合軍が攻勢を取られた場合に対応できない。
8月初めの時点では、約40個師団が西部戦線の予備部隊として、独軍参謀本部によって指定されていたのだが、9月末の時点では西部戦線の予備部隊は5個師団もいなくなっていた。
それだけ、予備部隊は戦場の火消し役として8月から9月までの間、走り回る羽目になり、消耗してしまい、気が付いた時には、枯渇しきっていたのだ。
9月29日にブルガリア降伏の一報を受けて、あらためて戦況を再検討したルーデンドルフ参謀次長は、最後には卒倒してしまった。
そこにインフルエンザは独に本格的に襲い掛かった。
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