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第5章ー36

 土方勇志少将をはじめ、欧州に派遣されていた日本軍の将軍や提督は、1918年9月にインフルエンザの蔓延に最も苦悩する羽目になったと異口同音に述べている。

 実際、1918年9月下旬に欧州に派遣されていた日本軍内のインフルエンザ蔓延はピークに達した。

 一時は、海兵隊員の4分の1は重症のインフルエンザと診断されて見当識を失った状態である、と日本軍の軍医部長から、総司令官の林忠崇元帥は報告を受けた程だった。

 その報告を受けた林元帥の態度は、両極端な回想が残っている。


 ある人はいう。

 その報告を受けた林元帥は、平然と述べた。

「セルビアを見習え。300万人の国民の内50万人が発疹チフスに罹り、20万人が死んでも、講和よりも死を、と叫んで独墺等の同盟国軍と徹底抗戦して、国民全員が国土からサロニカにまで移動して徹底抗戦をしている。インフルエンザのり患者が増えたとはいえ、セルビアに比べたら何程のことは無い」


 ある人はいう。

 その報告を受けた林元帥は、天を仰ぎ、落涙しながら、つぶやいた。

「これ程、インフルエンザのり患者が出るとはな。更にり患した者の3割が亡くなっている。これ程の戦病死者が出ても、なお、この戦争は終わらない。人間の業は深いものだ」


 林元帥のこの両極端な態度については、何れかが創作である、報告を受けた場面の違いによる等々、引用者によって主張が異なる。

 だが、いずれもあり得ると思われる程、この時のインフルエンザの蔓延は日本軍の将軍、提督に重大な影響を与えたのだった。


 実際、日本陸海空軍、海兵隊の公刊戦史は全て言葉を選んではいるが、この9月の状況がいかに深刻であったかを述べている。

 戦場で負傷した場合、速やかに安全な後方に戦傷者は運ばれて、病院に担ぎ込まれて治療を受けるのが大原則である。

 だが、この9月にはそれがほとんど働かなかった。

 戦場から後方に何とか戦傷者を運ぼうにも、少しでも元気のある兵は最前線に投入されていたので、後方へ戦傷者を運ぶのは贅沢とみなされる有様だった。

 何とか後方の病院に戦傷者がたどり着いても、そこではインフルエンザ患者が溢れているのである。

 下手をするとインフルエンザに罹りに、戦傷者は病院にたどり着いたようなものだった。

 そして、病院の医師や看護兵も相次いで、インフルエンザにり患して、何とかインフルエンザに罹らずに済んでいる者も過労から倒れていく有様だった。


 更に部隊によって、インフルエンザの罹患率は異なる。

 ある部隊は結局、9月の間に1割程がインフルエンザにり患することで済んだが、別の部隊では8割がインフルエンザにり患する有様だった。

 こういう場合、インフルエンザの罹患率が高い部隊に合わせて、行動が決められることになる。

 余りのインフルエンザの蔓延の酷さに、第3海兵師団長の鬼貫こと鈴木貫太郎少将さえ、一時は涙を流して攻勢中止を訴え、まさに鬼の目にも涙、と周囲が評したくらいだった。


 そんな状況にもかかわらず、日本軍の所属するベルギー解放軍は攻勢を9月の間、取り続けることになった。

 敵の独軍はもっと苦しいのだと信じて、悪戦苦闘を続けた。

 実際問題として、独軍は9月半ば以降、攻勢を再開したベルギー解放軍の前にじりじりと押されていたので、ベルギー解放軍の判断が誤っていたとはいえない。


 そうした中で、土方少将は第1海兵師団の指揮を執っていた。

 そして、息子の土方歳一少尉がインフルエンザにり患し、重体であるという連絡を9月下旬のある日、野戦病院から受けることになった。

 土方少将は、その一報を受けて顔色を変え、苦悩した。

 軍人としての立場を貫くなら、第1海兵師団の指揮を執り続けねばならない。

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